オデッセイの今回も車まったく関係ない・頑張ろう能登!に関するカスタム事例
2024年10月14日 15時05分
ブラックサンダーショコラです。 給料の半分を32Zに貢ぎ 夜な夜な走り回ってたあの頃 いつも帰りに立ち寄るカーピカランドで左手に缶コーヒー右手に煙草を持ち 『いつか俺も結婚して車に何の関心も持たなくなり どノーマルなミニバンに家族を載せて走るようになるのかな』 なんて考えてた はいなりました← 見てるか?あの時の俺 今じゃイオンの駐車場でタイヤを削り 煙草まで辞めてるぞお前! 子供も大きくなったし2回目の青春スタート
今年の3月に志賀町の活動ボランティアに参加してきました。過去に福井や熊本でもボランティア参加した経験はあったのですが全国から集まった心優しい人達と一つの目的を一緒に頑張るというのはなんとも言えない温かい気持になれて志賀町でも非常に良い経験をさせていただきました。
またボランティアにも参加したいし
ゆっくりと石川県観光にも訪れ地元にもお金を落として
などと考えながらけっこう月日が経ってしまった9月21日にあの大雨被害がありました。
コツコツとゼロからのスタートを頑張ってこられた地元の方が今度またマイナスからのリスタートを強いられていると考えると居ても立ってもいられなくなり非力ながらもう一度奮起してボランティア参加してきました。
しかし今回もやはりボランティアバスの募集人数が少なくなかなか予約が取れないまま2週間が過ぎたころ輪島のNPOでキャセル枠を発見準備まで5日しかなかったですがスケジュール挑戦すればなんとかなりそう
前回の経験があるので急ぎボランティア保険の再加入(4月更新のため)ボランティアバスに乗る石川県庁までの災害ボランティア高速道路無料措置の申請をして活動用の衣服を揃え間に合わせました。
石川県災害ボランティア情報特設サイト↓
https://prefvc-ishikawa.jimdofree.com/
高速道路無料措置URLリンク↓
https://corp.w-nexco.co.jp/newly/r1/0830/
準備したの汚れ仕事が出来る長袖長ズボンの衣服、着替え、ビニール袋、踏み抜き防止性能のある長靴、丈夫なビニール軍手、防塵マスク(今回は使わなかった)、ゴーグル(今回は使わなかった)、ヘルメット、懐中電灯、身分書、保険証、自分の食事、素早く糖分補給できるお菓子、水分(2L程度)あと携帯用のハンドソーを自己判断で持参しましたが今回は非常に役に立ちました。
金曜日会社を早退し15時に出発
料金所では書類確認に場所を移動し待たされることも多く出来るだけ料金所の少ない
阪神高速池田線→名神豊中→北陸道のルートを選びました。
事前に物資の補給、宿泊などの理由を明記し降りるICを申請しておけば途中退出もオッケー。前回に事故通行止めで途中退出した経験から渋滞しても回避出来る福井ICを物資調達(食料)場所にし 翌日用事のあった岐阜の大垣ICを宿泊用の途中退出としました。
福井でかった昼メシ
栄養バランスどない
北陸道はリニューアル工事中
金沢辺りから停滞してしまいました。
宿に間に合うように休憩少なめ日大阪から5時間 ここでの渋滞はかなりキツかったです。
渋滞はしましたが予定していたより早く20時半に到着。前回も利用させて頂いた民宿さんを予約しました。
今回はここの近くの海浜公園集合ではなかったのですが世間は三連休で宿の予約が全然取れなくてここのお願いしたところ使ってないお部屋を特別に開けてくれることになりました。本当に感謝です。
今回もご馳走を低価格で
朝ご飯食べて5時半に出発
服装的にはこんな感じで
10月でこれで汗だくになりました。
山間部だったので休憩中は涼しく汗で身体が冷えてしまうので着替え必須です。
県庁コラボ今回唯一の車写真←
車で来た方はここでバスに乗り
このあと電車で来た方の乗せに金沢駅に向かいます。
バスの中で簡単なオリエンテーション
前回は被災地の写真をSNSであげるのは禁止となっていたのですが今回の説明では活動の様子や被災地の現状をSNSを有効に使い広く発信にてほしいとのことでした。
もちろんプライバシーには最大の配慮が必要ですが私もそのようにしたいと思います。
志賀町辺りまではまだ快適でこのさき道路が極端に酷くなります正直驚きました。
