ゆきむらー ☆さんが投稿した今までに所有した車でNo.1は?・メルセデス・ベンツ・w126・W126・キャンギャル風撮影に関するカスタム事例
2023年03月17日 22時34分
東京↔️茨城 本文中では日本にメルセデス・ベンツを広めた故・梁瀬次郎氏に敬意を払い、敢えて「メルセデス」ではなく「ベンツ」と表記しております。
まいどご覧いただき、まことにありがとうございます🙌
お題目投稿、過去車№1ということで、もう私を知ってる方なら何を出すか分かりきった内容です🤭
2つ前の投稿の方に再び出演願いましたw
↑25年前の話🤭
メルセデス・ベンツ type126、560SEL
トップ画は①号車、そしてこちらは数年後に買った②号車。
ゴーロクマルは都合2台乗っております。
①号車の頃はまだ126が「先代」モデルの頃。
現在でいうと、222にでも乗ってる感覚といえば分かりやすいかもしれません。
しかも当時の私は20代半ばの若造🤭
今かーちよ〜ん見て、若い人がSクラスとか乗ってるのを見ると、若いのに‥と思いますが、自分がそうだったことを棚に上げております😁
‥‥でも、若いうちに「良いもの」「本物」に触れておくのはとても大切です。
歳を取ると、感性が鈍くなってきてしまいます😦
①号車、②号車どちらが良かったかといえばやはり①号車。
このクルマはまさにバブル生き証人。
足立→品川→千葉→土浦とナンバーが変わっています。
そのうち足立→品川→千葉は登録された年のわずか半年の間にです。
この車の数奇な運命を辿るために、当時大がかりな調査を行いました😎
1991年2月末 シュテルン中央より納車
ファーストオーナーの名義は××商事。
住所は北千住のあたりです。
しかし、整備手帳、保証書のユーザー名は◎◎建設名になってました。
1991年5月にセカンドオーナーの手に渡る。
会社が所有者、社長(女社長)が使用者となぜか分けて登録されていました。
1991年8月にこの車を渋谷の旧山手通り沿いにある某外車屋が買い取り、
ナンバーはそのままで車屋に名変。
1991年9月にワタシの前オーナーがここから購入。
千葉県外房某所の方で登録名義は女性。
セカンドオーナーの会社の謄本写し。
やってることは金貸しか興信所🤣
最初に向かったのは保証書に残っていたファーストオーナーの住所へ。
地図をもとに辿って行くと、看板が出てました。
外車の△△オート ××商事㈱
え?車屋??
普通の住居兼事務所でショウルームも展示スペースもありません。
てか、人が居る気配が全くしません。
それも昨日今日居なくなった、という感じではありません。
その足でこの車を販売したシュテルン中央へ。
運よく?ファーストオーナーを知ってる方が対応してくれました。
保証書を出し、話をしようとすると
「事故、修復歴はこちらでは分りませんが・・」
と切り出してきたので、とりあえずわかったように話を聞き流し本題に
入ることにします。
ワタシ「××商事ってどんな会社ですか?」
シュテルン氏「ああ~あそこねぇ・・羽振りのいい社長さんだったんですけど」
いきなり過去形です。
シ「お車大丈夫ですか?ちゃんと名変出来ました?」
おいおい・・
シ「社長さん、だいぶ前にどこかへ逃げてしまったようですからね」
いきなりバブル崩壊の話です。
シュテルンから◎◎建設に納めているのに名義は××商事。
(◎◎建設は使用者にもなっていません)
◎◎建設は××商事の親族?ではないかとのこと。
この車にふさわしいっちゃふさわしいが、まさかその話を目の当たりにするとは夢にも思っていませんでした。
セカンドオーナーの会社の定款。
ファーストオーナーとセカンドオーナーの関係は不明ですが、債権者か知人であったのは間違いないでしょう。
ファーストオーナーの登記簿は、法務局で閲覧したのみですが、セカンドオーナーのものは入手してきました。
私の代での整備関係の伝票も取ってありました。
今はなき茨城ヤナセ㈱藤代営業所、後のメルセデス・ベンツ取手にてメンテナンスは任せておりました。
当時、懇意にしてたサービスフロントの方は何処へ行ってしまったのやら😦
後で聞いた話しでは、私のゴーロクマルはかなり程度の良いクルマと評判だったとかなんとか‥🙄
クラシックやJAZZなど「名演」「名盤」というものがあります。
同じ曲目を他の演奏者が取り上げても、過去の「巨匠」と呼ばれる方の物とどうしても比べてしまいます。
だからと言って、今の物が悪いということではありません。
なんとかのグルメではありませんが、解釈や表現が「そうきたか❗」という感じです。
これはベンツ車にも同じことが言えます。
旧ければ良いものでも無い、かといって最新が最良とは限らない。
まさに126は私にとって、ベンツ車の決定版であり、スタンダードであります。
はるか20年も前、210を中古124乗りの一部の方があたかも親の仇のごとく叩きましたが、116から126に変わった時も、124→210と同じような変化はしています。
116より巾は50㎜近く狭くなり、ドア下には樹脂製のプレートが付き、バンパーも樹脂製。
おまけにエンジンもボディも軽量化。
これはクルマの進化の過程でもあります。
中古124原理主義者たちは、123→124の変化についてはだんまりを決め込まれてたようですが🙄
そんなバブル期のカーグラフィック1990年12月号の広告を見てると、楽しいものです。
キャラットに続いてケーニッヒの正規代理店?
この雑な価格設定がタマリマセン😁
出た❗
外車のビクト●ア
中古並行、オコシ上等❗
全く持って乱暴な広告😦
三重県鈴鹿の吉●自動車の広告も好きでした。
完全にバブってます👍
この年出たばかりの129
ディーラーで新車頼むと2年待ちということで、欧州やら北米からの並行車がプレミア価格。
今でもゲレンデ4年待ちとか言われても、このように並行車が出回ることはありません🙄
126も中古車価格は上昇中。
219の売却先だった極上車専門店、ARJ(アレックスリードジャパン)さんの300SE。
ゴーロクマルはシュテルン品川のALL TIME STARSのコレか。
今回はあまりピンとクルマクルマはありませんでした。
もし、コレクション用に一台買うとしたら、最終型(助手席エアバッグ付)のワンオーナー、禁煙、走行2万km未満、車庫保管、付属品欠品無し、ディーラー整備記録簿付き、もちろんフルノーマル無改造欠品無しという一台か。
㈱ヤナセ多摩支店のサービスに、そんなにクルマ有ったら教えてと言ってあるのはナイショ🤐☝️
中坊の頃買った本も今だに持ってます🤭
現在と違って、126の頃はアウトバーンでのベンツSクラス絶対優位でした。
ビーエムが500に対抗するため、735にターボ過給でパワーアップした745出したりしてましたが、アウディはクアトロはあってもまだまだ大人しいVWの上級車、あとはジャグァーの12気筒くらい、レクサスなどまだ構想段階という時代です。
70年代最後の年に生まれ、80年代を駆け抜け、90年代を走り抜き、21世紀も生き抜く126はまさに時代を超越する高級車。
それでは皆さんごきげんよう🌚