718 ケイマンのポルシェ・四谷怪談 お岩さん・西巣鴨 妙行寺・NO WAR🙅♂️に関するカスタム事例
2022年09月05日 06時00分
いいね!をいただいた皆様、フォローしていただいている皆様どうも有難うございます❗️ 初めて購入した車が新車で買ったゴルフ2。それから、かれこれドイツ車ばかり20台近く乗り換えています。E46やE90、オペルなんかも乗りましたが写真がほとんど残っていません。 ということで、自分の自己満足の為だけに写真をアップしています😅 そんな…車好きのちょい悪オヤジですが、宜しくお願いします。 フォロー数稼ぎの方はご遠慮ください。
今の若い人達は「四谷怪談」って、知らないかなぁ〜🤔
「お岩さん」と言えば、分かるかしら〜
はい、神社仏閣⛩シリーズ第81弾です😃
こちらは〜
豊島区西巣鴨にある法華宗陣門流の「長徳山 妙行寺」です❗️
☔️が結構降っています。
境内入って直ぐ右手の石碑です😊
「四谷怪談お岩様の寺 妙行寺」と刻まれていますね〜
門の外にも大きな石碑にお岩様の墓所🪦があると刻まれています😊
雨に濡れて…
石碑もおどろおどろしい雰囲気が出ているじゃないですかぁ〜
街灯にもしっかりと「お岩通り商店会」となっていますよ〜😄
妙行寺さんは…
お岩さんのお墓🪦の他にも、変わったものがあるんですよ。
こちらの案内板には〜
うなぎ供養塔…都内全うなぎ商の菩提心により建てられた供養塔
魚がし供養塔…魚がしで犠牲になった生類の供養塔
などもあるようです😃
こちらが「魚がし供養塔」です😃
珍しいですね。
そして、こちらがうなぎ供養塔です😊
私はお魚もうなぎも大好物😋なので、お参りしておきましょう❗️
後ろに見えるのは納骨堂のようです。
こちらは「浄行様」です😃
先程の案内板には💁♂️…
『清潔な仏水で洗えば、その箇所が良くなる』とありました。
この邪心ばかりの心といつもくだらないことを考えている頭は良くなるのでしょうかぁ〜🤣🤣🤣
Wikipediaによると💁♂️…
『1604年(慶長9年)日善の開山により麹町清水谷に創建されたのにはじまる。
1624年(寛永元年)四谷鮫河橋南町に移転、現在の西巣鴨の地に移ったのは、1909年(明治42年)のことである。』とありました😊
四谷にあったお寺さんが、こちらに引っ越してきたわけなので…
こちらのお寺さんに四谷怪談のお岩さんのお墓があるわけなんです🤗
墓地の中をお岩様の順路に沿っていきます。
雨☔️の墓地は、ちょっと不気味な感じ🙀🙀🙀
先に進むと、赤い鳥居⛩が…
お寺さんなのに赤い鳥居って驚かれる人もいるかもしれませんが、神仏分離令までは神社も寺院も同じようなものとして扱われていた名残りですかね。
さて、「四谷怪談」なんですが…
実は「四谷怪談」には「四谷怪談」と「東海道四谷怪談」というストーリーがあります😊
まずは「四谷怪談」のあらすじ💁♂️を…
『時は元禄の頃、四谷で同心を務める田宮又左衛門に眼の悪い「お岩」という名前の娘がいました。
又左衛門は「お岩」に婿養子をとってもらって隠居をしたいと考えていましたが、「お岩」は疱瘡に罹って皮が剥けるなど、醜い容姿になってしまいます。
数年後に又左衛門が死去してしまい、彼の朋輩が改めて「お岩」の婿探しをしますが、容姿のこともあり誰も婿に来てくれません。
そこで口が上手い人物を雇って、半ば騙す形で伊右衛門という男を婿に引き入れます。
「お岩」の姿を知った伊右衛門は驚愕しましたが、今さら嫌だとは言えません。
しばらくは我慢していましたが、徐々に醜い「お岩」を疎んでいくのでした。
そんな折、伊右衛門は上司の伊東喜兵衛という男の家に遊びに行きます。
そこで喜兵衛の妾であったお花という女性と出会い、二人は恋仲に。
