コペンの幸せは自分自身で見出す物で他人から与えられる物では有りません!最高だね!・貧乏しても心❤️の貧乏人には成りたく無いですね!最高だね!・人は人!自分が納得出来る生き方をしましょう最高だね!・楽しく心❤️豊かに過ごしましょう!最高だね!・人生は楽しんだ者勝ち🏅ですよ!最高だね!に関するカスタム事例
2024年08月16日 21時13分
1945年生まれの少年です、身体は老いても心と気持ちは少年です!よろしくお願いします🏍🚗💕🙇♂️ 毎日の日々を大切に‼️ 一時、一時を楽しく有意義に過ごす事、 一生で二度と来ない日々です、🎵❤🎶💕🙇 MAXスピードの独り言です! 自己中!自己満足!身勝手!投稿です!よろしくお願いします!💕😊❤️🎶🙇♂️🚗 人は人!人それぞれです!他人を中傷!否定する物では有りません!
おはようございます!
今日は朝から台風🌀💨接近!5月20から脚の血管手術から休んで3ヶ月ぶりに仕事走り楽しみました!
家内は20日過ぎから依頼受ければイイのに何で請け負ったのと言われましたが!
しばらく仕事走り楽しんで居ないので台風💨🌀なのに受けてしまいました!
お陰で様で夏の花!サルスベリ(百日紅)の花を走りながら楽しむ事出来ました!
勝手!サルスベリ祭りを開催しますね!
少しの間!走りと百日紅鑑賞をお付き合いください!
よろしくお願いします!
朝6時45分!
足立で積み込み墨田区まで走って板橋まで戻って北区まで走り楽しみますね!
台風🌀💨が激しくならない内に終わらせてしまいますね!
台風💨🌀でも車の運転は楽しいですね!
以前から言って居ますが僕は車好き❤️ですが!
車好き以上にマシーンの操作!運転が好きです!
ステアリングを握るとルンルン気分になります!仕事走りも楽しみの内です!
ワンパレット!積みました!久しぶりの仕事!
最高だね!
スカイツリーも半分雲の中です!
スカイツリーコラボ!
フォロワーさん達とやって見たいですね!
軽快にシフトチェンジ!
最高に楽しいですね!
赤羽台!元は工兵隊が有った所です!
今は公団と大学等が立ち並んでいます!
百日紅が咲いて居ますね!
赤羽台には軍都の歴史が有ります!
『軍都』としての発展とその後
現在の北区域(特に旧王子区域)は、1872(明治5)年に「赤羽火薬庫」が設置されたことに始まり、「東京鎮台武器庫」「赤羽工兵隊」「陸軍被服倉庫」など、陸軍の施設が次々と転入または新設・拡大され、一帯は『軍都』と呼ばれるまでに発展。このため、「太平洋戦争」では、空襲により大きな被害を受けることとなった。軍関連の広大な土地(終戦時には現・北区域の面積のうち1割ほどを占めていたという)と建物は、終戦後「GHQ」や「米軍」による接収を受けたほか、民間の施設や住宅にも転用された。接収が解除されると、公共的な施設の用地となった所も多く、現在も陸軍時代の建物を保存・利用している公共施設もある!
戦後の赤羽台を知って居る僕にはえらい変わり様です!
戦後はアメリカ軍の基地で戦車が沢山止まって居ました!
子供の頃は工兵隊の山で良く遊んだものです!防空壕もそこいら中に有りました!
地元まで戻りました!
赤羽の実家から独立して!世帯を川口で持って56年!
赤羽で生まれ育った!22年!
川口市は第二の故郷ですね!
会社に伝票届けて!夏の花!サルスベリ祭りを開催しますね!夏は毎年!
サルスベリの花を楽しみながら走って居ます!
好きな運転をして!好きな花を鑑賞!
最高ですね!
良いね!イイね!いいね!
最高だね!
百日紅に興味無い人にはただの街路樹ですが!
僕は好きな花なので嫌でも目に飛び込んできます!
密蔵院!〒334-0057 埼玉県川口市安行原2008
春に投稿した密蔵院です!
安行桜の緑です!
フォロワーさんと散策しましたね!
百日紅と愛車!
コラボ!
成功です!
花の少ない真夏!
百日紅は本当に夏の花ですね!
フォロワーさんとコラボした!
僕の定番お気に入りスポット!
万葉植物苑に到着!
大王松と愛車コラボ!
機会が有りましたら!大王松とコラボしませんか?
いつでもご案内しますよ!
万葉植物苑は川口市の自然の森公園になって居るので!
脚のリハビリ代わりに少し🤏歩いて来ました!
夏の緑🟢も中々イイ物ですね!
里芋!稲が植えられて居ますね!
稲も後1ヶ月しない内に狩入れですね!
米は無くなりませんよ!
買い溜めはよしましよね!
百日紅祭り!!
続行しますね!
百日紅と愛車!
真夏の花!
サルスベリ!
秋を感じますね!後20日で涼しくなりますね!
川口市随一の百日紅の並木道です!1ヶ月前に投稿しましたね!
