ゴルフ ヴァリアントのSHOW-WA・ピラミッド・トリコロール・OMEGAは自由・出没予告に関するカスタム事例
2020年08月25日 01時40分
札幌でゴルフヴァリアントに乗ってる OMEGAと申します。m(_ _)m 昭和生まれが集まる、その名も『SHOW-WA』 と言う集まりを企画した張本人です~😆 メンバー共々、カーライフを楽しんでおります。
ピラミッドパワーをあやかりに!
SHOW-WAトリコロール集合~😆✨
現場到着➰🎵
『ここをキャンプ地とするー※』(違笑)
※【水曜どうでしょう】 ( ヨーロッパ リベンジ 編)ご参照下さい🤣トリコロールだけに~~💦
なかなかエエんちゃうー✨😃❗
トリコロール 青は『自由』
トリコロール 白は『平等』
トリコロール 赤は『博愛』
我々のイメージにピッタリ!
☆(+。+*)Σヽ(゚∀゚;)オイオイ…。
安全運転のご褒美に赤い屋根のソフトクリーム🎵
【番外編】
ご褒美ソフトクリームで解散後、ちょっと寄り道。
ここは『旧 島松駅逓所』です。
駅逓所(えきていしょ)とは、交通不便の地に駅舎と人馬を備え、宿泊や人馬の継立、運送などの便をはかるために設置されたものです。
その起源は江戸時代に松前藩によって置かれたのが始まりで、明治以降も継続して設けられ、開拓期の北海道の交通や運送において重要な役割を果たしました。
かつては北海道内に延べ六百十数か所の駅逓所がありましたが、昭和22年(1947)に駅逓制度が廃止されると次第にその姿を消し、現在ではほとんど残存していません。
島松駅逓所は、明治6年(1873)に札幌本道(現在の国道36号)の開通に伴い、官設駅逓所として島松川の右岸(胆振国千歳郡島松村、現在の恵庭市)に設置されたのが始まりです。初代取扱人は勇払場所の総支配人でもあった山田文右衛門でした。
明治17年(1884)からは、現在の北広島市島松で赤毛の栽培に成功し、「寒地稲作の祖」と称される中山久蔵が4代目の駅逓取扱人となり、明治30年(1897)の島松駅逓所廃止までその経営にあたりました。
明治10年(1877)、札幌農学校の教頭であったW・S・クラークは、約9か月の任期を終え米国に帰国する際に中山久蔵宅に立ち寄り、「Boys, be ambitious(青年よ、大志を懐け)」という名言を残しました。明治14年(1881)には明治天皇が北海道を巡幸した際の行在所(あんざいしょ)ともなりました。昭和59年(1984)に国の史跡に指定され、現存する駅逓所としては道内最古のものです。
国道36号線からわずかに逸れただけなのに、とても静かで雰囲気ある場所でした。