318Ciのお久しぶりです・ご報告・しばらくはお休み・6月24日10時35分・乗り続けますに関するカスタム事例
2021年07月08日 06時15分
大阪出身の愛知在住の29歳 赤色と姉弟、姪と甥を愛する男です(`・∀・´)。 BMW E46 318ci Mスポーツ🦊 E46のフォルムの美しさ、4発の軽快さに惚れ込み、憧れた親友の車がE36 318isだった事もあり、318を選択 「速さ」が全てではないことを教えてくれた相棒です 人生を共に駆け抜けます 通勤車でアルトラパンSS HE21S 5MT🐰 にも乗ってます!
お久しぶりです
古い写真です…3年前ぐらいかな…まだホイールも変える前、46を買って初めて実家、京都の姉のところにいった時
弟もまだ俺と身長変わらないもんな…
ほんと最近いろいろありました…
とりあえずは一段落…というか仕事も復帰したのでこちらでも報告です
先日…6月24日10:35に母が亡くなりました。
48歳でした…早すぎるといろんな方に言われました
6月8日に風呂あがりに部屋にて意識を失い、緊急搬送
救急隊員の方がかけつけた時、母の体内の酸素濃度は40%以下だったそうです
本来は90%以上らしいので半分以下でした
連絡をもらった自分も夜勤で会社に向かってる最中でしたが、上司に連絡して代車でしたがすぐ向かいました。
姉が到着するまで二時間ほど弟は一人で心細かっただろうなと思います
自分は二時間後ぐらいで到着、その後面会…
意識はもう戻らないだろうというのと、緊急事態だったので、延命に入りましたと緊急隊員の方から告げられました
一年前に入院してた時に、余命一年と宣告されていたため、自分も姉も弟も覚悟はしていました…が口に入っている酸素の管、身体中からのびる管や線…特に弟には辛い光景だったと思います。
翌日には広島から叔母とその旦那さん、次男の3人が来て意識のない母と面会…
延命治療への同意書へのサイン、母との約束通り自分がサイン。
弟の高校の事やら、いろいろ回って週末には一旦愛知へ週明けから仕事へ
しばらくの間、昼勤のみの対応をとっていただきました
けどその一週間後の火曜日、病院から連絡。
母の肺から血液へ酸素を送る細胞の1つが潰れ、肺に小さな穴があき、肺の外側の膜へ空気が漏れ膜内へ肺がたまり、肺を圧迫していっていると17時過ぎに連絡が
仕事を定時で切り上げ一旦家へ、まぁいろいろあり、46を引き取り、向かおうとしたら脱水症状を起こして、友人のマーボーさんに連絡…家でほとんど動けなかったので来てもらいました
なんとか立て直し、翌日の朝方に大阪へ
広島からも叔母のみ大阪へ
その週もなんとか乗り越えてくれた母
週末にはまた愛知へもどり仕事へ
そして人工呼吸器を口から管をいれているとそこから菌が入ってしまい、肺炎を起こすとの事で喉を切開しそちらへ挿入する手術をすることに、
個人差はあれど2週間程度がタイムリミットらしく、6月24日9:30にその手術を行うという事でした、
姉は立ち会いで病院へ
自分は仕事、弟は高校へ
9時頃から気が気じゃなかったですが、仕事に集中…
10時過ぎの休憩の時にスマホを確認すると姉から連絡があり、母の容態が急変したからすぐ向かってくれと言われすぐ上司へ報告し、会社を飛び出しました
が連絡をもらって僅か20分~30分足らずでした、姉から亡くなったと連絡がきました、だから急がずに来てほしいと
最後の時には間に合わない事は覚悟の上でしたが…まさかここまでとは思いませんでした、一旦家へ寄って必要な物や着替えなどを持ちまずは京都へ行き、姪と姉の旦那を乗せて病院へ
10:35に母が亡くなってから病室についたのが14:00過ぎでした
弟は母が亡くなってから20分もしないうちに到着したとの事でした。
