SLのSLと私 ⑪・追憶に関するカスタム事例
2023年10月27日 18時17分
鈑金屋の親父さんに預けてからだいぶ時間が経とうとしていました。仕事の合間に時折覗きには行きましたが、あまり頻繁に行くとSLの復活が遅くなるような気がして、見に行くのをためらっていました。
ちょうど、その頃の自身の父親の闘病とSLのレストアを重なり合わせる自分がいました。
SLを手に入れる3年程前に、父はまだ還暦を迎える前でしたが、突然の病におかされました。ちょうど一番上の姉の結婚式の前夜、夜中に「うぁー」という声が聞こえました。母の声でした。その声が聞こえたトイレの方に駆けつけてみると、便器の中が真っ赤に染まっていました。血尿です。
結婚式を終えた翌日、すぐに病院に行き診察を受け、そして、いくつかの検査を‥。
幾日か経って、私と母が医師に呼ばれました。腎臓がんですでにステージ3、手術はできるがすでにまわりのリンパに転移している可能性が高いとのことでした。
自分も会社経営を始めた頃のことでした。
家族で相談し、治療に専念するため、父がやっていた事業を畳むことに決めました。廃業の手続きを私がやりました。父の会社には叔父なども居たこともあって、親戚の反発が相当あり、自分の仕事との両立などで、ストレスがたまる毎日でした。
手術を終えましたが、やはりリンパに転移しており、抗ガン治療(インターフェロンなど)を始めました。その後、短期間の間に、動脈瘤、脳梗塞と次々に病魔が父を襲いました。
季節は夏になろうとしていました。色んなことが重なった私は、すっかり疲れきっていました。そんな時、高校時代の友人たちに誘われ、隣の新潟の海に出かけました。
海を眺めながら、両親が健在な友人に対するうらやましさ、動じない大きな自然と右往左往している小さな自分、残された父との時間はどれくらいあるのかなぁといった色んなことを考えながらボーッと過ごしたことを思い出します。
次から次へ新たな問題や試練が‥。
そんな時、医師から言われたこと‥
「今起きていることはまぎれもない現実。逃れようがないこと。全てを同時に治すことはできない。優先順位を決めて、ひとつひとつ潰す努力をするしかない。」
そして、既に亡くなっていた祖父の言葉‥
ノコギリ遊びに夢中だった幼少期、家のいたるところの柱に切り傷をつけていた私が母親に怒られている時にそれを見ていた祖父の言葉
‥
「そんなに怒るな。カタチあるものはいずれは壊れていくものだ。」
医師と祖父の言葉を思いながら、次第に、私の気持ちは固まっていきました。
完璧を求めすぎてはいけない。
起っていることを受けとめ、優先順位を決めること。
そして、一気にやろうとしないで、じっくり向き合っていくこと。
それは、父の闘病とSLのレストア‥同時期に起きた出来事を通じて、私が感じた共通の思いでした。
つづく