地震から10ヶ月経過するのに高速道路が酷い状況のままで時速30km以上で走れる状況ではないし隆起した地形に無理やり迂回路を作った写真撮影すら出来ないようなアウトドアコースのような道です。
何故か滋賀から金沢までの北陸道を渋滞させてまでリニューアル工事しながら被災地の道路を放置するのか行政の復興プランは理解できなかったです。
今回お世話になったNPOのと復耕らぼのベースキャンプに到着 ここから三井町の現場へ
今回お世話になったNPOのと復耕らぼのベースキャンプに到着 ここから三井町の現場へ
https://sites.google.com/view/noto-fukko-labo/about
途中何箇所も土砂崩れの痕がそのままに
バスの中でワイワイと話していた皆さんも周りの風景を見て口数少くなりため息が聞こえます
今回活動するのは世帯数も少ない平均年齢70歳以上の限界集落です。
震災から10ヶ月ボランティアの手がろくに届かなかった集落はお爺さんお婆さんが一輪車とクワで自力復興を頑張っていたとか そこにあの大雨です。
今回は二次災害目前のこの泥山を重機が入れるようになるまで整地します。
今回一緒に活動するメンバーは岡山県、宮城県、福島県、滋賀県、和歌山県と皆さん遠方からでしかも女性が多かったです
皆さんパワフルでボランティアも数回経験済みとのことでした。
お一人で大阪から来られた娘と同世代の男性がおられ若い方でもこんな人いるんだなと少し嬉しかったです。
あるのはシャベルとバケツのみ
足場も悪く非常にキツい現場でしたが当然誰も不満を言う人はいなかったです。
泥山を崩し足場を作り土を土嚢に入れを運ぶ
これを午前中繰り返しました。
掘り進めトタンを使い土を下まで落とす
お昼休憩には集落の方の許可を取り川で長靴や手袋を洗いました。
お昼ご飯
少し休憩
昼からさらに掘り進め危険度は増していきます。途中雨が降り出し皆ずぶ濡れで足場も悪くなりぶっちゃけ上で作業していた私達は何度も滑って転落(笑)
翌日にも別のボランティアの方が入られるのですがここで辞めると降り出した雨で作業途中の場所が崩れてしまうかもと判断。
本来土木の作業は雨になると中止なのですが全員一致で続行を希望。
疲労困憊で雨にうたれ泥だらけ
過酷な状況ですが誰一人不満を顔に出す人はいません
心優しき人達と一緒に声を掛け助け合い笑顔をみせながら1日作業出来たのはとても素晴らしい経験でした。
山から流れる水路を復活させ作業も無事終了
結果的に予定していたよりも進んでしまいました。
服についた泥はうまい具合に雨で洗い流されましたが長靴だけは川で洗いました(笑)
本来なら皆さん疲れで言葉を失うタイミングなのでしょうが達成感からまるでチームスポーツで勝利したあとのように皆ワイワイ
ベースキャンプに着いた頃には虹が出てました
帰り道は皆さん爆睡
今回は能登に戻ってみてゼロからのスタートが本当にマイナスからのスタートになっていてこの状況がなぜもっと広く報道されないのか 死者数や倒壊家屋数は確かに阪神や東日本より少ないけどここまで放置された被災地は見たことがないです。被災地の役所の皆さん、NPOや他の善意の皆様は不休で頑張っているのに国からのバックアップがなさ過ぎるし報道もたった数ヶ月で取り上げることもなくなった。
なんか色々やりきれないです。
どの災害もそうですが被災地とそれ以外の地域では温度差があるもんです。でも金沢市内が元気なら被災地も元気かといえばそうじゃない。
被災地は孤立してるんです。
平均年齢70代の集落のご老人がアレから助けをずっと待っているんです。
実際ボランティア活動に誰しも参加出来るとは思いませんし僕も子育てが終わり時間に余裕のある今の状況だからこそ出来たことだし 毎週被災地に来てる人達からしたら僕の努力などないにも等しいと思います。
それでもならない善よりやる偽善です。
是非ともこの状況が少しでも広く伝わることを祈ります。
ボランティアだけが復興の手助けではないし地元経済が潤うように能登への観光なんかも是非ご計画なさって下さい。
今一度みんなで被災地を応援しましょう
お願いします。
私もスタバで貢献してきました(笑)
3時間かけて大垣のルートインへ
途中ガソリンスタンドで給油口のキャップすら開けれないほどの握力なくなってました(笑)
到着したらバタンキュー
そして朝飯食べたらそのままお千代保オフへ
我ながら鉄人😂