フーガの奈良県桜井市多武峰・真っ赤な紅葉🍁・談山神社⛩️・11月エントリー・2020ベストショットに関するカスタム事例
2020年11月14日 07時16分
フーガに乗って6年半になりました(_ _) ええ年こいて未だに車いじり止めれません(^_^;) 匍匐前進で進化していきたいと思うので( ̄▽ ̄;) ヨロシクお願いします(_ _) 注)基本来るものは拒まず去るものは追わずですが(^_^;) 1度も投稿の無い人は受けませんので(>_<) (お礼のコメント入れられないので)(^_^;) 1度投稿してからフォロー頂けたら助かります(⌒0⌒)/~~ (お礼のコメント入れられるので)(^_^;)
おはようございます(⌒0⌒)/~~
今日は明日から会社の職場の二泊三日の旅行で振り替えで出勤です(^_^;)
今回は11月11日(水)奈良県桜井市多武峰の談山神社⛩️のやっと染まってきた紅葉🍁をバックに撮りました(⌒0⌒)/~~
フォロワーさんのアップしてたカレンダー企画に乗ります(≧∇≦)b(笑)
11月8日(日)に知多半島の帰りにオカンと車流しながら紅葉を覗きに来て前回参道の紅葉を撮り、この前を通ったら見事に色づいてたんですが(・・;)
日曜の夕方4時でまだ観光客は沢山居てるので撮れるわけも無く(>_<)
その日は泣く泣く帰り( ̄▽ ̄;)
しかしどぉ~しても撮りたくて(>_<)
月曜日に上司にお願いして誕生日に有給を取って来れました(^_^;)
この場所は談山神社⛩️の車のお祓いする所の入り口になります(⌒0⌒)/~~
ですのでお祓い受け付け時間になると勿論撮ることが出来ません(・・;)
って言うか邪魔になります( ̄▽ ̄;)(笑)
少し談山神社⛩️の事を(≧∇≦)b
談山神社の御祭神には藤原鎌足が祀られています(≧∇≦)b
舒明・皇極二代の天皇の世、蘇我蝦夷と入鹿親子の勢力は極まって、国の政治をほしいままにしていました。 この時、中臣鎌子(後の藤原鎌足公)は強い志を抱いて、国家の正しいあり方を考えていたそうです(⌒0⌒)/~~
たまたま飛鳥の法興寺(今の飛鳥寺)で蹴鞠会(けまりえ)があったとき、 聡明な皇太子として知られていた中大兄皇子(後の天智天皇)と出会いました(⌒0⌒)/~~
西暦645年の5月、二人は多武峰(とうのみね)の山中に登って、「大化改新」の談合を行いました。 後にこの山を「談い山」「談所ヶ森」と呼び、これが談山神社の社号の起こりだそうですよヾ(・д・`;)
画面中央少し左に藤原鎌足の供養塔の十三重の塔がチラリと見えます(≧∇≦)b
ここに鎌足公は真の日本国を発想し、日本国が世界に誇る国家となるため、一生涯を国政に尽くしたそうです(・・;)
天智天皇8年(669)10月、鎌足公の病が重いことを知った天智天皇は、みずから病床を見舞い、 大織冠(たいしょくかん)を授けて内大臣に任じ、藤原の姓を賜ったそうです(・・;)
鎌足公の没後、長男の定慧和尚は、留学中の唐より帰国、父の由縁深い多武峰に墓を移し、十三重塔を建立しました。 大宝元年(701)には神殿が創建され、御神像をお祭りしています(・・;)
この十三重の塔は享禄5年 (1532)の再建で、木造十三重塔としては、世界唯一のもので国の重要文化財(o^-')b !
高さは約17メー トルあり、屋根は伝統的な檜皮葺きです(⌒0⌒)/~~
本殿は、もと聖霊院、大織冠社、多武峰社とも称し、 三間社隅木入春日造のけんらん豪華な様式で、社殿全体は極彩色 模様や、花鳥などの彫刻によって装飾されています(≧▽≦)
大宝元年(701)の創建 で、現存は嘉永3年(1850)に建て替えられたものです。 日光東照宮造営の際のお手本となったことでも有名だそうですよ(・・;)
知らなかった(・・;)
今回は11月11日(水)に奈良県桜井市多武峰の談山神社⛩️で紅葉バックに撮りました(⌒0⌒)/~~