RX-7の岡崎観光ガイド・八丁味噌・岡崎城・大樹寺に関するカスタム事例
2024年01月13日 17時28分
「どうする家康」に乗っかって〜第二弾!
✨家康生誕の地 岡崎巡り✨ 編
近すぎて...😅
ゆっくり尋ねる機会がなかなかない岡崎😌
「どうする家康」終わってしまった今ならちょっとはすいてるかと思い行ってみる事にしました🙌
まずはここから!
岡崎といえば、八丁味噌のカクキューさん🙌
【成り立ち】
今川義元の家臣であった早川家の先祖 早川新六郎勝久は、桶狭間の戦いで今川が敗れた後、岡崎の願照寺へと逃れて武士をやめ、名を久右衛門と改めました。
久右衛門は寺で味噌造りを学び、数代の後、現在の場所である岡崎市八丁町(旧八丁村)へと移り「八丁味噌」を造り始めました。
当主「早川久右衛門」の名は代々世襲されており、現当主は19代目✨創業は1645年!
因みにこの八丁村、岡崎城から西へ八丁(870m)はなれたところにあった事からこの地名となったそうで、その八丁村で作られるお味噌だから「八丁味噌」という名になったそう🙌
カクキューさんは工場見学をやっているので受付をして、待ち時間が45分ぐらいあったので〜
売店横のお食事処休右衛門さんでランチ🍙
もちろん八丁味噌を使ったメニューです!
味噌カツ定食(旦那)
ゆば天味噌煮込みうどん(私)
とにかくお味噌が味わい深くて濃くて美味しい😉👍
私のゆばの天ぷらが激うまで感動しました!
また絶対食べたい🙌
お店が込む少し前だったので、待ち時間も短く、工場見学の集合場所に間に合ってロスタイムがなくてラッキー👍
さ、工場見学スタート🙌
こちらはカクキューの本社屋!
昭和初期に建てられ、築90年以上🙌
平成8年に愛知県では初となる国の登録有形文化財に登録されました。
ここからは資料館の中🙌
↓↓↓
カクキューは明治34年に宮内省御用達となり、その制度が廃止になるまで続いたそうです(左上)
旧国鉄時代の岡崎駅の待合室に掲げられていた八丁味噌の看板✨(下)
看板右側の図柄は、日吉丸(少年時代の豊臣秀吉)と野武士の蜂須賀小六との出会いの図で、今でもお味噌のパッケージデザインとして愛用されています👍
昔の店先の様子(再現)✨
当時のお店は旧東海道沿いで、参勤交代の大名達も訪れたそうです🍙
そしてこの場所!「どうする家康」の『ツアーズ』(回の最後に登場した史跡を紹介する語り)で松本潤さんが「焼味噌の湯漬け」を食すシーンの撮影場所との事🙌
【焼味噌の湯漬け】
家康公が三河一向一揆の際に家臣大久保忠世の家で召し上がり、とても喜ばれた一品!
家康公は八丁味噌をこよなく愛していたそうです😌
八丁味噌の仕込み作業の様子✨
味噌作りは、
①菰巻きの大桶「甑(こしき)」(赤矢印)で大豆を蒸す
②蒸した大豆を握り固め「味噌玉」を作る
③味噌玉を室にて発酵させ「豆麹」を作る
①②③の様子が上の写真
④「半切り」(青矢印)で豆麹/水/塩を混ぜ合わせる
⑤④で出来た味噌のもとを仕込み桶に詰める
⑥蓋をしてその上に石を積んで2年熟成させる
④⑤⑥ の様子が下の写真
カクキューに現存する最古の六尺桶✨
なんと1839年造🙌
カクキューの桶は杉の木製で100年は保つらしい👍
この1桶で味噌6トン入るんだって!
お味噌汁作ったら、なんと30万人分‼️
八丁味噌に関するの古文書✨
続いて実際に八丁味噌を仕込んでいる味噌蔵へ!
こちらが味噌蔵の中🙌
カクキューは、創業当時より現在に至るまで八丁味噌の仕込み桶に木桶を使用。その上には大量の重石が円錐状に積まれます。石を積む作業は現在も職人の手で行われています。
地震が来ても、1つの石も落ちないそうですよ👍
そして工場見学の最後は試食タイム🙌
味噌田楽(右下)とお味噌汁(左上)を頂き、お土産で味噌パウダー(左下)をもらいました☺️
右上は売店で売られている八丁味噌✨
工場見学が解散となった後、最後に味噌ソフトクリームを食べました🙌
味噌というより、クリームチーズのようなコク!やっぱり発酵食品だなって感じました☺️
続いては岡崎城🏯
龍城神社⛩️と岡崎城🏯
城内は資料館になっています🙌
岡崎城の成り立ちや造りの解説!
