エクストレイルの悲しい阿蘇ドライブ・最愛の母逝く・また行きたがっていた阿蘇へに関するカスタム事例|車のカスタム情報はCARTUNE
エクストレイルの悲しい阿蘇ドライブ・最愛の母逝く・また行きたがっていた阿蘇へに関するカスタム事例

エクストレイルの悲しい阿蘇ドライブ・最愛の母逝く・また行きたがっていた阿蘇へに関するカスタム事例

2023年05月28日 15時34分

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rc04zxt10日産 エクストレイル DNT31

2019年7月にX-TRAILオーナーになりました。 熊本阿蘇に出没多めの福岡県人です🤗。

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重い投稿になるのでスルーして下さい。
吐露せずにはいられず。

2023年5月24日午前5時29分最愛の母が亡くなりました。
83歳でした。老衰でした。
3時40分に病院から容態がよくないと電話があり急ぎ病院に向かい5時過ぎに着いてすぐに病室に通されました。
そこには心臓マッサージを受ける母の姿があり、医師が言うには電話した10分後には心臓が止まりマッサージをするも再び戻る事は無く、万が一の際には心臓マッサージ等の救命措置をと家族としての希望を出していたので自分が来るまではマッサージをしていてマッサージをしているから心拍数モニターが反応しているだけで、✋を止めると数値は0になり波形も平行線に。
今の状態はすでに亡くなっているのかと医師に尋ねると心臓が止まった時点で血液の循環が止まっているのでそうなりますと。
だったらと心臓マッサージを止めてもらって救命措置をして頂いた事に感謝の気持ちを伝えて改めて午前5時29分ご臨終を宣言されました。
老衰で心臓を初め全ての臓器や細胞がほぼ同時に衰えていくので苦痛はほとんど感じなかったんじゃないでしょうか。
ほぼ2年半ぶりに見た寝顔は以前と変わらない寝顔でした。
まさか二度とおきることの無い寝顔になるとは思いませんでしたが。
突然過ぎてパニッくってましたが、自分の中で最もショックだったのが命の灯火が消えようという瞬間に立ち会えず最後の声も聞いてやる事も出来ず、彼女に続いてまた一人で逝かせてしまったことです。
この事は自分が生涯背負っていく十字架です。
いつかはこんな日が来るだろうなぁと漠然とは思ってましたがまさかこんなに突然とは。

お通夜、葬儀、火葬も終わり今日は母がまた行きたがっていた阿蘇に来ました。

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母は地元郊外の山あり川ありの田園地帯の集落で7人姉弟の6番目として生まれ姉妹の中では一番下なので姉兄からは可愛がられた様です。
小さい時に戦争を経験して戦後はお母さんが女手一つ(父は幼くして亡くなる)で身を粉にしながら7人を育て当然生活ぶりは良いはずもなく、母は中学を卒業すると繊維会社に勤め出し家計を助けました(他の兄姉も同様)。
そして、地元で父と出会い地元に嫁ぎ地元から出る事なく83年の生涯を閉じました。
勤務先の繊維会社は地元内で移転しましたが、その移転先は今の実家から僅か50mの距離で、母の実家までも6キロ程しか離れていないので頻繁に父と一緒(自分も)にお母さんの様子を見に行けてました。
ある意味幸せな環境だったのかもしれません。

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母はお母さんの影響でしょうが、昼間は会社に勤めそれ以外の時間は家の家事を一人でこなして朝から晩まで働き詰めでした。
物心ついてからほんの少しだけ家事を手伝っては少し休む(早く寝る)様に言った事は数知れず。
でも何かしていないと落ち着かないのでしょう。あまり改善はなかったですね。
会社勤めを辞めてからは少しでも家計をやりくりする為、家庭菜園を始めるもこちらも朝早くから晩遅くまで畑に入っているのはしょっちゅうで足腰も鍛えられていて家族の中では一番丈夫だと思っていました。

