シビックのシビック・浜松城・二俣城・本田宗一郎ものづくり伝承館・旅に関するカスタム事例
2024年01月08日 22時43分
愛知出身。Xとかみんカラは「しばしば」と名乗ってます。 2022/5/16より日本一周🗾🧳 →7/6無事に帰還しました🎉 神社仏閣や城跡、古戦場などに出没する歴史好きです⛩️🏯 基本陰キャなので、フォロー等はかなり受け身になります…😅 車については…無知なる発言も飛び出るかもですが(笑)よろしくお願いします!
みなさんこんばんは🌙きのすけです!
三連休のプチ旅行最終日となりました。
短いながらたくさんのスポットを回ることができ、充実した時間でした!
浜松市のシンボル・浜松城。
若き日の徳川家康公が入った公にとっての飛躍の地です。前身は通りを挟んだ反対側にある元城町八幡宮一帯に存在した曳馬城であり、今川家臣の飯尾家が治めていました。
武田家と徳川家により今川家が静岡を追われると家康公が入り浜松城として現在の位置に築城し、以来江戸に移るまで三河と共に徳川家の領地として栄えました。
その後様々な家が城主を務め、江戸幕府の重鎮も輩出したことから出世城と呼ばれます。
最後にまだ見てなかった浜松大河ドラマ館を訪れ、ドラマ館コンプリートできました!
岡崎市のドラマ館が家康公の幼少期〜青年期
浜松市が青年期〜壮年期、静岡市が壮年期〜晩年のシーンをテーマにしていたと思います。
ドラマ及び、史実の家康公の生涯でも浜松城主時代は大きな転換期であり、胸を打つシーンが蘇りました😢
さて浜松城時代の家康公は飛躍の時を迎えていましたが、同時に伊賀越え・三河一向一揆と並ぶ家康公の三大危機と呼ばれる、三方ヶ原の戦いの戦いを迎えた時代でした。
三方ヶ原の戦いは1573年に京都を目指していた武田信玄公と家康公の戦いです。この戦いで若き日の家康公は完敗を喫してしまいます。大河ドラマ中では、甲本雅裕さんが演じられた、夏目吉信や波岡一喜さんが演じられた本多忠真の奮戦もあり命からがら浜松城に逃げ帰ることができました。
ただ家康公はこれで終わらず、完敗したその夜武田軍を浜松城の北にある犀ヶ崖と呼ばれる場所で急襲し、一矢報いる事ができました。
立派な銅像も建つ浜松城ですが、家康公にとって生涯忘れられない敗戦を味わった場所でもあるんですね。
浜松城時代は家康公本人だけでなく、徳川家そのものを悲劇が襲いました。
二俣城と呼ばれるお城。もとは今川家に属するお城で、滅亡後は徳川家と武田家の抗争の舞台になりました。
悲劇が起きたのは1579年。家康公の長男・信康公が21歳の若さで二俣城にて自害しました…😢
理由は諸説あり、母の築山殿と共に武田家に内通したことを織田信長公により咎められたことが一般的だと言われています。
武勇に優れており将来を期待されていた信康公を失った家康公は大いに落胆したといいます…
二俣城近くにある清瀧寺で信康公は静かに眠っています。
本田宗一郎ものづくり伝承館です。
本田宗一郎さんは浜松市は天竜区のお生まれということで、懐かしのHONDAのバイクが展示されていました。
今は世界で活躍するHONDAですが、その原点は浜松にあったんですね!
三連休もあっという間に終わってしまい、明日から本格的に社畜が始まります…😢
また次の休みに行きたい所考えながら、毎日を乗り切っていこうと思います!
ご覧いただきありがとうございましたm(_ _)m