718 ケイマンのポルシェ・天台宗飯縄寺・外房・波の伊八に関するカスタム事例
2021年10月30日 08時11分
いいね!をいただいた皆様、フォローしていただいている皆様どうも有難うございます❗️ 初めて購入した車が新車で買ったゴルフ2。それから、かれこれドイツ車ばかり20台近く乗り換えています。E46やE90、オペルなんかも乗りましたが写真がほとんど残っていません。 ということで、自分の自己満足の為だけに写真をアップしています😅 そんな…車好きのちょい悪オヤジですが、宜しくお願いします。 フォロー数稼ぎの方はご遠慮ください。
ココは、いすみ市岬町にある天台宗飯縄寺です😊
以前投稿した「波🌊の伊八」の初代伊八の有名な「天狗と牛若丸」「波と飛龍」の作品があるお寺です。
まずは、仁王門をバックに718ケイマンくんと😁
室町期様式の藁葺き屋根で、鳥が翼を拡げたような美しい形をしています。
平成23年に約400年ぶりに大改修をしたものです。
この荘厳な仁王門だけでも、このお寺が由緒正しい立派なお寺さんなんだなぁ〜と感じます😊
随分と塗りが剥げてしまっていますが、こちらが阿形像ですね😡
この怒り💢の表情を顕わにした形相が怖いです。
そしてこちらが吽形像です。
怒り💢を内に秘めた形相😠がなんとも言えない感じがしますね。
拝観パンフレットによると、飯縄寺の縁起は…
『西暦808年(大同三年)慈覚大師開山。天台宗・明王山無動院飯縄寺。元は満蔵寺と称した。
戦国の世に武田氏が伝え土岐氏に引き継がれて拡まった飯縄信仰により太東岬に別当として飯縄大権現を祀り、江戸初期に御本尊に迎え「飯縄寺(いづなでら)」と改め現在に至る。
「飯縄大権現」は白狐に跨った烏天狗の御姿で火防・海上安全・商売繁盛・無病息災など十三のご利益がある。神仏融合の寺で天海とも縁が深く、江戸中期には東叡山(上野寛永寺)直轄となる。
以来、地元はもとより江戸からの参拝も多く、栄華を極め、寛政9年(1797)現在の本堂が再建された』
と書いてありました。
因みに拝観料は300円です🙂
手前が手水舎で、後ろが鐘楼です。
手水舎は1797年に建てられたものです。
このショット、雰囲気ありませんかぁ〜😁
こちらは鐘楼です。
平成22年に改修されたようです。
パンフレットには…
四面に花鳥風月の彫刻が施され、「上総国東金町住人建方彫工大木飛弾」の銘があり、大木飛弾藤原綱行とわかると書いてあります。
鐘楼だけでも充分に立派なんですよ😊
案内板にはさらに詳細な説明がありました😊
いろいろなお寺さんで鐘楼を観ていますが、ここまで彫刻を施した鐘楼は初めてですね〜
逆光で彫刻部分が全然分かりませんが😅💦💦
鐘楼あたりから仁王門を振り返ったショットです。
手入れが行き届いた境内ですね😊
最近若いギャル達の間では、おみくじを括ってあるのと一緒に映るのが映えるんだとテレビでやっていました😆
ところで、お寺のおみくじと神社⛩のおみくじの違いって知っていますか?
元々おみくじは中国から伝わってきたらしいです。
おみくじは武士が引くもので、戦いの行方などを占うものでした。かの明智光秀は、本能寺の変の前に京都の愛宕山で何度もおみくじを引いて戦局を占ったと『信長公記』に書かれています。
では違いはというと…
まず文章形式が違います。基本的にお寺さんが漢文なのに対して、神社のおみくじには和歌が書かれています。
おみくじは武士や僧侶が占うもので、彼らは漢文を嗜んでいました。江戸時代までは寺・神社ともに同じものを使っていたのですが、明治時代、神仏分離が政府から言い渡され、神社は寺と違うものを扱うようになったということです。
神社で和歌が載せられるようになったのは明治中期。女性解放運動を推進していた、山口県の二所山田神社の宮司が、『女子道』という機関誌を創刊するための資金源として、和歌を載せたおみくじを出したことが始まりなんですって。
まぁ、私は寺院でも神社でも、おみくじは引きませんが。
さぁ、いよいよ本堂に着きました。
飯縄寺は、初代波の伊八と天狗👺で有名なお寺ですから〜
ここからが本番です❣️
あっ、ちょうどお時間になってしまいました😆
この続きは明日の投稿で🤣