CLSクラス クーペのメルセデスベンツ・specialists・ヤナセ・シュテルン・日本アンポンタン組合に関するカスタム事例
2018年09月22日 01時22分
車検入庫のため一週間のお別れ👋
引き取りに行くにも休みの日しか行けないため、代車不要で帰りと引き取りは🚃
今回は第二事業部プレゼンツ
先週の受付時に貰ったヤナセネットワークマップ
かつてはヤナセ系、シュテルン系の別がありましたが、現在ではメルセデスベンツ販売店はすべて「メルセデスベンツ●●」の呼称で統一されています。
メルセデスベンツ日本(MBJ)の上野金太郎社長。
1987(昭和62)年にメルセデスベンツ日本㈱新卒一期生として入社。
MBJが出来る前は、ベンツ車の輸入販売権はヤナセ傍系のウエスタン自動車㈱が持っていました。
ウエスタン自動車の歴史は1950(昭和25)年に、米国GM社の日本での販売施策に於いて、東日本は梁瀬商会、西日本は別の会社に任せようということになり、その穴埋めのため米国製高級車パッカードを扱おうということで、大阪に設立されたのが始まり。
後にパッカードの凋落と、当時のダイムラーベンツ社との販売契約に際し、ヤナセ本体とGMとの関係からウエスタン自動車が代理店となり、本社を東京へ移します。
1981(昭和56)年に、西独BMW社全額出資のBMW Japanが設立されると、輸入代理店方式からメーカー現地法人設立の動きが現れてきます。
BMWの場合は、当時の輸入代理店だったバルコムトレーディングカンパニー㈱を買収することで上手く行きました。
その動きはダイムラーベンツ社にも出て来ます。
1986年に商用車の市場調査会社として、メルセデスベンツ日本㈱が設立。
BMWのようにウエスタン自動車を買収?するかと思いきや、販売ネットワークが完成されて、収益状態も良く多くの含み資産を持っていたため、買収に至ることは出来なかったようです。
MBJも設立したはいいが頭が揃っただけで、さて、どうすればいいんでしょう❔状態。
結局、ウエスタン自動車から21名が2年間の条件で出向し、販売ネットワークもヤナセが独占する結果に。
1989(平成元)年より、MBJと販売契約を結ぶ販売会社、シュテルン系列がスタート。
もともとベンツ車を扱っていた三菱自販系、北海道や東京、神奈川のマツダ販売会社、各地の自動車及び自動車関連会社などがこれに参加し、現在に至ります。
ヤナセネットワークを見てみると、色々気付くことがあります。
まず、ヤナセ空白地帯。
秋田県、和歌山県、島根県、愛媛県の4県
販売店名がヤナセ●●支店やヤナセ●●ではなく、●●ヤナセと地域名が前に付く販売会社があります。
これは特約販売会社で、㈱ヤナセの資本が入っていない、地場資本による独立系販売会社。
ヤナセネットワークディーラーと呼ばれています。
実態はシュテルン系販売会社と同じでも、古くからヤナセ取扱車種を扱っていた販売会社。
先ほど上げた空白地帯も、かつては地場資本による秋田ヤナセ、和歌山ヤナセ、愛媛ヤナセ、島根ヤナセという販売会社がありました。
そのうち、秋田ヤナセ→仙台のシュテルンへ事業譲渡により廃業
和歌山ヤナセと愛媛ヤナセは会社はそのままでシュテルン和歌山とシュテルン愛媛へ社名変更。
ヤナセの他取扱車種(GM系やかつてのVW系)も無くなり、同じ資本の販売会社でVWやアウディなどを扱う関係で、敢えてヤナセの看板を挙げるメリットもなくなったと判断したのかも知れません。
他にも、ヤナセ直営とネットワークディーラーが混雑する県、それにシュテルン系が加わって三つ巴の戦いを繰り広げるところ、変わった所で我が茨城県はヤナセネットワークディーラーとシュテルン系の地場資本同士の戦い。
茨城ヤナセ㈱は県内でトヨタ系ディーラーを数多く手掛ける幡谷財閥系。
㈱シュテルンつくばは石油販売の関彰グループ系。他にホンダ、BMW、ポルシェなどのディーラーを営んでいます。
参考文献
ヤナセ社史「ヤナセ100年の轍」
元ヤナセの中の人が書いたコラム
https://a-human.net/column/?cnsl=06-automobile-consultant