セリカのカノッサの屈辱・山田邦子・加藤茶・ユーミン・ホイチョイプロに関するカスタム事例
2021年07月27日 11時57分
皆さんこんにちは
今回の一枚目は頂き物の写真です。
お中元の季節に“夏の元気なご挨拶”
頂き物はいつでも嬉しいですね😊
(特に自分で、ろくな写真が撮れない私はありがたい)
そうはいうものの..........
ここ数年、うちに日清サラダ油セットが届きません
昭和の文化は大事にしたいですね!
そんなわけで、火曜のお昼は
スタジオ昭和ガレージの時間です😆
やぁ皆さん、私の研究室へようこそ!
で始まるこの番組覚えてますか?
本日は昭和の歴史を紐解く上で
欠かすことのできない重要な古書、および映像である
『カノッサの屈辱』
に関して皆さんと学んでいきたいと思います。
・1990年に放映されたフジテレビの深夜番組
・当時破竹の勢いであったホイチョイプロ作製
・牧原俊幸アナによる歴史番組のようなナレーション
・紹介するのは70〜80年台の商品や世相
今日はこの世界を私のアレンジを多分に入れて
再現していきたいと思います。
<ジャンヌ山田ルクと健康飲料>
女性受けの悪かった滋養強壮を目的とした健康飲料
これを広く普及させるため、大塚製薬はこの大任を
一人の女性に託す。
その人こそジャンヌ山田ルクである。
すでに多数のレギュラーを持ちゴールデンを中心に
山田イ国を形成していた彼女の力は絶大。
山田かつてない勢いを借りた啓蒙活動は
大きな威力を発揮。
ファイブミニは外食続きで“繊維喪失”した女性たちに
再び活気と戦う意欲をもたらした。
これを「ジャンヌ山田ルクによる女性開放運動」
という。
女性開放運動はこの後
鷲尾功子の“鉄骨飲料”
斉藤由貴の“オリゴCC”
へと引き継がれていく
このような革命の影に1960年代から始まった
名もなきヤクルトおばさん達の地道な活動
があったことを忘れてはならない。
<ユーミン西太后の圧政>
神田川により暗いイメージを植え付けられた
フォークソングは、彼女の出現により
ニューミュージックへと転身していく。
78‘から始まるサーフ&スノー・イン・葉山
その後に続くサーフ&スノー・イン・苗場
によりユーミン西太后の夏冬行脚が始まる。
彼女のコンサートに出かけることこそが
若い女性のステータスとなった。
さらに“ユーミン谷の詩人”松本隆と
松田聖子プロデュースを開始。
女性の神ユーミンに選ばれた聖闘士聖子は、
流星拳のごとくヒット曲を連発
荒井由実時代を知らない子供達をも取り込みユーミン西太后の地位を盤石のものとする。
こうした彼女が作り出すお洒落な世界は女性たちの欲望を煽り、1980年代後半には本格的なデート資本主義時代を迎える。
新宿や渋谷がメインであったデートスポットは
代官山、六本木、麻布へと変わり
男たちはユーミンが作り出す“お洒落魔空間”に足を踏み入れなくてはならなくなった。
ここで戦うためには宇宙刑事ギャバンのコンバットスーツのように、高価なDCブランドスーツ蒸着が必須。
それに加えてレストラン、ホテル、デートカーの確保などの経費を稼ぐため男たちは過酷な労働を強いられた。
これがユーミン西太后が稀代の悪女として男達のあいだで語られる所以である。こうした文化はバブル崩壊とともに消滅するのであった。
<ツタンカトーチャと歯磨き文明>
古来子供たちは歯磨きを悪魔の儀式と捉え
歯磨きを必要以上に拒んだ。
そしてそれはしばしば親子間での対立を引き起こした。
このような骨肉の争いに憂いを感じた
ツタンカトーチャはライオン王国の庇護のもと
毎週土曜の夜8時にコントを売り物にしたミサを開催
集合した子供達に
歯磨けよ! アビバノンノ!!
という勅語をインプリティングし
歯磨きの必要性を説いた。
ライオン王国のCMキングとして、現代歯磨き文明の
礎を築いた彼の偉大な功績は、ミュージカルとなり
多くの人に語り継がれている。
本日の講義いかがでしたでしょうか。
昭和の歴史は我々にいろいろなことを
振り返らせてくれます。
来週もまた『カノッサの屈辱』編は続きます。
それではまた来週火曜日に、このガレージで!