718 ケイマンのポルシェ・千光山 清澄寺・鴨川市・NO WAR 🙅♂️に関するカスタム事例
2022年03月21日 07時33分
いいね!をいただいた皆様、フォローしていただいている皆様どうも有難うございます❗️ 初めて購入した車が新車で買ったゴルフ2。それから、かれこれドイツ車ばかり20台近く乗り換えています。E46やE90、オペルなんかも乗りましたが写真がほとんど残っていません。 ということで、自分の自己満足の為だけに写真をアップしています😅 そんな…車好きのちょい悪オヤジですが、宜しくお願いします。 フォロー数稼ぎの方はご遠慮ください。
恒例の神社仏閣シリーズです😊
市原市の五百羅漢の光徳寺が第48弾でしたが〜
その後、大網白里市の南玉不動尊と東金市の道陸神を入れていなかったので…
今回が第51弾になりますね〜
こちらは、鴨川市の清澄寺ですが〜
とは言っても、海🌊ではなく鴨川の山の中で…
昨年9月に着工から20年経て完成した鴨川ループ橋を登って🚙💨行って来ました😄
残念ながら、ループ橋は撮り忘れましたが😅💦
Wikipediaによると💁♂️…
『清澄寺(せいちょうじ)は、千葉県鴨川市清澄にある日蓮宗の大本山。
山号は千光山。
日蓮が出家得度および立教開宗した寺とされ、総本山久遠寺・大本山池上本門寺・大本山誕生寺とともに日蓮宗四霊場と呼ばれる。』
要は、ココから日蓮宗がスタートしたというお寺さんなんですね❣️
以前の投稿で、小湊の誕生寺を投稿しましたが…
日蓮大聖人の2つの所縁のお寺に行くことが出来ました。
仁王門の横に案内板💁♂️があります。
『千光山 清澄寺(日蓮宗)
創建 宝亀二年(七七一)
開基 不思議法師
由緒 当山は、天台宗の寺として開創され、平安時代に至って、慈覚大師円仁が僧坊十二、祠堂二十五を建て、房総第一の大寺となりました。
江戸時代の初期、仲恩房頼勢法師が家康公の帰依を得て再興し、これより真言宗の寺となり、格式十万石、朱印五百石を賜わり、本山格の寺になりました。
また、京都醍醐三宝院の別院となったため、菊花の御紋章を許されました。
本尊の虚空蔵菩薩は、智慧福徳の菩薩として名高く、その像は、日本三大虚空蔵の一つです。
日蓮宗の開祖日蓮聖人は、天福元年(一二三三)五月十二日十二歳のとき、小湊からこの寺に入り、道善法師に師事し、出家得度しました。
勉学修行に励んだ聖人は更に諸国に出て、各宗の奥義を学び、建長五年(一二五三)四月二十八日三十二歳のとき当山旭の森で立教開宗の第一声をあげました。
聖人ゆかりの当山は、昭和二十四年四月、日蓮宗に改宗しました。』
清澄寺の仁王門を見ただけで…
ココが、ただならぬ寺なんだと伝わってきます😆
清澄寺の公式HPによると、こちらの仁王門は💁♂️…
『文久3年(1863)に建てられたもので、左右の金剛力士像はお寺のガードマンの役目を持っています。
正面に向かって右の口を開けている阿像(那羅延金剛)は一切の法の最初を表し、左の口を閉じている吽像(密迹金剛)は一切の法の窮極を表しています。』と説明されています。
仁王門をくぐると直ぐ右手に手水舎があります。
こちらでは、水盤舎と呼ぶようです😊
仁王門を抜けて左手に本堂(大堂)があります。
このショットで、迫力が伝わってきませんかぁ😄
本堂の石段を登る左手にある、こちらの丸い石碑は何なんでしょう🤔
ど〜んと本堂です😊
こちらは摩尼殿(まにでん)と呼ばれて、度重なる改修を繰り返し、現在の摩尼殿は17世紀後半のものだそうです。
右手に大きな案内板💁♂️があります。
『本堂(大堂)
千光山清澄寺は、宝亀二年(七七一)不思議法師が自ら刻まれた虚空蔵菩薩の御像を祀って開基されその後平安時代に慈覚大師が来って僧坊・堂宇を建立整備して開創された房総第一の天台宗の大寺でありました
