hicoさんが投稿したFun to drive againに関するカスタム事例
2021年11月24日 20時40分
ドライブジジイ
『この顔と生きるということ』著者 岩井建樹
こんな本がある
まだ読んでいないし買ってもいない
初めて見かけたのは何処なのか何時なのか記憶にない
その表紙に衝撃を受け、…目を背けた
鼓動も呼吸も早くなる
見たくない
なぜか…
それは、私が当事者だから
怖い
怖くて耐えられない
理由は知らない、わからない
思考停止に陥る
12歳の冬
その年の終わりまであと四日という年の瀬
右顔面の三叉神経が麻痺となった
まったく動かない
近くの医院はもう休みであった
年明けに開くまで待とうとなった
初診のとき
医者の言う手遅れだという声がはっきり聴こえた
目蓋は閉じず、開かず
右の視力がガタ落ちとなった
ちゃんと話せず
ま行と「ぱぴぷぺぽ」が発音できなくなった
右顔面が垂れ下がり老人のようになった
心を封じこめ
けして感情を出さず
左顔面は無表情となった
恥ずかしいからだ
この顔を見られたくない
喜怒哀楽のすべてを閉じた私は
滑稽で不気味な能面となった
五年間リハビリをした
一日も欠かさず毎日
中学生の確か2年のとき
『オレは死ぬのは怖くない』と父に宣言をした
理由は覚えていない
ただ父は黙っていた
今現在の私の年齢よりも若かった当時の父に
申し訳なく思う
受けとめきれないだろうなと思う
ごめんな
起きている時間をほとんどすべて
リハビリに費やした五年で随分と動くようになった
だがいまも目蓋はちゃんとは動いてくれない
細心の注意と集中力を持ってすれば
すべての音を発することができるようになった
油断するとちゃんと音が出ないし、
飲み物もこぼれてしまうけれど
30歳を過ぎたころ
すべての毛髪を失くした
産毛までも抜け落ちた
皮膚科の医師はカルテに超悪性全身脱毛症と記していた
原因は、わからない
眉や睫毛がないと汗が目に入りやすく
鼻毛がないと喉を痛めやすくなった
いまはすこし回復した
生涯完治することもあるまいが、顔面麻痺に比べれば耐えられないこともない
人の視線は時として
それだけで暴力となる
嘲りの言葉
偏見に満ちた侮辱
傷ついた心に
それほどよい薬もない
思春期に受けた数えきれない傷はいまも新鮮で
現在も苦しくなることがある
いい加減馴れてほしいけれど
まだ血を流しているのなら、それはやはりできない相談なのだろう
誰しもなにかしらあるだろう
この世から差別も偏見も消えることもまた、ない
それでもなにか
楽しめることをなにかひとつ
胸に抱いていければいいなと思う
週末はまた
すこしドライブに行こう♪
『この顔と生きるということ』
私にはまだ読めそうにない
画像はすべて
海洋堂ホビー館四万十より