プリウスの新田義貞・逃げ上手の若君・麺類記録簿・古戦場巡り・歴史小話に関するカスタム事例
2024年10月02日 08時17分
なんちゃってG’sプリウスです。皆様にはどんどん絡んでいけたら良いなと思っています。カメ活コラボMTお誘いいただけたら喜んで馳せ参じます。 投稿は思い付きの不定期ですが、読んでいただいた方にちょっと小さな笑いをお届け出来る様に心掛けています。 車は知識もお金も無い中を、貧相なアイディアと法令遵守の谷間を行ったり来たりしながらコソコソとカスタマイズを楽しんでいます。
いつもいいねありがとうございます。
お待たせしました、本日は趣味の歴史投稿をやっちゃおうかな〜と思います。
待ってないって?
まぁそう言わんで。
東京都府中市にある分倍河原駅のロータリーに新田義貞の像があります。
うーん、駅も武将もイマイチ知名度高くないですね。分倍河原駅はJR南武線と京王線の乗換駅、新田義貞は鎌倉時代末期に鎌倉に攻め込んで事実上幕府を滅ぼした総大将、どちらも変換点に関わる重要な駅と人なんです。
そう考えるとなかなか妙な組合せだと思いませんか?
今こんなアニメが放送されているんですね。
「逃げ上手の若君」
まぁそこそこ面白いと思います。歴史テーマのアニメにしてはテンポ良く、ギャグも取り入れて、お勉強というより時代に興味を持たせる、そんな作りです。
何よりこのアニメのスゴい所が、主人公(前列右から2番目赤い袴の男の子)が北条時行という実在人物を採用した事。
北条時行は鎌倉幕府最後の得宗北条高時の息子でした。鎌倉幕府滅亡後は諏訪に逃げて、幕府再興目指して中先代の乱という戦争を起こす人物です。
「得宗」とは北条家の当主の呼び名。鎌倉時代を勉強すると出てくる「執権」は幕府最高執政官。オーナーと店長みたいな感じですかね。
しかし時代は変わって南北朝時代という戦乱期で足利尊氏や後醍醐天皇が活躍する中、倒産した会社社長家のボンボンが出てきてもそれは負け確で、お涙頂戴なお方なんです。
1333年5月、最初は幕府側で中国地方の敵を攻める予定だった足利高氏ですが、突然幕府を裏切り5月7日に幕府の京都出先機関である六波羅探題を攻め滅ぼします。
ちなみに、足利高氏はその功績で後醍醐天皇の本名「尊治」から「尊」の字を与えられて尊氏と改名します。鎌倉時代の尊氏は高氏だったんですね。紛らわしいなぁ。
一方、冒頭の騎馬武者像の新田義貞は、大阪や奈良で幕府側で戦っていたのですが、同年3月に病気理由で自領群馬に帰っていました。そして5月8日に群馬で討幕挙兵します。この辺り、足利氏と新田氏の源氏の当主争いも見え隠れします。
ちなみに征夷大将軍「将軍」になれるのは源氏だけと決められていました。足利氏も新田氏も源氏、江戸幕府の徳川氏も源氏。他に武田信玄や明智光秀も源氏の血脈です。面白いのは鎌倉幕府の北条氏や織田信長は平氏の流れです。更に言うと、全国統一した豊臣秀吉が将軍になれなかったのは農民出身で源氏では無かったからなんです。
源氏は超一流サラブレッド家系なんですね。
写真は小手指ヶ原古戦場跡の石碑。
埼玉県所沢市。5月11日開戦。義貞進撃早くね?
余談ですが、5月11日は私の誕生日です。
あ〜、衰えから上手く逃げる方法は無いものかしらね。
久米川古戦場跡。東京都東村山市。
5月12日開戦。
小手指古戦場から車で15分くらいですかね。新田義貞の進撃も早いけど、幕府の迎撃も早い。
しかし2日間の戦いで幕府方は大敗します。
ちなみにこの記念碑の背後の山は八国山。隣のトトロさんのモチーフといわれる舞台です。
東京多摩地区はジブリの聖地が多い。
ちょっと寄り道して今日のお昼です。
東京立川市にある「UMA TUKEMEN」さん。つけ汁がパイ包みされています。なかなかありそうで無いよね。
エビつけ麺300g1150円。
最初はエビとパイのチーズで洋風な感じしたけど、途中で割りスープ入れたら鶏ガラなスープになって2度美味しい。
どちらかといえば女子向けかな。
麺とパイも食べたらお腹いっぱいになります。
困りましたね、ポッコリお腹から上手く逃げたいのですが…。
お店の外観。
トレーラーハウスっていうんですかね。
駐車場は7〜8台分ぐらいあるので興味持たれたらぜひ。
分倍河原古戦場。
東京都府中市。5月15日開戦。
幕府側は鎌倉から北条泰家が援軍として合流し、多摩川の地の利で迎え撃とうとします。幕府側15万。新田義貞は8万。
新田義貞も埼玉と東京を縦断している間に随分味方を集めましたね。兵力だけでいえば関ヶ原の戦いと同等のぶつかり合いです。
しかし、分倍河原に続き翌日の関戸の戦いでも敗れた幕府は鎌倉で決戦する事になり、力及ばず鎌倉幕府は5月22日に滅亡します。
この時、新田義貞の軍勢は数十万まで増えていたとか。
それにしても1333年の5月歴史の転換激しすぎ。
時代に乗換出来なかった御家人や豪族が次の戦乱の時代を長引かせます。
ちなみに北条泰家は得宗北条高時の弟。逃げ上手の若君北条時行の叔父さんに当たります。泰家叔父さんは幕府滅亡時に甥っ子時行を鎌倉から逃して自分も東北に逃げています。数十万の包囲からよく逃げれましたね。
私も仕事から上手に逃げた〜い。
夜のコンビニで撮りました。画質酷い…。
最近投稿ネタ探しより、オチ作りに苦しんでいます。何か面白い事を書きたい、ウケを取りにいきたいと、本当に面倒な性格ですわ。
あ〜自分のこんな性格から逃げたい。
オチ…
オチ…
落武者…(雑)