マーチのマーチターボ・サファリラリー・WRC・K10マーチ・EK10マーチに関するカスタム事例
2022年02月14日 20時12分
1987年WRC第4戦、第35回サファリラリーのマーチターボその1。
1987年WRC第4戦、第35回サファリラリーのマーチターボ。
EK10マーチターボ第35回サファリラリー参戦記/インタビュー
今 正雄◆マーチターボ(リタイヤ)
もうサファリなんか来るもんか!! と思ったが・・・
サファリラリー初出場。15年来の夢が遂に実現---------------
15年間というもの、私はサファリラリーの出場のチャンスを待ち続けていた。とはいえ、
私のレース体験は、日本国内での4×4耐久レースから始まってダートトライアル、
昨年のマレーシアラリー、フィリピンラリーだけである。
日本では一度もラリーをやっていない。
海外ラリーを2戦経験したのは、いつかはサファリラリーに出場するためのトレーニングと
思っていたからである。そのサファリ出場のチャンスが意外にも早くやってきた。
柑本(寿一)氏から「一緒に出ないか」との誘いがあったのである。返事はもちろんOK。
すぐに決まった。
そうなると、日本にいても心はサファリに飛んでしまい、仕事が手に付かないばかりか、
会社のスキースクールで両ヒザのじん帯を切るアクシデントに会い、入院するハメになって
しまった。2月20日のことであった。
しかし、サファリの夢は断ち切れず、サファリから帰ったら手術を受け、6か月入院する
ことにして、サファリラリー出場を強行した。ギプスが重く、心も暗くなるが、気力で
がんばるしかあるまい。
ナイロビでは、ピーター(ティルバリー)氏の家に柑本氏といっしょに
ホームスティで御世話になった。
ラリー一家で日本のモータースポーツ環境との違いにビックリした。
ワークショップで自分のクルマを作ったが、レッキをするゆとりもなく、
スタートの日がきてしまった。
4月16日、午後2時。
まだ夢を見ているようだ。自分がサファリラリーに出場していることが信じられない。
自分もWRC出場レーサーなのに、有名レーサーやワークスマシンの写真を撮っている
自分が妙に面白く、自分も逆の立場で写真を撮られたいなどと考えている。
午後3時、いよいよスタートである。スタート台の周りには何千人の
観客がいるのだろう。とにかくすごい人出と歓声である。私の心臓の音も、
最高レベルまで上がっている。
ナビゲーターのアシャドのリードでアクセルを踏む。私は36番、柑本氏は34番、
高崎(正博)氏は33番、マーチターボ3台の出発であった。
4月16日はTC1からTC14のナンユキまである。スタートからTC3で柑本車に追いつくが急に
エンジンが不調になりストップ。2~3分するとエンジンがかかりスタートする。
この日は、これを5~6回繰り返す。気分は暗く重くなって行く。原因は不明だ。
レストホールの手前のエンブでは投石があいつぎ、リヤサイドのウインドーを割られた。
私の場合はビール瓶だった。これ以外にも何十回も投石され、パンクもし、
時間がなくなるため気持にアセリが出て、ナビのアシャドとのコンビネーションも
うまく行かない。
こうして、やっとナンユキのレストホールトにゴールする。
驚きの連続ながら、前半2日間を無事終了。---------------------
4月17日(TC15~38)
ナンユキからカバルネットまで。朝のスタートは快晴に恵まれた。
広大なサファリの大地が、私の見てきた夢とピッタリ合う。
サファリラリーに出場している実感が湧く。
私がリタイヤするまでのコースのなかで一番好きになった。
ここで初めて49番のレインジローヴァーをパスしたが、
砂ボコリのすごさにビックリした。青森の吹雪のなかを走っている感じ。
さすがサファリである。
アシャドはポレポレ(ゆっくり)と言うが、前が見えないくらいならパスした方が
タイムが稼げると抜く!!
