フーガの和歌山県伊都郡高野町高野山・壇上伽藍の中門・再建するのに檜約1500本に関するカスタム事例
2018年11月21日 09時26分
フーガに乗って6年半になりました(_ _) ええ年こいて未だに車いじり止めれません(^_^;) 匍匐前進で進化していきたいと思うので( ̄▽ ̄;) ヨロシクお願いします(_ _) 注)基本来るものは拒まず去るものは追わずですが(^_^;) 1度も投稿の無い人は受けませんので(>_<) (お礼のコメント入れられないので)(^_^;) 1度投稿してからフォロー頂けたら助かります(⌒0⌒)/~~ (お礼のコメント入れられるので)(^_^;)
おはようございます(⌒0⌒)/~~
今回は先週の火曜日に早朝から高野山シリーズpart8です(⌒0⌒)/~~
この建物は金峰山寺の壇上伽藍の中門になります(⌒0⌒)/~~
場所はもう目にタコができるぐらいに和歌山県伊都郡高野町高野山になります(笑)
壇上伽藍の中門は天保14年(1843年)の火災で焼失したため、現在あるものは開創1200年記念事業の一環で平成27年(2015年)に再建されたものです(⌒0⌒)/~~
楚石は当時のものがそのまま利用され、鎌倉時代の建築様式をもとに設計されました。(⌒0⌒)/~~
江戸時代中期の中門の屋根は銅板が使用されていましたが、再建事業では鎌倉時代の中門を再建するため、檜皮葺が使用されています(⌒0⌒)/~~
斜めおちり(笑)(⌒0⌒)/~~
鎌倉時代の中門を再建するために、当時の用材と同じ高野ヒノキを使ってます。
高野ヒノキは高野山で販売されている御朱印帳の表紙の材料として使用され、はたまた高野山の霊木でもあり名産でもあります(⌒0⌒)/~~
現在ヒノキの産地と言えば長野県木曽が有名ですが、鎌倉期の日本では、高野山ヒノキは天下一品級のシロモノでした(⌒0⌒)/~~
この高野ヒノキを加工して『高野檜皮(こうやひわだ)』と称される『ヒノキの皮』や部材を造成しています。(⌒0⌒)/~~
しかしこの『高野檜皮』は時代を経る過程で過剰な伐採が行われ、今や現存する高野ヒノキは高野山でもほんの一部の地域でしか生息していない数少ない貴重な樹木になっています。(⌒0⌒)/~~
そんな事から、現在では社寺建築のみに使用する事が許可できる樹木になっています(⌒0⌒)/~~
そんな高野山ヒノキを今回の中門再建事業に約1500本使っています(・・;)
大きさは東西25m、南北15m、高さ16mあります(⌒0⌒)/~~
天保14年(1843年)の火災で焼失を免れた持国天と多聞天に平成の再建に合わせて新造された増長天と広目天を加えた四天王が安置されています(⌒0⌒)/~~
焼失以前の中門には持国天と多聞天の二体のみが安直されていました(⌒0⌒)/~~
その広目天像と増長天像は現代の大仏師松本明慶師の手により新像されました。(⌒0⌒)/~~
今回は高野山シリーズpart8壇上伽藍の中門をバックに撮りました(⌒0⌒)/~~