聴覚は亡くなってから一時間ほどは残ってると聞いていたので弟の声は届いたのかな…と少し安心しました。
そこから病院とのやりとりや、書類は全て自分がやりました。姉と弟は母の側に居させてやりたかったので
そして母は生活保護だったので、保護課の方へ連絡、保護課に手配していただきました、葬儀屋がくるまでに母の着替えや綺麗にしてくれるとの事でしたので自分と姉は看護士さん達の手伝いをしました。弟は旦那達と待たせました。
葬儀屋到着し、18時頃に病院から移動、葬儀屋の車へ母と姉、弟
自分の車へ自分と旦那と姪
その後葬儀屋で綺麗にして頂き、棺に入れてもらい、面会。
翌日に親族のみのお別れ会をして15時に火葬でした。
いわいる、ランクが一番低い…言いたくはないですがね…自分の力不足だなと痛感しました…本当に何も出来なかった…
その後一旦母を葬儀屋へ預けて、
姉、弟、姪、旦那の四人を連れて京都の姉宅へ
それぞれの会社、学校に連絡を済ませ、
翌日叔母、叔母の旦那さん、次男は翌日の昼過ぎに
長男は新幹線で朝一に大阪へ駆けつけてくれました
長男は亡くなる前に会えてなかったので、終始辛そうでした…
自分より従兄弟の長男が1つ下、次男が5つ下
弟が10下…
弟3人に寄り添ってやる事しか出来なかったですね
無理をさせない事それだけでした
けどそれぞれいろんな感情を涙と共に出せていたのでそれは良かったのかな…と
自分と姉は泣けなかった…泣かなかったと言うべきなのかもわかりませんが…
それぞれ一人ずつ手紙を書いてもらい、最後の別れの時に棺へ
あとは好きだった物や食べ物、あとはGWの時に撮った、自分、姉、弟、姪の写った写真を入れました
墓地園へ移動し火葬…
火葬の間にうちのおばあちゃんやおじいちゃん、母や叔母からするとお母さん、お父さんのお墓へ行き掃除などをしました、火葬後、小さい骨壺へ遺骨を、全然入らなかった
悔しくて仕方なかった。
結局はお金なんだな…と、何より、弟達や姉、姪にその光景を見せる事や遺せない事が何よりも悔しかった…かな
その後、実家前にて、叔母の旦那さんに写真を撮ってもらいました
自分が抱いているのが母の遺骨です
本当に小さいなぁ…
49日までは姉の家へ
悲しむ間もなく、叔母達はそれぞれ広島へ
自分は弟の未成年後見人の手続きの為に家庭裁判所へ行ったり、
弟は大阪の今の高校を卒業したい…と言ったので、愛知からは通えないので京都の姉宅でそのまま暮らす事になりました。
今の高校入学、卒業は母と弟の約束でもあったみたいなので、なんとしてもそれに応えようとしてる弟の為に動こうと思います
まだまだ長期間かかる未成年後見人の家庭裁判所への申請など
実家の相続、まだまだやることは山積みですが、先週の木曜日から仕事復帰
身体的にも精神的にもまだまだ辛いところでしたが…働かないと何も出来ないので…
最近の出来事でした。
これでもだいぶ短くしたんですけどね…長文になってしまったなぁ…
46は降りません。
一年前母が入院した時に乗り降りしやすい車に乗り換える事を考えましたが、母に「乗り換えなんかしたら許さへんからな」と言われました。
母親ってすごいなぁと思いましたバレバレやないか
「蒼空(弟)や乃碧(姪)にとってあの車が凌(自分)の車やと思ってる、それを自分ほ為に乗り換えるのなんて嫌だ、それに二人が成人して、それぞれが車に乗るまで乗り続けるって言ってたんだからやり遂げろ」って渇入れられましたね
なので、乗り続けます。
なんだかんだ文句言ってた、姉や母にはあの車に乗るあんたが好きだと言われ、
弟や姪には憧れられ、乗せると喜んでもらえる。
降りる訳には行かない。
壊れても壊れても直して乗り続ける。
それこそ「死ぬまで」
長々すいませんでした。
また落ち着いたらまた、バカみたいにふざけた、それでも楽しい投稿をまた復活させていこうと思います