718 ケイマンのポルシェ・安国山最福寺・八鶴湖・外房に関するカスタム事例
2021年11月08日 07時16分
いいね!をいただいた皆様、フォローしていただいている皆様どうも有難うございます❗️ 初めて購入した車が新車で買ったゴルフ2。それから、かれこれドイツ車ばかり20台近く乗り換えています。E46やE90、オペルなんかも乗りましたが写真がほとんど残っていません。 ということで、自分の自己満足の為だけに写真をアップしています😅 そんな…車好きのちょい悪オヤジですが、宜しくお願いします。 フォロー数稼ぎの方はご遠慮ください。
東金市の八鶴湖の湖畔にある安国山最福寺です😊
八鶴湖は桜🌸が有名なスポットで、以前投稿もしていますが…
今回は湖畔を見下ろす荘厳なお寺さんがメインです。
お寺さんの公式HPには💁♂️…
『東金八鶴湖に南面してたたずむ安国山最福寺は、大同2年(807年)伝教大師最澄によって、背後の鴇ヶ嶺山頂の山王神社(日吉神社)とともに一宇を改修し天台宗の寺院として創設されました。
その後六百七十年たった文明十一年(1479年)京都妙満寺十世日遵上人の弘教により、顕本法華宗に改宗いたしました。
現在は日蓮系の単立本山です。
境内には徳川家康の銅像、切られ与三郎の墓、季節ごとの句碑、開運のお大黒様等々ゆっくり散策出来ます。』とあります。
電線が邪魔ですね〜😂
山門前で撮っていますが、最福寺の横にちゃんと八鶴湖の駐車場がありますので…
ゆっくりと散策できます😊
山門の横に案内板があります。
こちらのお寺さんに所蔵されている、県や市の有形文化財や天然記念物などが記されています😊
山門を抜け檀家さんのお墓🪦を通って直進すると、石段と坂道があります。
坂道の方を登っていくと正面に大黒殿があります。
お祀りされている大黒天像は運慶の作と伝えられています😊
こちらは大黒殿の内部ですね💁♂️
大黒殿の横の案内板によると〜
像高は70cmで橙色に着彩の米俵の上に蓮の葉を敷き、その上に立っている銅色に塗られた木造であると書いてあります。
大黒天という仏は、梵語の「摩訶迦羅」で訳して「大黒天神」というそうで…
三法を愛し、五界を守り、飲食を豊にする厨の神であると同時に久成如来で貧しい衆生に大福をもたらす菩薩としてあがめられ、古来より、東金住民の厚い信仰を受けているそうです🤗
こちらは太子堂になります。
右手に朱塗りの手摺りがある坂道を登ります😊
坂道の中腹に…
徳川家康公と日善上人の像があります。
ココ、東金は徳川家康公ゆかりの土地なんです。
家康公は鷹狩りをするために度々東金を訪れており、東金御殿(今は東金高校になっています。こりん星出身のゆうこりんは東金高校中退ですが😅)
が造られました。
家康公が1613年、東金で鷹狩りの指示を出しました。そこから縁があり、雨で鷹狩りが中止になった際、当時最福寺の住職であった日善上人と御殿内で対談をしたそうです。
そこにお互いに通い合うものを感じ、その後家康公は、東金から日善上人を駿府城🏯(静岡)へ招き、2人だけで密談したとされます。
この境内にある像はその時の様子を像にしたものです😊
横に、家康公と日善上人との系譜が詳しく記されています😊
さぁ、本堂に着きました。
立派な本堂ですね〜😊
私は坂道で登ってきましたが、石段を2回登ると本堂の前に着きます😊
こちらの本堂の説明も公式HPから引用しますね💁♂️
『現在の最福寺の本堂は、約三百年前当山十五世 日胤上人の時代、元禄十六年(一七〇三年)から宝永六年(一七〇九年)までの六年間を費やし、八鶴湖畔にあったのを人夫一万人余を要して現在の所に移し建立しました。
その時本堂に使われた丸柱四〇本は、江戸浅草の観音様の古材を譲りうけたものと伝えられております。
その丸柱は長さ約七メートル(二十四尺)直径四十八センチ(一尺六寸)で檜材です。その丸柱四十本に正面の向拝二本で計四十二本、魔除けの数で成りたっています。