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そんな最中2015年の3月に家の中で階段から転落してその日に限って親父が午後まで外出していて発見されたのが約4時間だった様で、救命搬送の結果体の左側を中心に肩から腰からあばらから10本近くの骨折と長い時間発見が遅れたので内部に血が溜まり、その血が心臓を圧迫していて心臓も弱っていると全治3ケ月の診断がされました。
しばらくして杖をついての歩行が出来る様になったものの鍋も持てない状態で料理を含め家事がほとんど出来なくなってしまいました。
この時に今後の事を考え、病院のソーシャルワーカーの薦めで介護認定を取る事にしました。

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入院したのが総合病院だった為、一通りの処置をした後はリハビリと経過観察をする事になるので入院後3ケ月を期に他の病院へ転院する事になりました。
その前に気分転換の為外出許可を取って一泊二日で阿蘇の方に連れ出しました。
自分は7年ぶり位で母は数十年ぶりの阿蘇でした。
体の負担を軽減する為、宿泊は実家から県を跨いで近場の熊本県山鹿市の平山温泉郷のとある宿へ。
で、翌日10時のチェックアウト後ゆっくりと阿蘇へ。
と言っても病院へ帰る時間が16時だったので大観峰で阿蘇の山々の景色を見せた後は黒川温泉郷の近くにあるそば街道の中の1件でそばを食して帰路につくという旅行とは程遠いものでしたが母は喜んでくれました。
体が元気になったら今度は黒川温泉に宿を取って時間に縛られず阿蘇周辺を散策させるつもりでした。

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介護認定された後は介護施設に週3回はデイケアに通所と月2回位の同施設へのショートステイという形でリハビリに行って施設で親しくなった友達も出来た様です。
親父はある事がきっかけで免許証を返納してそれまで買い物等全て車でこなしてましたが足がなくなった事で極端に外出しなくなりはては認知症を発祥しました。
母は懸命にリハビリに励んで周囲も見守ってましたが少しづつ体力も弱って食欲も減り親父の事もあり家で生活させるのが困難になりました。

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そうこうしている内に母も認知症を発祥しいよいよ自力で立てなくなり介護施設へショートステイのロングバージョンみたいな扱いで2020年12月より翌年3月位までのつもりで入所させました。
その時期からコロナでまともに面会が出来ない状態(アクリル越しに10分間)が続きました。
介護認定を受けてから親父と母の介護フォローと買い物のフォローでほぼ毎週帰って来ていました。

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それから1年半が経った2022年6月に圧迫骨折で入院する事に。
コルセットで固めて療養する事になるも骨密度が減っている為いつまた骨折するか分からない状態に。
1ケ月で施設に戻るも翌日に食欲減退等で再入院(この時どういう経過で退院させたのかとぶちギレた)。
その1ケ月後老衰であと1年も2年半生きられる体ではないといきなり担当医に言われて頭の中が真っ白になり受け入れられず。
6月7月はちょくちょく親父も連れて見舞いに。
そんな中7月のある平日の夜『何時に帰って来るとか?俺も今からそっちに行くけん』と訳の分からない事を電話して来て何の事かと尋ねるも親父は耳👂️が遠くいつも会話が成立せずで聞き出す前に電話を切られて、夜9時過ぎてるし家隣には普段は水深20cm位も深さ1.5mのクリークがあり杖を使ってやっとかっと歩ける状態なので危険を感じて地元の警察署に電話して至急保護を求めてすぐに車で高速飛ばして地元の警察署へ11時過ぎに到着するとロビーで親父が保護されていて胸を撫で下ろす。
捜索開始後家の近所で直ぐに発見されたも話を聞くと母の病院へ容態を聞きに行こうと手に数万円を握りしめて歩いていた様でした。
当然そんな時間に病院に行っても面会時間はとうに過ぎているので入れるわけはなく、やはり認知症の影響でそんな異常行動に出たと思われ一人に出来ず翌日急遽会社休んで行きつけの心療内科へ前日の行動を話して緊急入院させて貰える様依頼する。

