ボクスターの佐布里池に関するカスタム事例
2020年11月09日 16時44分
今日は、佐布里池にやってきました。地元知多半島には、峠が無い。この池の周りの道は、適度にうねっていて、走るには丁度いい。
80年代後半は、F1とモトGPやバリバリ伝説の人気もあり、地元の若者はみんなクルマやバイクでこの池に集まったものだ。
最終コーナー立ち上がりの後、池の真ん中を横切る橋を渡り、フィニッシュだ。この最終コーナーの看板がある横の木に、何人ものライダーがぶつかって死んだ。今もその木には、傷跡が残る。このコーナーでコケた奴が、対向車の下に挟まり、持ち上げて救出した事もある。
橋の欄干の部分に、当時2番目に速いとされていたZが、ぶつかった。ドライバーは、4点式を締めていなかったので、橋の中央までドアと一緒に投げ出されていた。
顎から上が無い状態で、彼は死んでいた。助手席の友達は、ベルトをしていたから無傷だったが、精神の糸が切れたようになっていた。
人が死ぬ事を何故か冷めた目で見ていて、自分の命を軽く考えて、限界まで走っていた。狂った青春だった。
今では、減速帯が入れられ、誰も走っていない。このギャラリーコーナーには、朝から何十台もバイクが集まっていた。とても懐かしい。30年も昔の事だが、鮮烈に覚えている。
紅葉の時期なので、観光客が割と集まっていた。
今、池に水は無い。かつては、巨大な草魚が沢山泳いでいた。テレビの池の水を抜く番組に水を抜かれてからずっと何年もそのままだ。
あの番組を俺は微妙な気持ちで見ていた。くだんのZのドライバーの頭が、橋の上からは、見つからなかったからである。
駐車場の出口。かつては、ここが、スタート地点であり、沢山のライダーが、順番待ちで並んでいた。
農道。佐布里池と同じく、かつての走り屋に愛された道。このコーナーで、俺のシビックは、廃車になった。この事故で、当時付き合っていた彼女には、申し訳無い事をした。その後買ったロードスターは、10年乗り続けた。バブル期の俺は、一流企業をやめて、水商売から任侠の世界に入り、彼女と別れる事になった。
あの子の事を思い出して、彼女の家の前を30年ぶりに、通ってみた。町並みは、すっかり変わっていて、行き止まりをUターンすると、道にあの時と少しも変わらない彼女が立っていた。
ふと窓の外を見たら、オープンカーが見えたので、出て来たらしい。
お互いの気持ちは、あの頃と変わらなかった。
あの子は、あなたは特別な人だからこれが最後ね。と言った。俺は、さようならお元気でと告げた。
特別な、一日だった。お幸せに…