エボえもんさんが投稿したインプレッサWRC 99・タミヤ・プラモデル好きと繋がりたいに関するカスタム事例
2021年12月03日 21時26分
もうおっさんですが、ターボ車はやめられません。 憧れだったエボ。 生産終了の案内されてから、ヤバいと思いディーラーで注文しました。 大事に乗って行きたいです。
1999 WRC
Monte-Carlo 17-20 January
6.Juha Kankkunen/Juha Repo
SUBARU IMPREZA WRC
前年までの、コリンマクレー中心の布陣から、バーンズと新たにカンクネンを迎えチーム体制を一新。
開幕のモンテカルロはバーンズ、カンクネン、ブルーノ・テリーの3台体制で望むなか、カンクネンが見事2位を獲得する。
98年からの違いは、長年スバルワールドラリーチームをスポンサードしてきた、BATブランドの555が撤退しスバルの6連星が描かれたデザインに。
ラリーチームの運営は引き続きデビットリチャーズ率いる、イギリスのコンストラクター、プロドライブが運営。日本のstiはエンジン開発などを請け負う。
前年のHパターンのトランスミッションからフライバイワイヤーのセミオートマに変更。
パワートレインは、前年と変わらず2リットルのEJ20を更に熟成させ搭載し300馬力を絞り出す。
リチャー・バーンズは、マクレーみたいに派手さはないものの、安定した早さを見せスバルのエースに成長。
一方のユハ・カンクネンもピークを過ぎていたが、パフォーマンスに全く衰えはなく、自身5年ぶりとなるアルゼンチンで優勝。更に母国フィンランドで2勝をあげ存在感を見せた。これが自身最後の優勝。
一方のブルーノ・テリーはターマックスペシャリストとして期待されたが不運も重なり得意のターマックで目立った成績を残せなく、ベテランカンクネンとは明暗を分けチームを去っていった。
クーペスタイルの美しさと張り出したフェンダーが、とても美しいGC型のWRカーは、ターマック、グラベル関係なく早さを発揮し常に選手権を争った。
トヨタ カローラ、フォード フォーカス等の第2世代のWRカーが頭角を表し始めるなか、97年のWRカー規定に合わせてきたSWRTのインプレッサWRカーは、この99年の選手権で5勝をあげ、存在感を示した。
最終戦のラリーGBでは、バーンズ、カンクネンの1-2フィニッシュと有終の美を飾り、選手権でのマニュファクチャーラーズランキングを2位で終え、97年の登場から丸3年を終えてもまだまだ戦闘力があることをライバルに知らしめた。
そして翌年の2000年、GC型の集大成となるインプレッサWRC2000が登場することになる。