その後約八百年を経て江戸時代の初期徳川家康公の帰依を得た仲恩坊頼勢法印が恩賞として賜った十万石の格式・五百石の朱印・醍醐三宝院宮別院の称号(このため菊花御紋章を許さる)及び本山格式等を背景に再興し、その時以来真言宗智山派の法脈に属して約三百八十年続いてまいりました
しかし大正時代になると廃仏毀釈の嵐の余波と此地を襲った台風のため、衰微の極に達していた當時の起死回生をはかるには日蓮宗に転宗帰属する以外に道無しとする機運が昂まりました。
幾多の困難や曲折を凌いで遂に改宗の大事が決定し、昭和二十四年二月十六日を以って宗祖日蓮聖人出家得度・立教開宗の霊跡、日蓮宗大本山清澄寺となったのであります
本堂正面には智慧福徳願望成就の利益をお授け下さる名高い虚空蔵菩薩の尊像が安置されています』
本堂を見上げると、豪華絢爛な彫刻が施されています😊
この雰囲気だけで圧倒されてしまいます😵
荘厳な感じがして、心が落ち着き…
自然と頭が下がります😊
本堂内には至るところに彫刻が施されており、暫く凝視👀してしまうほど素晴らしいものです😲
是非ご自分の目👀で鑑賞してみてください。
本堂内は圧巻です😊
本堂横に彫刻についての詳しい案内板💁♂️が…
『清澄寺本堂の彫刻
清澄寺本堂には数多くの彫刻がとり付けられています。
懸魚には「鳳凰」、向拝には「蓬莱島」と愛染明王の台座、柱の左右の木鼻には「獅子と象」、そして、東西の破風には、阿吽の「力士像」一対が飾られています。
本堂内の厨子の彫刻の裏面には「享保十六辛亥年二月日武江彫物大工 嶋村唐四郎」の墨書銘が判読されることから、江戸の嶋村家三代目を継いだ唐四郎が、享保十六年(一七三一年)に彫刻類の製作を担当したことが確認されます。
同時期に本堂向拝及び東西破風の彫刻を唐四郎が製作した可能性が高いと推測されます。
妙見信仰と関わりの深い亀の背中に松竹梅が茂る蓬莱島、愛染明王が腰掛ける甕から四方八方に宝珠が飛散する図柄など、寺社彫刻としては類例の少ない題材が採られています。
これらは、江戸時代の頃の清澄寺を取り巻く宗教環境が背景にあるものと推測されます。』
本堂から見た祖師堂です。
清澄寺の公式HPには💁♂️…
『お万の方の奉納とされる日蓮聖人像を祀っている祖師堂は、建築家内井昭蔵氏が法華経の世界観、日蓮聖人の軌跡を設計に取り入れ、日蓮聖人聖誕750年慶讃事業として昭和48年に完成した。
地面から2メートル近く上がっている床は、お釈迦様の神通力によって空中で法華経が説かれた虚空会こくうえを表している。
堂内の2本の柱は、「妙法」の二文字を表し、その2本の柱の上部はそれぞれ3本の柱からなり、合計6本の柱となっている。
この「6」とは、日蓮聖人の本弟子六老僧を表している。』と説明されています。
もちろん、こちらにもお賽銭をいれて🙏しましたよ〜😊
本堂の横に、厄割り玉というゴルフボール程度の大きさの玉が一つ200円で売っています。
この厄割り玉に、日常の不安や悩みごとを…
こちらの吹き込み石に投げつけて割るそうです😄
ストレス解消になりそうですね😆
こちらの鐘楼堂は比較的新しいもので…
平成7年12月の完成です。
鐘の側面に奉納者の氏名が彫られています😊
本堂を正面に見て、右手には中門があり…
中門の先には宝物館と本院があります😊
こちらのお寺さんは、いろいろな場所に案内板💁♂️があるので…
ホントに分かりやすいです😊
『清澄寺の中門
この門は、「中門」と呼びれ、清澄寺縁起によりますと、正保四年(一六四七)に創建され、天保8年(一八三七)に改修されています。
構造形式は、一門一戸の四脚門で、屋根は茅葺きの切妻造りです。
主柱は冠木をもってつなぎ、主柱上には平三斗を置き、実肘木で妻虹梁をささえ、その上に背の低い大瓶束を立て、更に平三斗を置いて棟梁をかけ、正面冠木の上の虹梁中央にのみ本蟇股を置いてあります。
主柱の左右に袖板をつけ、正面右側にのみ通路用の小さな扉がつけてあります。
