MR2のAW11・AW開発話・WRC・グループB・DRAG 902に関するカスタム事例
2022年09月06日 20時41分
全国11億人のMR2ファンの皆様、こんばんは😃
アルミはDRAG(ドラッグ)902、当時モノです。
まだまだ日中暑い🥵ので雪☃️の写真で涼んで…
というか、永らくお休みしていたMR2開発話再開です。
一方で、グループBマシンのポテンシャルの高さは、その後も悲劇を起こし続ける。1986年シーズン第2戦スウェディッシュラリーよりWRCに参戦したフォードRS200、450馬力のターボエンジンをミッドシップレイアウトにマウントし、トランスアクスルタイプの4WDシステムを搭載するRS200は、0-60mph加速は、なんとわずか2.8秒というモンスターであった。なお、このタイムは日産の2012年型GT-Rと同等のタイムである。そして、このRS200が、WRC史上、屈指の悲劇を引き起こすことになる。
第3戦ポルトガルラリー。ヨアキム=サントスのRS200が、コース上にいた観客を避けようとしてコントロールを失い、コースサイドの群集へと突進。40名以上の死傷者を出す大事故が発生する。
しかし、FISAは事故の原因を、あくまでもポルトガルラリーの主催サイドの管理に責任があるとの見解を示し、グループBマシンの過剰なまでの性能の高さが原因であるとは認めなかった。しかし、グループBの方向を決定づける事故が、遂に発生してしまう――
1985年の最終戦RACラリーより、ランチアが投入したランチア・デルタS4。鋼管スペースフレームとケブラー素材で構成されたボディに、スーパーチャージャーとターボチャージャーを組み合わせ、400psを発揮するエンジンをミッドシップレイアウトに搭載。さらに4WDシステムで武装したこのマシンは、WRCのアイルトン=セナと呼ばれたヘンリ=トイヴォネンのドライブによって、F1モナコGPが開催されるモンテカルロ市街地コースでのエキシビジョン走行において、当時の予選グリッドで6位に相当するタイムを叩き出したと言う。
トイヴォネンの駆るランチア・デルタS4は、1986年のラリー・モンテカルロでも圧倒的な勝利を収めていた。 だが同時にデルタS4は、あまりの性能の高さ故に、ヘンリ=トイヴォネン以外に乗りこなせるドライバーが居ない危険なマシンでもあった。
そして、悲劇は起こった。続く第5戦ツール・ド・コルス。SS18 コルテ-タベルナ。スタートから7km地点。トイヴォネンの駆るランチア・デルタS4がコースアウトし、崖下に転落。爆発、炎上したのである。
トイヴォネンのランチア・デルタS4は、車体側面を木の幹が貫き、炎上。サスペンションとパイプフレームだけを残し、マグネシウム製のホイールとケブラー、プラスチックで構成されたボディのデルタS4は、跡型もなく焼けて無くなった。
ドライバーのヘンリ・トイヴォネン。そしてコ・ドライバーのセルジオ・クレストは死亡――
事故現場は、ゆるい左カーブ。コースにはブレーキ痕が一切残っていなかった。事故原因は不明。ただ、この事故が。あまりのグループBマシンの性能の高さが一因となっているのは、誰の目にも明らかであった。
この事故を受け、FISAでは緊急会議を開かれる。そして2日後には、1986年をもってグループBを廃止し、グループS構想も白紙撤回することを決定したのである。
――結果。トヨタが開発していた『グループB仕様MR2』である222Dの開発は中止。都築は失意の内に、222D開発責任者の座を降りることになる。そして同時に、計画されていた『グループS仕様MR2』も、計画のみで実際の開発が行われることはなくなってしまった……
まだまだ、しつこく続く〜😁