CLSクラス クーペのspecialists☆・メルセデスベンツ・メルセデスファミリー・ヤナセ・サザエさんに関するカスタム事例
2019年11月16日 22時13分
東京↔️茨城 メルセデス・ベンツ新旧全般、my carはノーマル派ですが、カスタム、チューニング否定派というわけではありません。 なお、本文中では日本にメルセデス・ベンツを広めた故・梁瀬次郎氏に敬意を払い、敢えて「メルセデス」ではなく「ベンツ」と表記しております。
まいどご覧いただき、誠にありがとうございます🙌
世田谷区桜新町、長谷川町子美術館にて。
ヤナセなくてアニメ「サザエさん」は産まれなかった⁉️
故・長谷川町子さんといえば、国民的アニメと言われる「サザエさん」の原作者。
なぜサザエさんとヤナセが関係あるのか❔
磯野家にクルマは無いし、スポンサーは東芝だったのでは、と思われるかもしれませんが、サザエさんのアニメ化に関して、実はヤナセが深く関わっていたことはあまり知られていません。
美術館を反対方向より。
1952年、テレビの放送開始に合わせ、テレビ受像機の輸入販売会社として、当時のヤナセ社長である梁瀬次郎の発案で日本テレビジョン株式会社(現:TCJ)が設立。しかし、テレビの普及が予想以上に早かったことから、1950年代半ばにはサイドビジネスとしてテレビCMの制作に手を出すようになり、間もなくそのCM制作の方が本業になっていた。そのCM制作の際にいわゆるアニメCMを多く手掛けていた事が、後のエイケン発足のきっかけとなる。
1969年、日本テレビジョンが株式会社テイ・シー・ジェー(TCJ)に商号変更した際に、テレビアニメ制作を担っていた映画部が株式会社テイ・シー・ジェー動画センターとして分社化(登記は3月10日)。映画部部長の村田英憲が社長に就任し、これを現在のエイケンの創業とした。
1973年、テイ・シー・ジェーが保有株式をすべて譲渡したことにより、同社及びヤナセからは資本的に独立。株式会社エイケンに商号を変更した。社名は梁瀬が村田の名前の音読みを採用して命名した
前の写真奥の公園。
梁瀬次郎さんの、三世代が仲良く暮らす理想の家族の姿として「サザエさん」を是非アニメ化したいとのことで、原作者の長谷川町子さんに承諾をもらえるよう、世田谷の長谷川家詣でをする必要が生じます。
当時、原作者である次女の町子、長女毬子、三女、洋子で「姉妹社」という出版ならびにに版権管理会社を営んでおり、先ずは町子のプロモーター兼マネージャー役の毬子に話を通す必要がありました。
写真はイメージです
いざ長谷川御殿を訪れるにも、ほとんどの人は門前払いになってしまいます。
そこで困った村田英憲さんは、長谷川家ではヤナセのベンツを愛用していることを知ります。
次郎社長に一緒に来てもらい、毬子さんに「TCJは存じ上げませんが、ベンツのヤナセなら知っております。」ということで、ようやくアニメ化のお願いできたという。
この美術館には、あの磯野家の立体見取り図があります👍
館内は撮影禁止のため、📷はありません❗
さーて、来週のサザエさんは🏠
マスオ、ヤナセへ行く
波平ベンツでゴルフ
カツオ辰巳デビュー
来週もまた見てくださいね~
んがぐぐ
…じゃなくてジャーンケン✊✌️✋んふふふ~
参考文献
ヤナセ社史 100年の轍
梁瀬次郎自伝
アニメ・プロデューサー鷺巣政安 さぎすまさやす・元エイケン製作者
著者: 鷺巣政安、 但馬オサム
長谷川町子美術館
https://www.hasegawamachiko.jp/