RX-7の関ヶ原史跡巡り・その1!・石田三成生誕地に関するカスタム事例
2023年11月29日 07時22分
「どうする家康」に乗っかって〜
✨関ヶ原の戦い 史跡巡り✨ その1
いつかじっくり散策してみたかった関ヶ原😌
「どうする家康」〜関ヶ原の戦い〜の回を見て、その思いが膨らみました!
きっと今がブームのピークで混み混みだろうけど、行ってみることにしました🙌
まずはここから!
関ヶ原の数多の史跡とはちょっと離れた、通りの多い国道沿い。何度も通った事はあり場所も知っていたけど、ちゃんと訪れるのは初めて☘️
【桃配山・徳川家康最初陣地】
家康は関ケ原合戦早朝に、赤坂から桃配山に兵を移動し、ここ桃配山の中腹に陣を敷きました。
関ケ原合戦以前の壬申の乱の際、吉野から進軍してきた大海人皇子(後の天武天皇)がここの山桃の美味しさに感動し全軍に配布、後に大勝利を治めたという故事があり、それにあやかって家康もこの地に布陣したと言われています。
関ケ原の合戦時に徳川家康が使用したとされる腰掛石と机石が今も残っています。
家康は背後の南宮山勢への牽制の意味もあってこの地に本陣を置いたが前線から直線でも2.5kmとやや距離がありました。
なるほど陣跡から関ケ原を見ると少し高さが足りないせいかあまり見通しが良いとは言えず、笹尾山の三成陣からは家康本陣が見えたのに、こちらからは笹尾山は見えるけど三成陣は見えません。
青矢印が三成陣の笹尾山(陣は見えないけど)
緑矢印がこの後訪れた関ヶ原古戦場記念館
はい、その関ヶ原古戦場記念館🙌
1階ロビーには「どうする家康」で松潤ら俳優さんたちが着用した鎧が展示されていました🎶
2階展示室前の廊下🙌
東軍と西軍の武将の家紋、旗印、馬印が描かれています☺️
これ、とっても分かり易い👍
関ヶ原の戦いの解説ボード
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コレも分かり易い👍
時間経過と共に両軍の動きがよく分かります😌
5階展望室からの眺め✨
青矢印が笹尾山の三成陣地!
赤矢印は、徳川家康最後陣地の芝生に描かれた徳川の葵の御紋✨
既にうっすらしてしまっていますが、「どうする家康」〜関ヶ原の戦い〜の回の『ツアーズ』(回の最後に登場した史跡を紹介する語り)で紹介された時は青々としたくっりき御紋でした☺️
面影だけでも見れて満足じゃ!🤭
記念館の隣のレストラン&カフェ 伊吹庵さん✨
家康プリンと三成プリンを頂きました🎶
さ、ここからは再び史跡巡りです🚗💨
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【徳川家康最後陣地】
徳川家康は午前11時ごろ、戦況が把握できないため、笹尾山の三成陣の正面であるこの陣地に本陣を移しました。そしてここから松尾山の小早川秀秋に向けて発砲を命じます。小早川隊は見事に西軍を裏切り、東軍を勝利へと導きました。
合戦後、この床几場(しょうぎば)で引見が行われ、武将達が討ち取ってきた敵の首実検をした後、2箇所作られた首塚に埋葬されました。
ちなみに「床几」は「しょうぎ」と読み、野戦時の本陣などで武将がよく座っている、折りたたみ式の椅子のこと。
【開戦地】(上)
この場所で東軍の松平・井伊隊が西軍・宇喜多隊に向けて発砲したのを機に、関ケ原合戦の火蓋が切られました。
その後、東軍・福島隊が宇喜多隊と激突しました。
【決戦地】(下)
小早川の寝返りにより東軍優勢となり、西軍の敗北が見えた関ケ原合戦。この決戦地は、東軍諸隊が我こそは三成の首を狙い、最も戦いの激しかった場所だといわれています。
【笹尾山・石田三成陣跡】
決戦前夜に大垣城を離れた石田三成は、関ケ原を一望できる笹尾山に本陣を置きます。現在、馬防柵が復元された山麓には、島左近の陣跡があり、徒歩5分程度で登れる展望台からは三成が見た景色を望むことができます。
笹尾山の三成陣地は以前訪れたことがあるので、今回は麓からの写真だけ😅💦
5分ほど登った開けた場所で、関ヶ原全体が見渡せる絶好の陣地です!
