フリードの鋸山ヒルクライムに関するカスタム事例
2021年04月10日 09時01分
〜 鋸山ヒルクライムから33年 〜
免許取得後、初めて買った車、KP1号車(フルーツライン下り仕様(笑))で、会社連中と鋸山へ。
鋸山付近で、遠くから叫んでるような声が聞こえてきました。国道沿いのトンネルを抜け、登口へ着くと声の主が分かりました。数台の館山署の警察車両が、拡声器で競技の中止を主催者に何度も呼びかけていた声でした。
その為、麓は物々しい雰囲気。
(警察が計4回に渡り、3月末から中止勧告していたそうですが、責任はとるという事で強行したそうです。3月末では、CARBOY企画、それに伴うヘリのチャーターもあり、主催者側もやめるにやめられない状況だったと思われます)
麓に車を止め、スタート地点のトンネルを歩いて抜けると、麓の雰囲気とは違っていました。
2回目という事もあり、エントリー台数は、初戦より97台も多い台数となり、コーナーには溢れかえるほどのギャラリー(1.8㎞のコースに3,000人ほど)、人間ガードレールと言っても過言ではないコーナー、また、コーナー手前には、手作りの看板が設置され「最低速度80km」とか「フェイント禁止!」とか、笑えるけど、いき過ぎた感じも。
午後、立見が疲れたのか、危険なコーナーでも座って観戦してる人か多く見られた、終盤の16時過ぎ、午前中観戦していた、2つ上の左コーナーで事故は起きました。
ギャラリー3名の方が重傷。そのうち1名の方は足を切断する大けがを負った事故となりました。その時点で、2回目のタイムアタックは51台を残し中止。
また、競技とは無関係ですが、1ヶ月後の5月18日夕方、下り左コーナーで岩に激突後乗り上げ、炎上焼死する事故が起き、同自動車道で立て続けに大きな事故が発生。
主催者の「ROUTE 6」は、当時、6国と環七の交差点に、大きく真っ赤な看板がありましたが、無くなり、代名詞だったクロスミッションの製造、販売も現在はしていません。また、エキスパートクラスで連覇し、一世を風靡した「JAMレーシング」は、今はありません。
33年経過している今、浅間、BRIG、ハチ高原のように、新たなヒルクライムも開催されています。
鋸山での競技の復活は事故による前例がある為、難しいとは思いますか、開催が終了した「幕張(北)のAIR RACE」に変わる、「鋸南町(南)のヒルクライム」のように、新たな主催者が人数制限や安全対策を行い「鋸山ヒルクライム」を復活させてくれる事を期待しています。
長文、読んでいただきまして、ありがとうございました。