フーガの和歌山県伊都郡高野町高野山・『成福院摩尼宝塔(ビルマ戦没者供養塔)に関するカスタム事例
2018年11月20日 09時24分
フーガに乗って6年半になりました(_ _) ええ年こいて未だに車いじり止めれません(^_^;) 匍匐前進で進化していきたいと思うので( ̄▽ ̄;) ヨロシクお願いします(_ _) 注)基本来るものは拒まず去るものは追わずですが(^_^;) 1度も投稿の無い人は受けませんので(>_<) (お礼のコメント入れられないので)(^_^;) 1度投稿してからフォロー頂けたら助かります(⌒0⌒)/~~ (お礼のコメント入れられるので)(^_^;)
今回は先週の火曜日に早朝から行った高野山シリーズpart6です(⌒0⌒)/~~
場所は和歌山県伊都郡高野町高野山になります(⌒0⌒)/~~
この建物は『高野山成福院 摩尼宝塔(まにほうとう)』です(⌒0⌒)/~~
この摩尼宝塔はビルマ戦没者供養塔になります(・・;)
第二次世界大戦のビルマ作戦で、再び祖国の地を踏む事もなく、異国の山野で眠る戦没者を慰める為に建設されました(・・;)
摩尼宝塔は日本でも数少ない八角形のお堂になります。(⌒0⌒)/~~
ビルマのパゴダは殆どが円形ですが、そのビルマのパゴダを表すものとして八角形になっています。(⌒0⌒)/~~
高野山では八角形のお堂はこの塔1つで、平成12年塔内の壁にステンドグラスを施し、床はミャンマーから取り寄せた大理石を使用するなどの大改修を行ったそうです(⌒0⌒)/~~
摩尼宝塔の由来ですが、(・・;)
この塔の発願者である『成福院』の前住職、故・上田天瑞(てんずい)大僧正(元高野山大学学長)は、昭和16年、南方仏教研究の為にタイ国に至り、大戦勃発によって陸軍嘱託としてビルマに進駐、ビルマ各地に日本語学校を設立じ、教育に艇身、その後ビルマ僧となって修行しました。(ビルマでは身をもって悲惨な戦争を体験)(・・;)
昭和19年ビルマ仏教協会より贈呈された釈迦仏像と大蔵経を奉持し無事に帰国した大僧正は、この仏像を御本像としてビルマ戦没英霊を高野山において供養することを発願し、苦心13年の歳月を要して、昭和40年第一期の摩尼宝塔工事を終了、今日の基礎を作ると共に、日々護摩供養を厳修して英霊の菩薩を弔いました。(・・;)
昭和59年、弘法大師御入定1150年御遠忌大法会に当たり、前住職の遺志を継ぎ摩尼宝塔の完成を発願した仲下住職は、戦友・遺族・有縁の信者の協力を得て、三層八角の荘厳な宝塔の完成を成就しました。(⌒0⌒)/~~
摩尼宝塔には、日本ビルマ親善のため、ウ・ネウイン前大統領より釈迦像を、ビルマ高僧ウ・サンディマウンタ大僧正からは大理石獅子を贈呈されています。(⌒0⌒)/~~
今回は先週の火曜日早朝から高野山へ行きましたpart6(⌒0⌒)/~~
『成福院摩尼宝塔(ビルマ戦没者供養塔)』をバックに撮りました(⌒0⌒)/~~