緑矢印がさっきまで居た関ヶ原古戦場記念館🙌
【松平忠吉・井伊直政 陣跡 】
東軍の先鋒は福島正則でしたが、徳川家が先陣を切ることが重要だと考えた井伊直政は、松平忠吉とともに抜け駆けし、宇喜多隊に発砲、合戦の火ぶたが切られました。
「一番槍」の名誉となったが、両名とも合戦終盤での傷跡が原因で戦後しばらくして死去しました。
【本多忠勝陣跡】
忠勝は軍監として家康本体の近くに布陣しました。
松平・井伊隊が対戦していた島津隊に向かって進撃、このときに、愛馬・三国黒を銃撃により失っています。
現在は民家の裏庭にひっそりと佇んでいます。
【島左近陣跡】
笹尾山 三成陣の竹矢来の前方に陣をおき、最前線で指揮を執ったといわれています。
銃弾を受けて討ち死にしたと言われています。
【小西行長陣跡】
関ケ原合戦が始まるとともに、北天満山から烽火をあげて味方に開戦の合図をしました。午後になり大谷隊が敗れたとの知らせを受けると、天満山を越えて揖斐郡の春日方面へ敗走したようです。
熱心なキリシタンだった為、自害できなかったと言われ、その後三成らと共に京都の六条河原で処刑されました。
【宇喜多秀家陣跡】
秀家は西軍副総帥として、合戦時には兵約17,000という主力部隊として天満神社境内に布陣しました。
戦記は盛んだったが小早川の寝返りにより総崩れ、秀秋との決闘を覚悟するものの結局伊吹山に逃れました。
後に八丈島に流され流人として84歳まで生きました。
【東首塚】
関ケ原合戦終了後、両軍の戦死者を埋葬したとされる場所です。
戦死者の霊を慰めるかのように、スダジイの大木が茂った塚があり、他に「首洗いの古井戸」もあります。
今回も史跡を回り切る事はできなかったけど、でも天下分け目の大戦の舞台となったその場所に立って、各陣を回って距離感を実感したことで、歴史上の出来事を身近に感じることができました😌
賑わいが落ちついた頃に、またゆっくり散策したいなって思っています😉
関ヶ原を後にし向かった先は、彦根のお気に入りのラーメン屋さん!
チキン野郎さん✨
実は今回の関ヶ原散策...
ここのラーメンが恋しくて彦根に行こう!🚗💨
ってなったので、その途中の
関ヶ原に寄ろう!
って事で実現しました😝
いつもながら、めっちゃ旨い🤩
ホントここのラーメン大好きです👍
せっかく彦根に来たので、そりゃ行くでしょ!
大好きな、国宝 彦根城🏯
いつものベスポジでパシャリ🙌
で、その後お茶しに向かったカフェ☕️
着いてびっくり‼️
石田三成生誕の地でした🤩👍
全くの偶然!関ヶ原散策したその日に、狙った訳じゃないのに三成さんちに辿り着くなんて!
こんなミラクル✨あるのねぇ☺️
石田三成さんちの敷地にFCを停めさせていただきました🙌凄いでしょ!
「どうする家康」で中村七之助さんが演じた石田三成で、ずっと気になっていた事がある!
劇中で石田三成が「じぶ」って呼ばれていた事😌
「じぶ」?🤔
石田三成の本名?幼名?あだ名?
気になるけど...ま、いっかって感じでした。
この地に来て、その疑問が解決🙌
石碑に『石田治部少輔三成』とありました!
【治部少輔】とは平たく言うと役職名🙌
「石田大臣」的な感じですね☺️なるほど〜
そしてその名が地域の地名として残っていました👍
三成生誕地のお向かいにあるのがお目当てのカフェ
kinopan&cafe さん✨
パン屋さん併設のカフェで、買ったパンをその場で食べられます👍
三成の家紋あんパンがあったので、もちろん購入!美味しく頂きました☺️
オーナーさんに石田町の観光ガイドを頂き三成に関する色んなお話を伺ったのでカフェを出た後、三成生誕地を散策しました!
こじんまりした史跡ですが、地元の三成愛を感じ、あったかい気持ちになりました😌
歴史ロマンに浸れた、充実な夫婦ドライブでした🤗