ロードスターの英彦山・二又トンネル・ドライブに関するカスタム事例
2018年07月25日 14時26分
ユーノス ロードスター B2リミテッド&スバル R1 iに乗ってます。どうぞよろしく(°▽°) CTはクルマに関する日記として投稿してます。 無言フォロー失礼します🙇 フォローやいいねの挨拶は不要です。僕も殆どしません。
病院の帰り、ちょいと近場を走りたくなったので、退院後初めて英彦山に行ってみました。
無茶苦茶暑い☀️😵💦先日の豪雨で、あちこち土砂崩れや鉄砲水の跡があり、ガードレールが落石でクニャクニャになってました😨
久しぶりにここまで来ました😄
英彦山別所駐車場です。
ここへ来るまでに、たくさんの急コーナーやヘアピンがあり、曲がる度に負傷した肋骨が疼く…( ;∀;)
暫く来なかったら、観光案内所がオサレな喫茶店に大幅リニューアルされてました😊
帰りにまた彦山駅に寄ってみました。今回はちょっと見学しときたい事がありまして…。
彦山駅から日田方面へ数百メートルの場所に、切通しの様な場所があります。実はこれ、山が吹き飛んだ跡です。
元々は、緑色の線で描いたような形の山でした。
現在、彦山駅の隣にある休憩所に、当時の大惨事を伝える資料が展示されています。
終戦直後の昭和20年11月。まだ日田彦山線が全通していなかった頃、建設途中だった二又トンネルには、日本軍により沢山の弾薬が運び込まれていました。
事故直後の貴重な写真です。
終戦後、この場所に弾薬が多数保管してある事を知ったGHQは、弾薬を処分する事を地元警察に命令します。
その処分方法が適切でなかったため、大規模な爆発が起き、この山に遠足に来ていた小学生、付近の住民、彦山駅で列車を待っていた乗客や駅前広場にいた人々など、死者147名 負傷者149名を出す大惨事となりました。詳細は、ウィキペディアに掲載されてますので、興味のある方は調べてみてください。
事故後、責任者だったGHQの将校は軍法会議にかけられ有罪となり、不名誉除隊となります。
凄惨を極めた彦山駅周辺はその後、日田彦山線全通により新たな時代を歩む事になります。ちなみに、この事故に因んで国鉄が正式に名付けた「爆発踏切」という踏切があるんですが、見つけられなかったです。もう廃止されたかもしれない。
大なり小なり終戦直後には色んな事が起きていて、戦後の混乱に紛れて忘れられようとしている事件や事故が、全国に沢山あるんだろうなぁ。。。
平和な時代に生きてる事に感謝です😊✨✨