本堂の高さは鬼瓦まで十八メートル(十間)。広さは間口、奥行とも二十二メートル四方(十二間四方)一四六坪余りの大きく歴史のある心なごむ木造建築です。しかし明治四十二年(一九〇九年)それまでの萱葺の屋根から瓦葺に替えそれも八十年余の年月で痛みもひどくなり、平成五年に現在の銅葺屋根に替えられました。』
江戸浅草の観音様とありますね〜
要は浅草寺から移築したって感じですね😊
さてさて、こちらのお墓が…
切られ与三郎のお墓ですね。
こちらも公式HPを引用すると💁♂️
『芳村伊三郎の名は、江戸長唄の名家で、現代まで襲名され続けています。
4代目伊三郎は、このお寺から南西4キロの清名幸谷の紺屋の中村家の二男として寛政十二年(1800年)に生まれました。名を中村大吉といい若い頃から長唄に親しみ、その美声と男ぶりは近隣でも有名だったようです。
大吉は長じて木更津で型付職人として腕を磨き、年季が明けて清名幸谷に帰り兄の紺屋を手伝けしておりました。根が好きな長唄を唄うために家から1キロほどの東金と大網の中程の新堀の茶屋に足しげく通っておりました。そこで見そめたのが茂原生まれのきち(お富のモデル)でした。
しかし、きちには近くの堀畑の親分山本源太左衛門という旦那がいたのです。美男美女の間柄はすぐに親分に知られました。若い二人は勝手知った木更津に逃げましたが、子分達に追われ大吉は切り刻まれむしろに巻かれて海に投げ込まれました。しかし、奇跡的に江戸の漁師に助け上げられたのでした。一方きちは連れもどされ、すぐに江戸に売られてしまいました。
後年江戸へ出て唄方となった大吉は、4代目伊三郎を襲名しましたが、若い日の仕打ちで受けた顔から身体中の数十の疵が8代目団十郎の目にとまり、鶴屋南北の門下、三世瀬川如皐に伊三郎、おきちをモデルに人物名、地名などを含め、その筋書きも、おもしろおかしく善玉、悪玉を誇張して書きあげさせました。
それが「お富・与三郎」で知られる歌舞伎狂言
与話情浮名横櫛(よはなさけうきなのよこぐし)なのです。
5代目伊三郎は、東金の岩崎の秋山嘉吉さん方で、明治十五年に亡くなり、師の墓の隣りにという遺言で、葬儀も当寺で営み、過去帳にも残っております。東金のお祭りのおはやしは、この5代目の長唄の影響を受けた珍しいリズムです。
お墓は当初30メートル先にありましたが戦前、秋の豪雨で崩れました。戦後歌舞伎役者、当市有志のきもいりで、この地点に新しく建てかえられたものです。』
歌舞伎よりも、春日八郎の「お富さん」の歌🎵の方が私は分かりやすいですね〜
といっても、私も春日八郎の「お富さん」の歌は懐メロ番組で子供の頃に見ただけなので…
「♫死んだはずだよ、お富さん〜
生きていたとは お釈迦さまでも知らぬ仏のお富さん〜♬」ってフレーズしか知りませんけど😅💦
一応、「お富さん」の歌詞をググっておきましたので…知っている方はどうぞ〜🎤
「♪粋な黒塀 見越しの松に
仇な姿の 洗い髪
死んだはずだよ お富さん
生きていたとは お釈迦さまでも
知らぬ仏の お富さん
エーサオー 源冶店(げんやだな)♬
♪すぎた昔を 恨むじゃないが
風もしみるよ 傷の跡
久しぶりだな お富さん
今じゃ異名(よいな)も 切られの与三よ
これで一分じゃ お富さん
エーサオー すまされめえ♬
♪かけちゃいけない 他人の花に
情けかけたが 身のさだめ
愚痴はよそうぜ お富さん
せめて今夜は さしつさされつ
飲んで明かそよ お富さん
エーサオー 茶わん酒♬
♪逢えばなつかし 語るも夢さ
誰が弾くやら 明烏(あけがらす)
ついて来る気か お富さん
命短く 渡る浮世は
雨もつらいぜ お富さん
エーサオー 地獄雨♬」
こちらはさらに高台にある鐘楼ですね😊
登ってみます。
鐘楼から見た八鶴湖です。
桜🌸の季節はここから見ると、綺麗なんでしょうね〜
山門に戻ってきました。
春の時期は、湖畔をグルリと桜🌸が咲いていて絵になるのですが〜
まぁ、桜の時期は人も多く、湖畔に露店も立ち並ぶ為にこういったショットは撮れませんが😅💦