718 ケイマンのポルシェ・鋸山登山自動車道・内房・ワイルドスピード/ジェットブレイクに関するカスタム事例
2021年08月10日 05時40分
いいね!をいただいた皆様、フォローしていただいている皆様どうも有難うございます❗️ 初めて購入した車が新車で買ったゴルフ2。それから、かれこれドイツ車ばかり20台近く乗り換えています。E46やE90、オペルなんかも乗りましたが写真がほとんど残っていません。 ということで、自分の自己満足の為だけに写真をアップしています😅 そんな…車好きのちょい悪オヤジですが、宜しくお願いします。 フォロー数稼ぎの方はご遠慮ください。
ワイスピ最新作公開記念第7弾…
いよいよ最終回です😊
さすがに皆さんも飽きてきたでしょうし、投稿している本人も飽きてきたので😅💦💦💦
第3弾の登りでのショットの反対側にクルマを停めてのショットです😊
この坂を下ってU字カーブを曲がらずに真っ直ぐ突っ込むと大仏様に近い無料駐車場になります‼️
ちょうど真正面がその駐車場ですね。
実はこの駐車場も砂利なんですよね😂
ココの有料道路の管理会社が土建会社なんだから、せめて駐車場は舗装にして欲しいです💢
さてさて、第1弾から日本寺と書いていますが〜
公式HPによると…
『日本寺は今から約1300年前、聖武天皇の勅詔と、光明皇后のお言葉を受けた行基菩薩によって神亀2年(725年)6月8日に開山されました。
開山当初法相宗に属し、天台宗、真言宗を経て徳川三代将軍家光公の治世の時に曹洞禅宗となり、今日に至っております。
日本寺は開山当時、七堂十二院百坊を完備する国内有数の規模を誇り、良弁、空海、慈覚といった名僧が留錫(りゅうしゃく)したと記録されています。良弁僧正は木彫りの大黒尊天を彫られ、弘法大師(空海)は100日間護摩を焚かれ石像の大黒尊天を彫られました。
仁王門の金剛力士像は慈覚大師の作と伝えられています。
日本寺の御本尊は薬師瑠璃光如来です。東方浄瑠璃世界の教主で、瑠璃光を以て衆生の病苦を救い、病苦を救う医薬の仏様です。左手に薬壺を持っているのが特徴です。
薬師瑠璃光如来は戦傷を癒すと言われており、日本寺を訪れた武将の記録も残されております。
源頼朝は石橋山の戦いに敗れた後、房州に逃れ再起を図った折に日本寺で武運を祈願し、自ら蘇鉄を手植えし、現在も大蘇鉄として境内に残っております。頼朝は鎌倉幕府を開くとすぐに荒廃していた日本寺の全山修工に力を尽くし、養和元年(1181年) 薬師本殿を再建しました。
頼朝により全山修工された日本寺は、その後、鎌倉幕府後期から南北朝時代にかけての続く戦火により再び荒廃しますが、足利尊氏により再び復興されます。尊氏は国家泰平と万民安寧を祈願し、奥の院無漏窟に参籠した事が通天窟前の石碑「房州鋸山日本寺碑」に記録されています。』
駐車場の端には大仏管理所がありますが、ココは西口管理所で貰った拝観券を見せるだけでOKです。
大仏様までの道のりは、今度は少し緩やかな舗装した道(参道)になっています。
でも、7〜8分は歩きます👟
下り坂なので行きは余裕ですが、帰りは😅
そうすると…
いよいよ鋸山のラスボスの登場です🤣🤣🤣
パンフレットによると〜
なんと!日本一の大仏様とのこと👀
『昭和44年6月、4年にわたる復元工事によって再現した名実ともに日本最大の大仏様です。
原型は天明3年(1783年)に、大野甚五郎英令が門弟27名とともに3年を費やして現在の地に彫刻完成したものです。
当時は御丈八丈、台座とも九丈ニ尺あり、天下にその偉観を知られていましたが、江戸時代末期になって、自然の風触による著しい崩壊があり、昭和41年に至るまで荒廃にまかされておりました。
この大仏様は、正しくは「薬師瑠璃光如来」と称し、宇宙全体が蓮華蔵世界たる浄土であることを現したもので、世界平和、万世太平の大象徴として復元建立されたものです』
たしかにデカいです😊
パンフレットには…
鎌倉高徳院の大仏様が総高13.350m 御丈11.312m。
奈良東大寺の大仏様が総高18.18m 御丈14.85m。
鋸山日本寺の大仏様が総高31.05m 御丈21.3m。
おっと、ダントツじゃないですか🤣🤣🤣
無事に大仏様にもお会いできました🤗
今回、ワイスピ最新作公開記念に便乗して「X3 TOKYO DRIFT」ロケ地の鋸山を満喫しました👍