RX-7の納車から現在までの愛車・今日は昨日までの続きであり・明日は未来への一歩であるに関するカスタム事例
2019年05月09日 00時26分
FC3S&カムリ ご覧の通り、独身です 日々平穏を持続させる為の努力、 それがどんなに尊いものかを知っているからこそ 私は日々、現実社会 と戦い続けられるのである 知る人ぞ知る、とある競技車輌より 幾多のパーツ と 志し を受け継いでおり 継承者としての自負が明日に進む原動力に なっております [己が常識]という正義感に酔った 価値観の押し付けは 戦争の火種に他ならない クソリプ常習者や、道路交通法を理解していない キッズは、お帰り下さい
平素より大変お世話になっております。
さて[納車から現在までの愛車]という
面白いお題目を頂きましたら、ベンチを尻で
温めて続ける人生で終わる訳には参りません。
画質が悪いのは当時、折りたたみ式携帯電話にて
撮影しました写真になります。
主に外装の変更点を紹介していきますので
長くなりますが、よろしくお願いします。
という事で 1枚目は現在の愛車=戦斗機であります
後期型を購入した時になります。
はじめてのマイカーとして数年、前期型に
乗っておりましたが 筆者の力不足 もありまして
後期型に乗り換えることになりました。
購入しました後期型の探し方なんですが
一般的な自分で、中古車屋を探し歩いて
見つけた訳では無く
当時、お世話になっておりました板金屋の方
(その方も FC3S乗り)に程度の良い車を
探して頂きました所、オールペン済みの
シルバーの後期型が見つかりまして
購入、となりました。
外観の変更点は、エアロミラーと社外ホイール
左一本出しマフラーぐらいで
エアクリーナーは純正でした。
内装は社外のハンドルとシフトノブ
後付けのブースト計が付いてまして
オーディオのヘッドは無かったです。
納車に合わせまして
ヘッドライトを前期にて使用していた丸目4灯に。
フロントフェンダーを所有していた
社外のワイドフェンダーに
交換しまして 3ナンバー登録 。
鉄ボンネットを前期で使用していた
アルミボンネットに交換。
純正シート → 前期に装着していました
カブリオレ用シートを2脚移植。
ボディ下部にチッピングコートが
施されていたのを嫌って、ドアを前期のを移植。
その前期ドアに、夢の実現としまして
スーパーナウさんのガルウイングドアキットを装着。
距離は、いってますが現実、20年落ちで
5万キロ台というのは稀有なので
これくらいの距離数は致し方ありません。
そして納車と同時に別れの時が来ました。
左を見ればドンガラのシルバーの前期
右を見れば ウマ に掛けられたシルバーの後期
ドッペルゲンガーとまでは言いませんが
中々に不思議な光景でした。
ありがとう前期。
最期、クレーンに吊られてトラックの荷台に
積まれて走り去っていく姿を見届けられたのは
良かったと思います。
そして伝説が始まりました。
まぁ、血液型云々を出されると反射的に吠えられる
方々が居るのを承知で言いますが・・・
B型気質が、ストック状態を良しと認めないのです。
と言いますのも 前期 の外装を 後期 仕様で
数年乗っておりましたので、次は
私だけのスタイルを持った FC3S に仕立てよう、と
考えておりましたので、自然と外装に
着手してしまうのも致し方ありませんね。
(それじゃー仕方ねーな)
そしてその、スタートになりましたのが
ディフューザーです(自分でも意外な一品目)
当時、この車高で走ってたんだから
若さってスゲェな(おそろしい子)
次はフルエアロを組んだ時ですね。
まさか、唐変木のエアロと出会えるとは
思ってなかったので 巡り合い の面白さを
強く感じました。
まずは横から装着。
後ろ。
最後にフロントです。
フロントだけ塗装済みなのは
過去、[とある車両]に ←ココ重要
装着されていたからだと思います。
当時はフロントにR32、リアにモデナを
履いてました。
当初から「前置きインタークーラーにはしない」と
考えておりましたので、ボンネットのダクト形状は
このメーカーに決めておりました。
届いた大きなダンボール箱を開けた刹那、
筆者「マンタみてぇだな」と口にしたとかなんとか。
社外品でシーマのバルカンライト型の
フォグライトが流行っている時代がありまして
例に漏れず筆者も装着してみたりしました。
ですが、あまりケルビン値の高いライトを
入れますと熱に負けて、溶けましたので
ご注意ください。
(その夜は霧の濃い日で友人と 定峰峠 を
走っていた時だったかな。
その夜、お話をさせて頂きました
カプチーノ乗りの方は今も走っているのだろうか?)