ここで初めてナビから「ドリフト注意」と聞く。来た!ドリフトだ。
そしてドリフトの意味が初めてわかった。直角に落ち込んで直角に登る
クルマ2台分の穴なのだ。
一瞬止まって考える。その隙に、パスしたレインジローヴァーにパスされる。
さすがに4×4は何なくドリフトを渡り切る。よし、こっちもスピードをつけて渡るが、
ギリギリセーフで登り切った。
これでひと安心と思ったら、このドリフトが後から後からと続く。
「こんなところ走るのかよ」と、何回もナビに聞く。アシャドいわく、
「ジス・イズ・サファリ」。
そうなんだ、これがサファリなんだと自分に言い聞かせる。
ホコリや前車のはね上げる小石に悩まされながらようやくレストホールまで
たどり着く。ようやく一休みできる。
でも私の場合は、2~3時間がいいところで、ワークスチームは5時間ぐらい休めるようだ。
TC28~29。
キムスに向けてスタート。オーバーヒートするので、サービスセクションで
ラジエーターをチェック。少し水を足す。
だが、暗くなるにつれてエンジンが不調になりミスファイヤーも出る。
ここでリタイヤかと思う。
エンジンをだましだまし走るが、スピードは上がらない。急な登り坂が苦しく
登りきれるかと不安が続く。
アシャドに何回となく「下り坂はまだ?」と聞く。「もう少しだ」と返事があるが、
長いアップヒルのコースだった。ようやく下りになって遅れを取り戻すが
ここでまたアクシデント。
コースがでかい石でふさがっている。降りて石をどけていると
レインジローヴァーが抜いて行く。
今度は2度目の投石でフロントガラスの一部が割られ、前が見えにくい。
「ああ、もういやだ、こんなラリー」と思う。するとまた、
コースが木でふさがれている。どけるとスバルに抜かれる。
人のためにどけているようなもんだ。ちきしょうと思う。
そして、エンジンストップ。もうだめだと思う。だが5分するとエンジンが動きだす。
このままだとタイムアウトになってしまうので、キムスに向かう。
メジャーサービスで、不調の原因はデストリビューターとにらんで交換。
フロントストラットとマフラー交換するが、リヤストラットは交換できない。
とにかく全開でレストホールトへゴールする。あと5分遅かったらタイムアウトだった。
サファリラリーのむずかしさを知る。
クラッチトラブル!第3レグで無念のリタイヤ。--------------------
4月18日(TC39~)
3日目。気持は"あと2日〃だ。もう少しだし、半分は来たという感じだった。
デスビ交換のおかげでエンジンの調子は良く、ナビとの会話にも慣れ、
1、2速のトルクに不満はあるもののナクルまでは行けそうな気がした。
ドリフト、ディッチ、コーションマークなど思いどおりに走れた。
エンジンは止まらない。ラフロードも全開で走れる。心配なのは、
両ヒザの痛みとけいれんだけだ。心の中で"気力、気力〃と叫ぶ。
好調に走り続ける。このまま行けばナクルのメジャーサービスで、
受けられなかったサービスが受けられる。1時間はサービスタイムがとれると
思った瞬間、TC47の手前35kmでクラッチディスクがバーストし、走れなくなる。
エンジンは好調だ。なんとか走らせようとするがダメ---。
アシャドが「ジス・ラリー・フィニッシュ…」
このラリーは終わった。まだ夢のような気分でボンヤリしていると、
地元のトラックが来た。
1000シリングで話をつけ牽引してもらう途中「もう、こんなラリーは来ないぞ!
投石、サービスタイムなし、危険だ、来ない!」と思った。
指定の場所でサービス隊を待つことになった。その時、ラリーコースしか
見ていなかった私は、周囲の大草原に気づいた。それを見ていると、
涙が急にあふれて止まらない。アシャドが「心配するなお前のせいじゃない。
マシントラブルだ。このクルマで良く頑張った」と言う。
今度は、声をあげて泣いてしまう。自分を抑えることができなかった。
大草原に座り、じっと見ていると、いままでもう来ないと思っていた気持が
「また来よう、このサファリに。何年かかろうが完走するまで来て走ってやる。
これでやめたら男じゃない。必ず来る!!」涙をふきながらそう思うようになっていた。
写真家の清水(博志)氏とケニヤ入りの飛行機でいっしょだったが、
彼が「サファリはリタイヤしてもまた来たくなる不思議なところなんだ」と
言っていたことを思い出す。
本当にそうだ。私の夢は終ったのではなく、まだまだ続くんだなあ。
サファリを経験できたことは、人生で非常に貴重な財産になるだろう。
日本に帰ったら社員や友達にサファリのすばらしさを話してあげたい。
ピーターやサービスクルー、日産自動車の方々、ジャーナリストのみなさんにも、
いろいろお世話になった。青森に来られることがあったら、サファリの思い出を肴に
酒を飲みたい。私のサファリラリー走行距離約2260km。
次はこれ以上長く走ることを誓って、サファリバンザイ!また来るぞ!