GTOのお馴染みお茶🍵シリーズ・Facebookのオススメ・なんでこの試合がおススメに?・猪木vsハンセン・ターニングポイントに関するカスタム事例
2024年12月23日 12時20分
お喋りする不思議な車GTO嬢とお笑い一筋のもどきのコントがメインのレトロ大好きお笑い投稿です。 ジークO嬢!( ゚д゚)!エコ促進政府と闘うGTO嬢は、ノーマル車両軍のキャプテンでもありますヾ(๑╹◡╹)ノ"。
も「ふー、ズズズ(茶をすする音)のほっ🍵😌。」
嬢「ふー😓、またお茶🍵すすってるわ!いつものお馴染みお茶🍵シリーズね🤔」
も「あっ、お嬢、渋茶をいれてくだされ。熱いのを。」
嬢「ぼぼぼぼ(茶を注ぐ音)」
も「んまい😃!やっぱりお嬢に煎れてもらった茶🍵は格別じゃわい。」
嬢「はいはいƪ(˘⌣˘)ʃ、それじゃ今日のお茶🍵ネタは何なのかしら?」
も「昭和プロレス考じゃ😤!」
嬢「へ?🤨」
も「1980年2月、猪木が28回連続防衛をしていたNWFヘビー級タイトルをスタンハンセンに奪われた試合じゃ😤」
嬢「何故唐突にそれが?🤨」
も「Facebook見てたら、オススメで出てきたんじゃ💦。猪木さんがなくなったのが2022年10月1日、もう2年以上経つのか😢」
も「この時、もどきは15歳のプロレス少年じゃった!」
嬢「スーパーカー少年でもあり、特撮ヒーロー少年でもあり、ロボットヒーロー少年でもあり、プロレス少年でもあったのか!ƪ(˘⌣˘)ʃ…ガキだわ。」
も「かああっ( *`ω´)!少年が凄いもの、カッコいいものに憧れるのは当たり前じゃ!それが無くなったら世界はお終いじゃ🌎😠……もうお終いなのかも😩?」
も「晩年のアントニオ猪木は、技を受けて、耐えて、延髄斬りで逆転って試合が多かった。しかし、この頃の猪木は強いイメージしかない。ハンセンも強かったが、よもや猪木が負けるなど思ってもなかったもどき少年だったのじゃ😤」
嬢「ふーん🥱」
も「この試合はリアルタイムで見て以来、44年ぶりの視聴じゃよ。」
も「今回、改めてこの試合を見て、この試合が猪木のターニングポイントになった試合、いや、日本プロレス界のターニングポイントであったと確信した😤。たぶん天国におられる猪木さんも『おっ、よく気付いたな!』って思ってらっしゃるに違いないぞい。」
嬢「へっ😕?さっぱり分からんぞ。」
も「ターニングポイントは2点ある。一つは猪木のレスリングスタイルじゃ。この試合までは、中盤まではグラウンドやヘッドロックなど地味な技で相手のスタミナを奪いつつ、最後は必殺技で決めるスタイルじゃった😤。」
も「ハンセンも鶴田と修行しただけに基本が出来とる。寝技も猪木と充分に対抗しとる。しかし、卍が決まってこれで決着かと思った😤」
嬢「ふんふん🥱」
も「ところがハンセンが卍を切り返した!従前のプロレススタイルが崩壊した瞬間じゃ。この試合以降、『自分が一番強い』をウリにしてた猪木が『相手を引き立たせる』スタイルにモデルチェンジしたように感じる。」
嬢「そうなの?🤨」
も「そう。もどきにとって、猪木に対する印象は、ハンセンに負けるこの試合と、その後とで180度違うんじゃ。」
も「そして、エプロンの猪木に2発目のラリアット!リングアウトで猪木の負け。ベルトを奪われる。2つ目のターニングポイントじゃ!」
嬢「2つ目とは?🤨」
も「ヒールスターの誕生じゃ。それまでの昭和プロレスは力道山先生以来、日本人レスラーが悪役外人レスラーに勝って沸くというスタイル。マスカラスやファンクスやデストロイヤーのように、正義側の外人レスラーが人気を博することはあっても、外人ヒールが人気者になるなど夢にも思ってなかった時代じゃった。」
も「この後、ブロディもホーガンもベイダーもそうじゃが、実力ある外人レスラーは大スターになり得る法則が生まれた。もはや敗戦後の日本🇯🇵、アメリカ人に勝て日本人🇯🇵ではなくなった瞬間でもある😤」
も「この試合は猪木の負けじゃが、改めて視聴すると、強い猪木の集大成のような試合じゃと感じる。生涯のベストバウトではないだろうか?体格的にもパワー的にも敵わない敵に真っ向から戦い、むしろ猪木ペースで試合を進めとる。」
嬢「なるほど🧐」
も「しかし、この試合後は、大型外人レスラーに対しては、相手ペースで試合をさせ、隙を突いての延髄斬りや逆さ抑え込みで、『相手の価値を落とさない』試合に徹するようになったように思う。」
も「リターンマッチで猪木は伝説の刺し違えラリアットでベルトを奪還するが、その時猪木は『ハンセンのラリアットの価値を落とさなかったか?』と真っ先に心配したそうだ。」
嬢「ふーん🤨」
も「猪木は、自分に続く日本人スターが出ないことを憂慮していた。日本人しかスターになれないと思っていたからだ。だから自分がトップを張るしかないと思っていた。ところがよもやよもや、ここにスターになる者がいた!観客の物凄い反応を見て、そう感じたのだろう。この試合がなかったら、ヒール対ベビーフェイス、日本人対外人の時代が続いて、前田も長州もあそこまで行かなかったかもね?😀。」
皆さんも1980年2月の猪木vsハンセンをご視聴ください。
最後の強い猪木がそこにいます。