あー、薄っぺらいテールライトには
触れないでください、そんな時代もありました。
GTっ羽根を装着しました。
取り付け方法は、うん十年前に街で見かけました
70スープラが、この方法でGTっ羽根を装着している
のを見まして、それ以来コレしか無いと
考えておりました。
取り付けは勿論、自分でやりました。
こちらの GTっ羽根 も過去、
とある車両に装着されていたモノを
譲っていただいた 大事なパーツ ですので
他のGTっ羽根に買い換える事はありません。
少しづつ、シルバーに色を塗っていきましたね。
フロントの塗り分けはディアブロGTを
模しているのは内緒です(あくまで雰囲気)
FD前期とBBSホイールを履いてますが
車検転がし用だったと思います。
6点式ロールバーを仮設置している一枚ですね。
あくまで置いただけですので位置は悪しからず。
お世話になっております板金屋さんにて
社外リアワイドフェンダーと
6点式ロールバーの装着をして頂きました。
これで色を塗って終わり!・・・であれば
いいんでしょうが筆者は満足しなかったのである。
この頃のホイールは
フロントにRXー8純正、リアに57プロを
履いてまして、色も白く塗り替えました。
白いホイールへのこだわりは
いつかは、リーガマスターEVOを履いてみたい!
という思いがあったと思います。
この57プロも過去、とある・・・以下略、
メーカーさんのラインナップには
無いサイズの、特注品と聞きました。
「既製品のデザインには俺の満足するデザインが
無ぇ!」と筆者こと、ただの阿呆がパテを持って
立ち上がると、フロントフェンダーを俺仕様に
作り始めたのであった。
自作フロントフェンダー完成。
思い描いていた夢の具現化を成し遂げてしまった男は
次なる作業の為に、部品を集め始めるのであった。
ホイールが変わっている様に見えますが
白×黒にて塗り分けしたものになります。
「既製品のデザインには俺の満足するデザインが
無ぇ!」と筆者こと、ただの阿呆がパテを持って
立ち上がると、リアフェンダーを俺仕様に以下略。
今度はホイールを赤×黒に塗ってる頃ですね。
凹凸に魅入られた男は腕組みをしながら
ご満悦であった。
蔦地獄、投入。
アンダー下部に黒の差し色を入れたことにより
纏まりが出たものの、何処かで[筆者らしさ]が
希薄になってしまっている気がしました。
(要は 隙であり崩し です)
筆者はモノトーンの植物モチーフの柄が好きなので
黒色のカッティングシートを切り出しまして
ドア と ドアミラー に貼ってみました。
(アートファクトリーさんの3D車道や
スポコンブームの衰退から廃刊となった
D CARという車雑誌を当時愛読しておりましたので
いつかは 鳥とトライバル をモチーフ にしました
バイナルグラフィックを自分もやってみたいと
考えてました)
結果、沿道を歩くチビッコに指をさされ
お年寄りには怪訝な顔をされる外観になりましたが
筆者の ノミの心臓 は大いに鍛えられました。
そして 125000キロ にて
オーバーホールするまで、良く走ってくれたと
感謝をしております。
それから数年は何か手を入れる事も
無かったのですが2017年の大黒セブンデイに
参戦する目的で、意欲が上がりまして
Z33純正ミラーを無理やり付けたり
ボディーカラーを[鈍ちんゴールド]にしました。
ホイールをボディに合わせまして
クリーム色にしました。
昨年、ホイールを前後 SHOGUN にしました。
そして未だ見ぬ明日に向けて
走り出す 戦斗機 であった。
(画像は数年前の大黒セブンデイの
YouTube動画より拝借)
これからの予定としましては今週末、
とあるショップさんを訪ねる予定にしております。
筆者「あー、楽しみで夜しか寝られないや」
せっかくの、こういう機会ですので
皆さんの 素敵な愛車との物語 の投稿を
楽しみにしております。