盛りを迎えたので鑑賞しに寄って見ました!
百日紅祭りに相応しい並木道です!
見沼代用水東縁!
百日紅と愛車!
コラボ!
成功です!
見沼用水両側に百日紅の並木になって居ます!
流石!川口市一番の並木道ですね!
百日紅祭りに相応しい光景です!
百日紅の花を鑑賞!
楽しんで見ました!
未だ朝の10時なので!
家に帰って!
自分の好きな事して楽しみますね!
百日紅祭りにお付き合い いただき ありがとうございます!
10時30分雨も止んで穏やかな曇りです!
100円ショップの両面テープ!
雨に弱いですね!
浮いてきて居るので剥がして後でボンド付けしますね!
左右共に糊が水を吸ってふやけて居ます!糊を落として後でボンド付けしますね!
台風の合間雨が止んでいるので拭き拭き撫で撫でして!後付フェンダーモール浮が出てきたのでボンド付けしますね!
ボンドを薄く塗って貼り付けます!
ボンドで貼り付けました!
右側後輪とフェンダーモールも剥がれかかって居るのでボンド付けにします!
シッカリと固定出来ました!
又!雨が降って来たので後で雲行きを見ながら!
楽しみますね!
今日から歯医者!
盆休み明けでやって居るので行きましたが!盆休7日休んでいるので!予約の患者で一杯で予約で27日まで予約で診察出来ないと言われて27日に予約を入れて帰って来ました!
帰って!昨日100円で買ったカーテン日除!コペンに取り付けて見ました!
今日は台風なので日除効果分かりませんが!プライバシーは守られ!落ち着けます!
家内とお買い物がてら!
明日の配送🚚荷物引き取りに出ました!
自分が買った品物はダッシュボードに置きました!
家内の買い物は量多いので後ろの荷台に置きました!
家帰って又!雨が止んで居るので愛車と戯れました!
オレンジ色のドアモール!
アイラインの縁取りに付けましたが!
雨で濡れて剥がれ易くなって居たので!
ボンド付けする前に青🟦色に塗って置きますね!
青く!上手く塗れました!
オレンジ色のモール!
青色に成りました!
塗って居る内にまた雨です!
台風🌀💨は厄介物ですね!
ボンド付けはしませんが当てて合わせて見ました!
オレンジ色のステッチより青🟦の方が好きに成りました!
晴れた日にボンド付け!
楽しみますね!
何時も!何時も!
たわい無い独り言!
年寄りの冷や水投稿に!
愛❤️変わらずのお付き合い!
感謝いたします!
何時もありがとうございます!
僕のお気に入りスポット!
勝手にお気に入りスポット祭り!
開催しますね!
お気に入りスポット写真集!
ほんの一部を載せて置きますね!
お気に入りスポットでのカメ活!
良いね!イイね!いいね!
最高だね!
一緒に僕のお気に入りスポットで!
コラボ写真撮って楽しみませんか?
お付き合い!願えれば幸いです!
思い出投稿祭り!!
19歳のMAX少年です!
CB72で湘南ツーリングです!
勿論!ノーヘルです!
当時は1ヶ月働いて月給10,000円の時代に!
CB72の新車価格!いくらだと思いますか?
当時のお金で187,000円して居ました!
1年6ヶ月の給料丸々使っても買えないバイクでした!
当時CB72楽しめた身分!
親がそこそこお金持ちだったからですね!
オヤジに買って貰いました!
CB72の歴史!!
スポーツライダーの夢を実現してくれた
名前どおりのスーパースポーツ。
それがホンダCB72でした!
ホンダCB72が発表された時の、有名なキャッチフレーズをごぞんじだろうか。 それは、「トップで70km/h以下では走れません」という、 なんとも刺激的な言葉だった !
1959年、 日本のモーターサイクルとして初めて、 この当時世界一名高いレースだった <マン島TTレース>に挑戦したホンダは、 翌1960年には、 マン島TTを始め世界2輪 GPでトップを争うまでに技術を急成長させていた。1960年11月、 満を持したように 発売したのが、 ホンダドリームCB72スーパースポーツである。 4サイクル250ccクラス では初めてのスーパースポーツの鮮烈な登場に、 ライダーたちの熱い想いが集中した。 その性能には、 世界GPマシンや、 日本の浅間火山レースで快走したマシンの技術が 注がれていることを予感したからであった。 事実、 この頃のホンダが少量生産した市 販レーサーCR71とこのホンダCB72は、 まったく同じパワー数値を持っていたのである! 空冷2気筒OHCエンジンの最高出力は24PS。 リッターあたりほぼ100馬力を、この時代に 達成している。 その時のエンジン回転数は9000rpm。 これまた、 驚異的な高回転であっ た!
■CB72の生い立ち。
CB72のエンジンのベースとなったのは、 1957年に発売されていたホンダドリームC70で ある。C70はスポーツモデルではなく、ツーリングからビジネスまでの万能車なのだが、 やはり画期的なホンダ車だった! 4サイクルの250クラスのエンジンは、 この頃単気筒 から2 気筒に移行しつつあったが、まだOHVが常識となっていた。だが、 ホンダは2気筒 、しかもOHCエンジンを造りあげて搭載したのである!
