フーガの医療従事者の方、ホンマ毎日お疲れ様です(_ _)・奈良県生駒郡斑鳩町・法輪寺(三井寺)に関するカスタム事例
2021年02月21日 07時45分
フーガに乗って6年半になりました(_ _) ええ年こいて未だに車いじり止めれません(^_^;) 匍匐前進で進化していきたいと思うので( ̄▽ ̄;) ヨロシクお願いします(_ _) 注)基本来るものは拒まず去るものは追わずですが(^_^;) 1度も投稿の無い人は受けませんので(>_<) (お礼のコメント入れられないので)(^_^;) 1度投稿してからフォロー頂けたら助かります(⌒0⌒)/~~ (お礼のコメント入れられるので)(^_^;)
おはようございます(⌒0⌒)/~~
今日も公休で、朝からはお墓参りの予定です(⌒0⌒)/~~
今回も一週間前の画像ですが(^_^;)
2月13日(土)に三重塔をバッグに撮りました(⌒0⌒)/~~
場所は奈良県生駒郡斑鳩(いかるが)町になります(⌒0⌒)/~~
このお寺は法輪寺になります(⌒0⌒)/~~
法輪寺は、斑鳩の北方・三井(みい)の地に位置することから「三井寺」とも呼ばれる、飛鳥時代創建の古刹になります(⌒0⌒)/~~
三井の里にある法輪寺は、聖徳太子の御子・山背大兄王創建とも伝えられ、
飛鳥時代の仏像と、昭和50年(1975)再建の飛鳥様式の三重塔で知られているそうです(⌒0⌒)/~~
その三井の地名は古く、聖徳太子が飛鳥の里より三つの井戸をこの地にお移しになったところから起こったと言われてます(⌒0⌒)/~~
法輪寺の西北、歩いて3分の場所には、聖徳太子が掘られたという国史跡の井戸(「史跡 三井」)が遺されています(⌒0⌒)/~~
『史跡 三井』とは井戸は昭和7年(1932)の発掘調査で復活し、昭和30年代まで実際に使われ、7世紀の遺構で、「塼(せん)」という扇形のレンガを積んだ珍しい構造だそうです(⌒0⌒)/~~
法輪寺の創建には2説が伝えられており(・・;)
ひとつは、推古30年(622)、聖徳太子がご病気になられた折、太子の御子・山背大兄王(やましろのおおえのおう)がその子・由義王(ゆぎおう)らとともに太子のご病気平癒を願って建立されたという説(巻子本『聖徳太子伝私記』引用の『寺家縁起』)(・・;)
と、
もうひとつは、天智9年(670)の斑鳩寺焼失後、百済開法師・圓明法師、下氷新物三人が合力して造寺したとする説(『聖徳太子伝暦』『上宮聖徳太子伝補闕記』)だそうです。(・・;)
いずれも古く長い歴史のあるお寺には間違いないですね(o^-')b !
今回は約一週間前の2月13日(土)に奈良県生駒郡斑鳩町の法輪寺の三重塔をバッグに撮りました(⌒0⌒)/~~