フーガの奈良県生駒郡斑鳩町岡本地区・法起寺・三重塔と講堂・仕事復帰・ローガンに関するカスタム事例
2019年06月17日 21時08分
フーガに乗って6年半になりました(_ _) ええ年こいて未だに車いじり止めれません(^_^;) 匍匐前進で進化していきたいと思うので( ̄▽ ̄;) ヨロシクお願いします(_ _) 注)基本来るものは拒まず去るものは追わずですが(^_^;) 1度も投稿の無い人は受けませんので(>_<) (お礼のコメント入れられないので)(^_^;) 1度投稿してからフォロー頂けたら助かります(⌒0⌒)/~~ (お礼のコメント入れられるので)(^_^;)
こんばんは(⌒0⌒)/~~
今回は6月14日(金)に別の三重塔をバックに撮りました(⌒0⌒)/~~
斜めおちり(笑)(⌒0⌒)/~~
場所は奈良県生駒郡斑鳩(いかるが)町岡本地区になります(⌒0⌒)/~~
お寺の名前は『法起寺(ほうきじ、または、ほっきじ)』と言います(⌒0⌒)/~~
ちょい斜めおちり(笑)(⌒0⌒)/~~
法起寺は聖徳宗の寺院で、古くは岡本寺、池後(いけじり)寺と呼ばれたそうです(⌒0⌒)/~~
創建は舒明天皇10年(638年)で、本尊は十一面観音菩薩になります(⌒0⌒)/~~
真おちり(笑)(⌒0⌒)/~~
聖徳太子建立七大寺の一つに数えられることもあるが、寺の完成は聖徳太子が没して数十年後だったそうです(・・;)
三重塔の横は講堂(本堂・観音堂)で、元禄三年(1694年)の再建だそうです(⌒0⌒)/~~
法起寺は『法隆寺地域の仏教建造物』の一部として世界遺産に登録されています(⌒0⌒)/~~
法起寺のある岡本地区は聖徳太子が法華経を講じた『岡本宮』の跡地といわれ、聖徳太子の遺言により子息の山背大兄王(やましろのおおえのおう)が岡本宮を寺に改めたのが法起寺の始まりらしいです(⌒0⌒)/~~
斜めおちり(笑)パート2(⌒0⌒)/~~
創建当時の建築で、現存するのものは三重塔のみで、昭和35年(1960年)以降実施された境内の発掘調査によって金堂跡・講堂後が検出され、中門についても瓦積基壇の後が検出され、創建当時の伽羅配置が判明したそうです(⌒0⌒)/~~
旧伽羅は、金堂と塔が左右(東西)に並び、法隆寺西院の伽羅配置と似るが、法隆寺と逆に金堂が西、塔が東に建つもので、このような形式を『法起寺式伽羅配置』と称してるそうです(⌒0⌒)/~~
いつも最後まで見てくれてるフォロワーさんへ(⌒0⌒)/~~
今日から半日勤務ですが、約一年半振りに会社に復帰しました(_ _)
休んでる間にカーチューンを知り沢山のフォロワーさんと知り合うことができました(⌒0⌒)/~~
精心疾患でしたがそれ以上悪くなる事もなく今回の復帰はフォロワーさんのお陰でもあります(_ _)
ほぼ毎日投稿してきて投稿数も700越えました(^_^;)
これからも仏閣や田舎の風景に季節の花などアップしますので、ペースは落ちるかも知れませんが(^_^;)
これからもよろしくお願いいたします(_ _)
斜めアングル斜めおちり(笑)
今回は6月14日(金)に奈良県生駒郡斑鳩町岡本地区の法起寺をバックに撮りました(⌒0⌒)/~~