フーガの興福寺南円堂・奈良県奈良市登大路町・猿沢池の畔からに関するカスタム事例
2018年10月06日 17時08分
フーガに乗って6年半になりました(_ _) ええ年こいて未だに車いじり止めれません(^_^;) 匍匐前進で進化していきたいと思うので( ̄▽ ̄;) ヨロシクお願いします(_ _) 注)基本来るものは拒まず去るものは追わずですが(^_^;) 1度も投稿の無い人は受けませんので(>_<) (お礼のコメント入れられないので)(^_^;) 1度投稿してからフォロー頂けたら助かります(⌒0⌒)/~~ (お礼のコメント入れられるので)(^_^;)
今回は前回と同じ猿沢池の畔から興福寺の南円堂をバックに撮りました(⌒0⌒)/~~
偶然に猿沢池に写った南円堂が( ̄▽ ̄;)シルエットやけど( ̄▽ ̄;)(笑)
興福寺南円堂は奈良県奈良市登大路町にあります(⌒0⌒)/~~
(そりゃ~興福寺五重の塔と同じ寺やから一緒やな(笑))
南円堂は西国三十三ヵ所第九番札所として人々のお参りで賑わってます(⌒0⌒)/~~
弘仁4年(813年)藤原冬嗣(ふゆつぐ)が、父内麻呂(うちまろ)追善の為に建てたそうです、(⌒0⌒)/~~
基壇築造の際には地神を鎮める為に、和堂開珎や隆平永宝を撒きながら版築したことが発掘調査で明らかにされた。
また鎮壇には弘法大師が係わったことが諸書に記されているそうです(⌒0⌒)/~~
この南円堂には運慶のお父様、康慶が作の不空羂索観音菩薩と、鎌倉期の四天王像がいてるそうです(⌒0⌒)/~~
鎌倉期の四天王像はかなりデザインがボリュームあり動きの表現が豊かな印象があるそうです(⌒0⌒)/~~
不空羂索観音菩薩と言えば東大寺の乾漆像(法華堂・三月堂)の立像が有名ですが、南円堂のは、木造で座像らしいです。(⌒0⌒)/~~
興福寺は藤原氏の氏寺であったが、藤原氏の中でも摂関家北家の力が強くなり、その祖である内麻呂・冬嗣ゆかりの南円堂は興福寺の中では特殊な位置を占めたそうです。(⌒0⌒)/~~
その上不空羂索観音菩薩像が身にまとう鹿皮は、藤原氏の氏神春日社との関係で特に藤原氏の信仰を集めたそうです。(⌒0⌒)/~~
横おちり(笑)アップ(⌒0⌒)/~~
南円堂は創建以来四度目の建物で、寛保元年(1741年)に柱が立てられたそうです。(⌒0⌒)/~~
江戸時代の建物といっても、その手法はきわめて古様で、再建には北円堂を参考にしたとされてるそうです。(⌒0⌒)/~~
今回は奈良県奈良市登大路町にある興福寺の金円堂をバックに猿沢池の畔から撮りました。(⌒0⌒)/~~