スープラの東日本大震災から10年・ご冥福をお祈りいたします。・ガンバっぺ東北に関するカスタム事例
2021年03月11日 14時59分
東日本大震災から10年になりますね。
震災時私は多賀城におりましたが、あの揺れの中 留守番してた愛犬の事が心配で帰宅しました。
この辺りの道路も詳しく渋滞を避けて裏道を走り帰宅しました。
間もなく大津波がやって来ましたが自宅は海岸沿いではありましたが、高台だった為津波の被災は回避する事ができましたが地震で家の中割れたガラスや荷物で足の踏み場もなく丁度庭にプレハブを設置したばかりでしたのでプレハブで生活をする事になりました。
夕方から雪が降ってきて気温も下がって来ましたが電気、水道、ガスのライフラインも止まってファンヒーターも使用できない状態どうやって暖を取るか考えました。
そう言えば物置小屋の中に捨てようと思ってたストーブが有る事を思い出し引きずり出して暖を取る事ができました。
私はこの様に条件の良い状況でしたが、津波で衣服が濡れた状態であの寒さの中過ごされた方々は大変だった事でしょうね。
テレビも見る事もできずラジオだけの情報では周りの状況が分からず2~3日プレハブの中で過ごしました。
自衛隊の方々も飲料水を持って来てくれる様になりポリタンク持って寒い中長い行列に並んで水を確保しましたがこの時ほど水のありがたみを感じた事はありませんでしたね。
食べ物も底を付きそうになりましたがパン等の配給も丁度始まりなんとか繋ぐ事ができました。
1週間ほどたった頃にだんだん被害状況がわかってきましたがゾッとしました私が帰宅する際に通った道路は津波で全滅逃げ遅れて亡くなられた方々も沢山でしたやっぱり車で逃げ様として渋滞にはまり津波に流された方々が多かったみたいです。
長くなりましたが、日本の国に住んでれば全国どなたも海岸線の近くにお住まいの方々は被害を受ける可能性がありますので少しでも津波の恐ろしさを知って頂きたく投稿させて頂きました。
自然を甘く考えず非難警告が出なくとも自分の判断で逃げて下さい最後は誰も助けてくれない自分の命は自分で守るぐらいの気持ちも必要です。
お住まいの周りの状況、非難通路、非難場所等家族で話し合う事も必要です
携帯も繋がらなくなりますので。
最後に東日本大震災で亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。