フーガの奈良県葛城市長尾・長尾神社・白蛇のしっぽに関するカスタム事例
2018年11月06日 20時53分
フーガに乗って6年半になりました(_ _) ええ年こいて未だに車いじり止めれません(^_^;) 匍匐前進で進化していきたいと思うので( ̄▽ ̄;) ヨロシクお願いします(_ _) 注)基本来るものは拒まず去るものは追わずですが(^_^;) 1度も投稿の無い人は受けませんので(>_<) (お礼のコメント入れられないので)(^_^;) 1度投稿してからフォロー頂けたら助かります(⌒0⌒)/~~ (お礼のコメント入れられるので)(^_^;)
今回は同じく10月の最後の日曜日に長尾神社をバックに撮りました(⌒0⌒)/~~
長尾神社は奈良県葛城市長尾にあり葛城市の総社になり、旧大和国の葛下郡の式内大社で、旧社格は郷社になります(⌒0⌒)/~~
長尾神社の主祭神は天照大神「あまてらすおおまかみ」・豊受大神「とようけのおおみかみ」・水光姫命「みひかひめのみこと」(豊御富)・白雲別命「しらくもわけのみこと」になります(⌒0⌒)/~~
日が差し込んでる参道の第一鳥居でパチリ(⌒0⌒)/~~
由緒に歴史ですが、長尾の森の広大な神域に鎮座し『延喜式神名帳(えんぎしき じんみょうちょう)は、延長5年(927年)にまとめられた「延喜式(えんぎしき)は、平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)で、三大格式の一つ」』に、「葛下郡長尾神社、大、月、次、新嘗」と、記されている式内の古社になります(⌒0⌒)/~~
この辺りを支配していた長尾氏の氏神とされるが定かではなく、また吉野連との関係があるとされる。『日本三大実録(にほんさんだいじつろく)は、平安時代に編纂された歴史書』に、「貞定元年巳卯(875年)正月27日大和国従五位下、長尾神社従五位上」とあり、9世紀にはこの地に鎮座していたそうです(⌒0⌒)/~~
一の鳥居の裏からパチリ📷目の前の線路は近鉄南大阪線です(⌒0⌒)/~~
社伝によると、寛平9年(897年)より弘安4年(1281年)までの間に九階進昇。弘安4年には正二位、江戸時代には正一位にまで昇進した。『放光寺古今縁起』(1302年)や、『大和志』(1736年)によると祭神は伊勢神宮の内宮及び外宮の大神天照大神、豊受大神である。伊勢の神宮の真西鎮座している事から、古くから人々の篤い信仰を得た神社でありました。(⌒0⌒)/~~
また住吉・熱田・諏訪の神々も祀られている。江戸期の文献では、水光姫命・白雲別命も祀られたとあり、また『放光寺古今縁起』には「長尾神社は葛下郡全体の総社である天武天皇が壬申の乱(672年)で勝利した後に感謝の気持ちから
葛下郡一郡を当社に献じられた」と記されてます(⌒0⌒)/~~
鎮座地は竹内街道、長尾街道、横大路が交差する交通の要衝であり、古来より交通安全、旅行安全の神として篤く信仰されている。参道は拝殿に向かって東西に長く伸びており一の鳥居は近年新たに竣工した。二の鳥居の両脇には「なでかえる」が配されて、参拝者を見守っており、安産の神としても名高いそうです(⌒0⌒)/~~
また水光姫命は、古事記や日本書紀に体が光って尾が生じていたと記されており、神様の化身が白蛇であると言われるところから蛇の頭が大神(おおみわ)神社で尾が長尾神社という伝承がある。更に長尾神社は西日本の長尾姓の発祥地と表記されているが、苗字帯刀の頃より吉川家が代々受け継いでおり、関係性は定かでないそうです(⌒0⌒)/~~
光の差し込みにしたらおかしい角度の光があるなぁ~(^_^;)
白蛇のしっぽかな(^_^;)?それならありがたいけど(^_^;)
今回は奈良県葛城市長尾の長尾神社をバックに撮りました(⌒0⌒)/~~