MR2の地震災害に遭われた方々にお見舞い申し上げます・疲れが取れない・コメントは出来る時にします・おちょん広めよう委員会・おちょんのはばたきに関するカスタム事例
2024年01月05日 17時42分
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大きな地震のニュースが注目を集めているところです。
人がたくさん亡くなっているので、今回はあまりふざけずに書きますが。
自然災害は、まさに諸行無常の象徴でもあります。
人間の感覚でいうところの
「誰も悪くないし、誰も責任がないのに」
災難が降りかかり、人が傷つき、亡くなったりする。
さっきまでふつうに会話をしていた人が命を失ったり、
さっきまで笑顔だった人が息をしなくなるという現実。
私たちは生きているようでいて、死はすぐ隣り合わせのところにある、ということでもあります。
また、人から見れば災害を起こした自然は「悪」のように思えるかもしれないし、
それをコントロールすべきだと思うかもしれません。
しかし自然の側から見ればそんなことは知ったこっちゃなく。
雨は降るし風は吹くしマグマがたまれば外に出るだけ。
プレートが曲がれば元に戻ろうとするだけです。
今回の地震で亡くなった方は、まさに不運、まさに偶然の結果によって、そうなったということに過ぎないのかもしれません。
あぼがどろすぅ的には、仏教でいうところの「因果」のような考え方や、
キリスト教でいうところの
「信仰のある生活」
といった考え方を明確に否定します。
平たく言えば、なにがしかの
「悪い行いをしていたから、罰を受けるんだ」
というのが因果の考え方です。
また、
「神の言うとおり、よい行いをすれば救われるんだ」
というのがキリスト教の信仰の基本です。
私の考え方は、そんなもんは一切関係がなく、
いいも悪いも無関係に
「それは起きる」
ということです。
今回、災害に遭遇して亡くなった方は、
そういう意味では
「不運(タイミングが悪かった・めぐり合わせが悪かった)」
と言うしかないでしょう。
悲しい、というキモチになることではありますが・・・。
地震のみならず、あちこちで発生している土砂災害や浸水など。
もっと言えば阪神淡路大震災や東北の震災など、
「いのちが無常である」 ということに気付かされる出来事は、そこかしこに溢れています。
しかし、私たちは
「どうせ死ぬんだ」
と思いながら生きているわけでもなく、
また
「私は常に安全だ」
と確信しているわけではありません。
ふだんは「自分はそれなりに安全だ」となんとなく思いつつ、
事件や災害が起きるたびに、
「もしかしたら・・・」
とちょっと不安になるような、そんなちっぽけな存在として生きています。
占い師に頭がいいと言われ浮かれてるしょ〜もない人間から、
もし何か一言言わせていただけるのだとしたら、
私はこんなことを伝えたいと思います。
「良い行いをしていれば救われるなんてことも、悪い行いをすればバチを受けるなんてこともなく。このセカイはもう少しドライでもあるし、もうすこし無慈悲で酷いことも起きる。今日のいのちが明日も続くかは、誰にとっても保証がない、わからないことである」
「じゃあ、そんな無常なセカイでどう生きる?どうせ死ぬならと好き勝手生きるのか?どうせ死ぬならと自ら命を絶つのか?」
「そうではなく。どうせ死ぬし、どうせ無常なセカイなんだからこそ。今のこの一瞬一秒を『悔いなく、全力で』生きよ、ということではないのか」
と。
スティーブ・ジョブズが信念としていた
「明日死ぬと思って、今日を生きる」
という言葉の原典は、マハトマ・ガンジーだそうです。
この言葉には、とても深い共感を覚えます。
どうせ無常なセカイなのだから、精一杯生きてみませんか?
災害救助、とくに遺体の収容に向かわれているチームのみなさんのことを思うと、胸が熱くなります。
どうせ死んでいる。
どうせ助からない。
なんてことを思いながらでは、現場には向かえないでしょう。
あるいは、そう思っていても、それを乗り越えてゆく勇気、
自分の身を危険にさらしてまで行く勇気はものすごいものです。
でも、日本の救助隊の人たちは、誰一人
「俺はいかない」とはいいません。
もしあなたがその任務を負っていたらあなたも行くはずです。
無常なセカイであっても全力で生きることは、
実は誰にでもできることなのかもしれません。
終
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