軒は二軒につくり、妻軒については、深くしてあり耐湿、防風への効果を考慮していることがうかがえます。
様式は、和様を主とした折衷様式で、江戸時代初期の建築物としては、彫刻などの装飾も少なく簡素な美しさがあります。
この美しさは、天保年間の改修の際も損なわれることもなくのこっています。
昭和三十九年四月二十八日に、千葉県指定有形文化財となりました。』
その中門をくぐって直ぐに目👀に飛び込んでくるのが、こちらの案内板💁♂️です…
『清澄寺宝篋印塔
この宝篋印塔は、当寺の境内中庭にあり、高さは一・五七メートルで房州産の嶺岡石でつくられ、塔身には、大日如来の像や、天鼓雷音、無量寿、開敷華王各如来の種字が彫まれています。
肉厚な台石上部の反花、外傾した笠の隅飾りなどに、室町時代の特徴がよくあらわれていることと、彫まれた銘文により、応永十四年(一四○七)の創建であり、塔の建立趣旨と明確なところから、千葉県内の宝篋印塔の標本的遺品として、昭和四十年四月二十八日に、千葉県指定有形文化財となりました。
なお、紀年銘こそありませんが、同形式で、同時代の作と推定されるものが、中門脇の大クスの根元にあります。』
さらに、またまた案内板💁♂️が…
『清澄寺石造宝篋印塔
この宝篋印塔は、高さ157cmで、地元の嶺岡山系で産出する蛇紋岩を用いて作られています。
塔身の四面には、正面が半肉彫りの金剛界大日如来坐像、他の三面は、開敷華王・無量寿・天鼓雷音の各如来種字が刻まれています。
基礎には応永十四年四月(1407)の紀年銘が刻まれており、造立年代や趣旨が明確であることから、県内の宝篋印塔の標本的遺品として位置づけられています。
塔身の上に乗る笠の隅飾りがやや外傾し、相輪は線刻で九輪が表現されます。
反花や請花等にも時代相がよく示されています。
なお、本塔はその形態から関西様式に類別されます。
制作には、大和の石工集団・橘派が関わった可能性が想定されています。』
2枚も案内板があるってことは…
めっちゃ凄いものなんだろうなぁ〜と思って見たんですけど、宝篋印塔ってコレなんです😅💦💦💦
よく分かりませんが、きっと凄いものなんでしょうね〜😆
宝篋印塔の隣りに、また鐘楼がありました😊
こちらの鐘楼自体は先程のものよりもスケールが小さいですね。
こちらにも案内板💁♂️があります…
『梵鐘(明徳三年在銘)
この梵鐘の大きさは、高さ123.2cm、口径66.7cmで、三段組みで鋳造されています。
県内で文化財に指定されている梵鐘では、二番目に大きいものです。
乳は4段5列あり、鐘の上部にある上帯には優美な飛雲文を、下部にある下帯には、唐草文を施しています。
2個の撞座と竜頭は平行して位置していますが、ともに壊れていて元々あった蓮華紋様は不鮮明です。
池の間の第一区には「房州千光山清澄寺者」で始まる銘が刻んであります。
第三区には「明徳三年八月」(1382)の年紀と、当時の清澄寺の別当が前大僧正法印大和尚弘賢で、源朝臣清貞、比丘明了、比丘恵闇が旦那となって寄進したことや、この梵鐘の鋳造に携わった「武州塚田道善」の名前が刻んであります。
銘文には、清澄寺が慈覚大師の草創になることや、その時以来の梵鐘が壊れてしまったために、新たに鋳造が行われたことなどが記されています。』
左手が宝物館で右手が本院です😊
清澄寺の公式HPには💁♂️…
宝物館は、
『日蓮聖人七百遠忌記念事業として昭和56年に建設。
仏像、絵画、古文書、日蓮聖人ゆかりの品々を展示しております。』
本院は、
『平成29年4月27日、当山第十三代別当・二宮日敬猊下の代に完成した。
設計に際し、旧本院の十万石の格式の玄関を設計に取り入れるなど、旧本院の趣を残した造りになっている。』
とそれぞれ説明がありました。
まだまだ、これでも清澄寺の半分くらいしか見れていません。
明日は、この続きを投稿します🤗