このホンダ初の2気筒エンジンは、 スーパースポーツ用に徹底的にリファインされた。 フレームは、 それまでホンダの特徴だったプレス鋼板のバックボーンに代えて、 CB72 のために新設計したパイプフレームのバックボーンタイプになり、 フロントサスペン ションも、 レース経験を生かした剛性の高いテレスコピックとなっている。 リアのスプリングは3段に調節できるものを、早くも装備していた!
キャッチフレーズこそ強烈だったが、 CB72は気難しく乗りにくいマシンではなかった。 CR71に匹敵する速さを持ちつつ、 一般道路での使いやすさをたっぷり持っていたのだ!
■CB72の魅力。
漆黒の塗装とクロームメッキの輝くタンク、そして高性能を象徴するようなみごとな 造形のエンジン。あたかも動物のような精悍さをただよわすその姿は、ホンダらしさ に満ちたグッドデザインで、現代人の眼にもむしろ新鮮である。ちなみに、輸出用モ デルには、赤い塗装のものもあった!そしてもちろん、その走りっぷりも、まさしく スーパースポーツだった。レーシングパーツも揃っていて、レースを楽しみたいアマ チュアライダーに喜ばれた。このCB72でレースを始めたと言う有名ライダーも数多い!
CB72には、性格の異なる2種類のエンジンが搭載されている。タイプ1と呼ばれるエンジンは180度クランク。タイプ2と呼ばれるほうは360度クランク。不等間隔爆発のタイプ1は高速型とされ、等間隔爆発のタイプ2は中低速優先型とされているけれど、 出力は同じである。最高速度はタイプ1が155km/h、タイプ2は145km/hとなっていた。 “走り屋”さんは、180度クランクのタイプ1を好んだが、外観からはほとんど見分け がつかない。 よく見ると、エンジン上部のポイントカバーに、小さくタイプ名があるだけである!
1959年に発売されたホンダベンリイCB92、そして1960年のこのCB72につけられたCBの2文字は、こののち現代まで、ホンダのオンロードスポーツ車の誇り高いイニシャルになっていったのである!
CB72の名声は海外にも響き、全世界に72ファンが生まれた。1960年から1968年まで、8年間も生産され続けたことは、CB72の先進性とすぐれた性能のなによりの証明であろう。いまなお道路で、 見事に手入れされたCB72が、 昔さながらの駿足で走っている のを見ることがある。そしてそのライダーが、 当時生まれてもいなかった年齢の若者 だったりすると、「CBナナニ(みんな愛称でこう呼んだ)の魅力は、永遠なんだなぁ」と、ムカシのナナニライダーは、嬉しくなってしまうのである!
思い出投稿祭り!!
13歳の時兄と配達🚚に行く時の写真です!
この当時は軽のオート三輪車でもお店を経営して居る人しか車は持てない時代でした!
ミゼットの先に見える車はダットサンです!
昔と言うより!戦後日本は🇯🇵物が何も無い時代でした!
食べ物🍙も不足して居ました!
戦後10年過ぎて!朝鮮戦争のお陰でアメリカ🇺🇸から沢山のお金を稼ぎました!
朝鮮戦争が始まった1950年に発生した「朝鮮特需」と呼ばれる好景気は、戦後の日本経済を復興させました。米軍や国連軍が朝鮮半島に派遣され、日本に駐留していたアメリカ軍に代わる「警察予備隊」が設立されたことで、日本は米軍への補給物資の支援や戦車や戦闘機の修理請負、調達基盤の活用などを行う特需に沸きました。特需収入額は1950年に約1億5,000万ドル、1951年に約5億9,000万ドル、1952年には約8億2,000万ドルと増加し、1953年には約8億1,000万ドルを保ちました!
アメリカ🇺🇸の援助で少しアメリカ🇺🇸ナイズされ!
日本🇯🇵の戦後は終わったと言われるまでに成りました!
戦後15年経ってやっと商用車が使われる様に成りました!
バーハンドルのミゼットです!その後!
一般人の乗る車として軽規格360ccの軽四輪が出て来ましたが!
それでも当時の車の値段は馬鹿高い値段でした!
稼ぎのイイ企業勤めの人しか買えない値段でした!
僕が19歳の時第一回オリンピックが開催されました!
新幹線が出来!首都高速!が出来!
一気に経済成長しました!その2年後日本の車作りも!
こんなに技術力が有るのだと世界に発信したのが!
トヨタ2000GTです!
トヨタは販売目的で無く!
世界に当時のスポーツカーの中で1番☝️の高性能車を作って!
世界に日本の技術力を知らしめました!
売る為で無いので当時のお金でと方も無い高額で発売されました!
その当時はスポーツカーの最高峰はファーレディ2000のオープンカーでした!
二人乗りで高額の車なのでお金持しか乗れませんでした!
空冷パプリカからサニー1000に乗って居た頃です!
戦後20年間は車はステータスシンボルの代表でしたね!
車イコール🟰🚗お金持ち!でしたね!