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そしてそのまま昨年2022年7月に親父も別の病院に入院。
コロナなので外出許可が出ず互いの状態を自分が二人の面会時に伝える事しか出来ずも本当の状態は各々には言えずでした。
残り少ない時間を少しでも一緒にさせたく二人が同時に入れる介護施設を探すも親父は認知症で母は認知症よりももっと厄介で老衰による食欲不振を補うのに点滴投与が必須で医療的対応が出来る施設でないとダメで二人同時に受け入れてくれる施設は見つからず、二人共互いにこの10ケ月間顔を見れていませんでした。

の投稿画像10枚目

母が亡くなって通夜の席に病院から連れて来る際、病院からは最近は車椅子ですとは聞いていたものの自力で全く立つ事も踏ん張る事も出来ない状態になっていました(面会は僅か5分の階違いでのリモート面会なので画面越しでは体の状態が全く分かりませんでした。)。
ショックでしたがここで自分が崩れるわけにはいかないのでグッと踏ん張ったつもりです。
棺の中の母の顔が見えやすい場所に車椅子を停め離れて見ていると5分位の沈黙の後、『自分より早く逝くとは思わなかった』と泣き崩れました。
親父が泣いてるのは初めて見ました。
家に居る時はケンカ(口喧嘩)ばかりしていましたが、やはりちゃんと母の事を心配して想っていてくれていたんだなと嬉しく思いました。
体力面を考慮して30分程で病院に送り届けました。

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翌日26日は午前中火葬でしたが、親父にも最後の別れをさせたいも体力を考慮して収骨に間に合う様に事前に外出許可を取って病院に迎えに行きました。
幸い葬儀場からも斎場からも病院まで2、3分なので間に合わないという心配をせずに済みました。
焼かれて更に小さくなった母を目の当たりにして親父は涙してましたが、収骨の最後に喉仏を喪主(親父が喪主も務められないので葬儀等仕切り手配は自分が)が骨壺に入れますが箸を指で開くことも出来ず喉仏を持ち上げることも出来ない程ショックを受けていました。
その姿が目に焼きついて今も離れません。
まだ現実を受け入れられませんが、ふっと日常に戻った時に倒れるかもしれないけど
この後の親父の憔悴状態がちょっと心配で自分はまだ倒れるわけにはいきません!。

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※過去picですm(_ _)m。

こんな雲海も見せてやりたいなぁと思い朝早く到着するも全体的に曇り☁️で草千里までは所々晴れ間もありましたが……。

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南阿蘇も珍しく霧🌁に覆われていて予報に反して8時位にはポツポツと雨☔が降り始めまるで自分の心身状態を見透かされている様な天気でした。

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次晴れた日にまた来て写真の様な絶景を見せてやります。
今度は彼女も一緒に。
天国👼で出逢えて初めましてしてるかな。

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母さん。
我が家で最後が迎えられず残念だったけどやっと心配事や苦痛から解放されたね。
よく頑張ったね。
一人で逝かせて本当にごめんなさい。
結婚が遅くて僅かな期間で別れて(相手の夢実現の為応援離婚。今でも友人)孫を抱かせる事も出来ない甲斐性の無い息子でごめんなさい。
母さんの生き様は胸に刻みます。
生んで今まで育ててくれて本当にありがとう。
心から愛しています。
今までも。
これからも。
大好きだよ❤️。

涙が止まらん……。

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1年1ヶ月で3灯が消えてその4ヶ月後にまた3灯が…(汗50代後半のオサーンは「ナンバー灯」って言っちゃうw「ライセンスランプ」ですね!

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久しぶりのキャンプでした🏕️

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皆さん、お疲れ様です。久しぶりに日が暮れてから洗車してきました😃この時間にする洗車は気持ちいいな~☺️うーん、気持ちいい~😍いやぁ、ストレス発散出来ました...

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2024/05/23 20:37
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青根キャンプ場平日なのに沢山の素敵なキャンパーの皆様温泉も入れて最高〜!♨️

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2024/05/23 20:29
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中途半端に雨で汚れたので洗車してきました😌車内の鍵置き場が欲しくてセリアで発見したものぶら下げたらめっちゃいい感じに🙄

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2024/05/23 20:04

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