シャレードのウルトラC・イノチェンティ・ベルトーネ・detomaso・DAIHATSUに関するカスタム事例
2020年02月02日 22時06分
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車歴2号 ('84〜)シャレードDETOMASOターボのつづき。
(画5枚、カタログ広告類から引用させていただきました)
このクルマと共にした2年間も自分なりに濃い思い出がありますが、
買って1年後に起こした派手な自損事故もその一つ。
昭和60年1月(1985)の会社帰り、現場は郊外の緩く砂の浮いた片側1車線で反対側は砕石場の斜面、もう片側はガードレールなしの川土手でした。
後ろからは後輩の乗るミラージュが付いてきていましたが、私のがオーバースピードでコーナーに進入したのが見えて「あ、マズい!」と思ったそうなんです。
私自身はその瞬間全く何がなんだかわからなかったんですが、クルリとスピンしつつ車体は宙に舞い空中でボディがひっくり返ったらしいのです😱
スピンをきっかけに道路を転がりながら横転したわけではなく宙でひっくり返ったあげく見事着地したという訳です笑
後輩が後ろから全ての状況を目撃しており、あとから聞いて青ざめましたねぇ😱
さすがに勢いで砕石場斜面には突っ込みましたからフロントは大破していました。
助かったのは川土手斜面に落っこちて行かなかっことです。川のほうに落っこちてたら命がなかった可能性がありますし、それよりも何よりも対向車がたまたまいなかったことで他人様を巻き込まなかったのが最も幸いな事故でした。
ボディの損傷自体は宙に舞ったおかげで斜面に突っ込んだだけの最小限で済みましたが、それでも前部は大破したのでバンパーやラジエーター関連で修理は2か月を要したのです😞
(画はカタログおよび広告類より)
ダイハツはイノチェンティ(英国→DETOMASO傘下→90年代にフィアットが吸収)へ当時シャレードのエンジンを供給している関係にありました。
イノチェンティ・ミニを記憶している方々もたくさんおられるかと思いますが、英国BMCミニをベルトーネがデザインアレンジしたクルマで、これのDETOMASO版がイノチェンティDETOMASOミニですね🇮🇹
エンジンユニットはシャレードターボ用。
(画はカタログおよび広告類より)
(広告画より)
(カタログ画)
つまりはそういった背景というかご縁によりシャレードにデ・トマソ監修の仕様グレードが誕生したというわけです。
しかしながらデ・トマソ監修とはいえエンジンや足回りには手を入れられることはなく、ボディ装飾や演出とか装備品のみのスペシャルグレードという立ち位置だったのが少し残念だったところでしょうか。
その後このグレードは、特別カラーリングや内装天井にイタリア地図がプリントされてたりなど限定仕様のDETOMASOビアンカを追加とか、フロントマスクをリニューアルしたマイナーチェンジが85年以降にシャレード全体で行われたことからDETOMASOグレードもそれに従っています。
まあ私個人としては、私が実際乗ってたから言うんじゃないですが、マイナー前のフロントマスクのほうが良かった印象は今も変わりません。
なお、このクルマとの最後はある夜あっけないものでした。
右折待ちの後ろに付いて停まってたら後ろから追突されその勢いで前のクルマを突きました。
要するにサンドイッチ的なやつですね。
フロントもリアも大破の具合がひどく、修理を断念して加害者側からの保険金にて次のクルマに乗り換えを決意することになります。
昭和61年2月(1986)のことで、シャレードDETOMASOターボとの付き合いは丸2年で終わることになりました🤷♀️