岡崎城内郭のジオラマ(上)
岡崎城下町のジオラマ(下)
備前曲輪の家老屋敷(上)
町の石屋(下)
天守閣からの眺め🙌
徳川家の菩提寺、大樹寺が見えているはずです...😅
続いて、どうする家康 大河ドラマ館✨
開催が翌日までという事もあり、激並び...😩💦
特に見たかった訳でもないけど、岡崎城と共通チケット買ってしまったので...💦
旦那に並んでてもらい、私は公園内をぐるっと一回り🎶お土産屋さんも見たけど、特に欲しいものは無し!
並んでてくれた旦那へのご褒美は〜
わらび餅抹茶ラテ🍵
30分ぐらい並び、やっと会場内へ😅
パンフレットと松潤のウェルカムVTR(上)
劇中に登場した木彫りのうさぎ(複製品)(下)
撮影で実際に松潤が着用した衣装✨
若き日の家康の衣装(複製品)(左)
撮影で実際に有村架純さんが着用した衣装(右)
築山の主である瀬名が訪れる人々を出迎える際の衣装です✨瀬名最期の時も、この衣装でしたね😌
家康が大高城への兵糧入れの際に着用していたと伝わる金蛇美具足✨(左)
山田裕貴さん演じる本多忠勝の甲冑(複製品)(右)
写真にはありませんが、関ヶ原の戦いの解説ジオラマがとても良かった😉👍
戦い直前の各陣の位置関係や時系列で変化する陣の動きが解説と共に臨場感たっぷりに表現されていて、ついつい引き込まれてしまいました😌
昨年末に訪れた関ヶ原でもお勉強してきていたので、関ヶ原の戦いについて一層理解が深まり大満足です🙌
そして最後は、1番行きたかった大樹寺✨
真っ白くん、本堂の横の凄い場所にいますが、実はココ駐車場!ここに停めるように指示されました🤩
写真はありませんが、隣は徳川歴代将軍のご位牌が安置されている宝物殿(位牌堂)✨
凄いでしょ🤭
✨成道山松安院 大樹寺✨
松平家・徳川将軍家の菩提寺で、文明7年(1475)松平家4代親忠公により勢誉愚底上人が開山。
かつて桶狭間の戦いで敗れた家康公が岡崎へ逃げ帰った際、大樹寺の周りを敵に取り囲まれ、松平家8代の墓の前で自害を試みた時、住職から「厭離穢土欣求浄土、汚れた世を正し太平の世を目指す」との教えを受け切腹を思いとどまったことから、家康公再起の場として歴史的にも大きな役割を果たしたお寺。
本堂奧の拝観エリアには、大方丈の「将軍御成りの間」や、桶狹間の戦い後に大樹寺に逃げ込んだ家康公を守ったかんぬきを廚子にいれ祀った「貫木神」、松平8代と徳川歴代将軍14代までの等身大位牌や、家康公73歳の時の木像などが拝観できる位牌堂があります。
(全て撮影不可なため、写真なし!)
松平家、徳川家の家系図(上)
江戸時代中期の大樹寺の古図(下)
赤矢印は奥から、本堂、山門、総門。現在の位置関係もこの古図から変わりありません!
そして家康公お手植えのしいの木も描かれています👍(緑矢印)
その実物がこちら
↓↓↓
🌱徳川家康公お手植えのしいの木🌱
大方丈の北側にあるしいの老樹。
寺伝では家康公が19歳の時にお手植えされたと伝わり、江戸時代の古地図にも「家康公お手植えのしいの木」として所在が記されています🤗
しいの木の隣に松の木もお手植えであることを記していますが、残念ながらこの松の木は現在なく、その姿を偲ぶ事も出来ません。
(古図の青矢印)
大方丈から望むお庭🙌
落ち着いていてとっても素敵☺️
本堂側から見た、山門(上の古図参照!)
寛永18年(1641)三代将軍徳川家光公建立です。
山門の先にある、総門(上の古図参照!)
現在、山門から総門の間は、大樹寺の向かいにある大樹寺小学校の用地の為、近くまでは行けません😅
総門の向こうに、岡崎城が見えます🏯
拡大してみて🙌
本堂からは山門、総門を通して一直線上に岡崎城を望む事が出来る事で有名です。この景観は「ビスタライン」と呼ばれ、市の条例で保護されています。
(本堂、山門、総門の位置関係は古図参照!)
この写真も山門、総門の向こうに、岡崎城が見えます🏯
拡大してみて🙌
最期の一枚は、鐘楼と一緒に🙌
こちらも山門と同じく、寛永18年(1641)三代将軍徳川家光公建立。楼上の大鐘は9代将軍家重公改鋳によるものです。
今回の岡崎巡りも充実してて楽しかったです🎶
近いから故になかなか行けない所にも魅力的な歴史スポットが多くあるので、これからは時間を見つけて立ち寄ってみたいです☺️
ちょうど冬で、セブンじゃ北に行けないから、丁度いいかな🤭
おしまい🤗