フーガの橘寺後編・奈良県明日香村・厩戸皇子(うまやどのみこ)に関するカスタム事例
2018年09月03日 22時25分
フーガに乗って6年半になりました(_ _) ええ年こいて未だに車いじり止めれません(^_^;) 匍匐前進で進化していきたいと思うので( ̄▽ ̄;) ヨロシクお願いします(_ _) 注)基本来るものは拒まず去るものは追わずですが(^_^;) 1度も投稿の無い人は受けませんので(>_<) (お礼のコメント入れられないので)(^_^;) 1度投稿してからフォロー頂けたら助かります(⌒0⌒)/~~ (お礼のコメント入れられるので)(^_^;)
今回は明日香村の橘寺をバックに撮りました後編です(⌒0⌒)/~~
と!言ってもメインはほとんど紹介してます( ̄▽ ̄;)(笑)
とにかく西門のひょっこりはん(笑)
前回は後光のかかった東門まで紹介しました(⌒0⌒)/~~
東門から西門(⌒0⌒)/~~
少し戻って(⌒0⌒)/~~
釣り鐘手前を左に曲がり裏からパチリ(⌒0⌒)/~~
前回書きました五重の搭が落雷でそして再建した三重の搭も室町時代の1506年に全て焼き討ちにあったらしいです( ̄▽ ̄;)
風格ある建物ですが調べてもわかりませんでした( ̄▽ ̄;)
本堂の裏通り(⌒0⌒)/~~
焼き討ちにあって橘寺が衰退していったんですがそれでも聖徳太子ゆかりの寺として寺基は保ち続け元治元年の1864年に太子堂(本堂)が再建されました(⌒0⌒)/~~
前編で撮った本堂から裏庭を反対で裏庭から本堂(⌒0⌒)/~~
これが二面石になります(⌒0⌒)/~~
左側の顔(⌒0⌒)/~~
こちらが悪面らしいです( ̄▽ ̄;)
こちらが右側の善面なんですが暗くて判らない( ̄▽ ̄;)
人間の心の持ち方を現した飛鳥時代の石像物の1つらしいです(⌒0⌒)/~~
二面石のそばに歌碑が(・・;)?
歌人の曾津八一さんが明治41年に初めて奈良を訪れ詠った歌見たいです(^_^;)
西門とオチリ(笑)(⌒0⌒)/~~
リアのホイールが特に好きです(⌒0⌒)/~~
奥の駐車場で撮って(⌒0⌒)/~~
光の当たり方が何かイイ感じ(⌒0⌒)/~~
本堂と(⌒0⌒)/~~
本堂には本尊として聖徳太子坐像が安置されています(⌒0⌒)/~~
橘寺のなの由来は推仁天皇の命により不老不死の果物を取りに行った田道間守が持ち帰った橘の実を植えた事に由来するらしいです(⌒0⌒)/~~
正式には仏頭山上宮皇院菩薩寺と言うそうです(⌒0⌒)/~~
橘寺を後にして大通りに出てきたら(・・;)?
また聖徳皇太子御誕生所の石碑が(・・;)?
ここと言うよりこの地でと言う意味ですかね(^_^;)
用明天皇の第二子で厩戸豊聡耳皇子で皇后が馬司の所においでになったとき、厩の戸に当たられた時に難なく出産。と伝わってるそうです。
厩戸皇子(うまやどのみこ)と呼ばれ馬小屋で生まれたからではないらしいです(^_^;)
歌碑あったけど(・・;)?
秀吉(・・;)?
あっ(^_^;)
お守りまた買っちゃいました(^_^;)
今回は明日香村の橘寺をバックに撮りました後編でした(⌒0⌒)/~~
長くなりました(^_^;)
最後まで見ていただきありがとうございました(_ _)