お花は喜兵衛の子を妊娠していましたが、喜兵衛もいい年なので誰かにお花を渡したいと考え、伊右衛門に引き受けてくれないかと相談しました。
伊右衛門にとっては願ってもない申し出ですが、伊右衛門には「お岩」がいます。
そこで伊右衛門と喜兵衛は共謀し、お岩のほうから離縁を持ちかけるように仕向けました。
それからというもの、伊右衛門は酒に溺れ「お岩」に対して暴力を振るったり、家財を売って女を買ったりと傍若無人な振る舞いを行いました。
いきなり人が変わった伊右衛門に悲しむ「お岩」に、喜兵衛が伊右衛門とは離婚した方が良いと勧めるのでした。
喜兵衛と伊右衛門の策略でまんまと離婚させられた「お岩」は、家を出て御家人への奉公をすることに。
お岩を捨てた伊右衛門はすぐにお花と結婚しました。
一方、奉公に出ている「お岩」の元に茂助という人物が現れます。
茂助は「お岩」に、伊右衛門がお花と結婚したこと、喜兵衛と伊右衛門が「お岩」が別れるように仕向けたことを暴露しました。
その話を聞いた「お岩」は般若のような形相で怒り狂い、突如としてどこかへ走り去ってしまいます。その後、「お岩」の捜索が行われましたが、彼女が見つかることはありませんでした。
伊右衛門の方はというと、4人の子宝に恵まれ幸せな生活を送っていました。しかしある夏の日の夜に、「伊右衛門、伊右衛門」と呼ぶ「お岩」らしき女が現れたことで、幸せは終わりを迎えます。
子どもたちは不可解な死を遂げるなど不幸が続き、伊右衛門は「お岩」の祟りを恐れて必死に参拝しました。
しかし祟りは治まることなく田宮家は断絶。
伊右衛門と共謀した伊東喜兵衛の一族も断絶するのでした。
ある日、伊右衛門は屋根の修理を行っていた際に誤って転落し、動けない体になってしまいました。
その際に耳に出来た傷の膿にネズミが大量に群がってしまったため、伊右衛門はネズミ除けの箱の中に入れられてしまいます。
そして、その中で衰弱して死んでしまうのでした。「お岩」は子年(ねどし)の生まれだったそうで、これも彼女の祟りだったのかもしれません。』
そして、「東海道四谷怪談」というのは💁♂️…
『元塩冶家の家臣、四谷左門はお家は断絶し浪人の身。娘、お岩はやはり同じ塩冶家の家臣だった民谷伊右衛門の内縁の妻。
お袖もやはり同じ家中の佐藤与茂七と結婚の約束をしています。
そんなおり、塩谷家の御用金を盗んだのは伊右衛門では、とにらんだ四谷左門はすでに伊右衛門の子を身ごもっているお岩を実家に連れ戻してしまいます。
家に戻ったお岩ですが、家は貧しく生活が困窮。
浅草寺の境内では四谷左門の窮地を救った伊右衛門がお岩との復縁を懇願しますが、受け入れてもらえません。
一方、お岩の妹のお袖は家の家計のため、昼は楊枝屋、夜は浅草の売春宿・地獄宿で客をとる商売をしていました。
お袖に惚れれている塩冶に仕えた直助権兵衛がそこへ登場。
地獄宿でさんざんお袖をくどきますが、間一髪のところで与茂七がお袖を連れて帰ってしまいます。
浅草裏田圃で直助は与茂七を殺害。(実は別人を殺してしまっていたのですが)
伊右衛門も同じ場所で四谷左門を殺してしました。
そこへ通りかかったのはお岩とお袖。
父と夫(らしき人)の死体を発見し、二人は泣き崩れます。
白々しく現れた伊右衛門と直助。
お岩とお袖に自分たちが敵を討ってやるからと、お岩とお袖を連れて帰ります。
お岩と復縁できた伊右衛門ですが、生活は苦しいばかり。
しかも子供を産んだお岩は産後体調を崩し、伊右衛門はだんだんと泣いてばかりいるわが子とお岩を疎ましく感じ始めていました。
そんな折、伊右衛門とお岩に仕える小仏小平は、病気で足の不自由な塩冶浪士・小汐田又之丞をかくまっていたのですが、金がなく薬も替えないため、民谷家に伝わる秘薬を盗もうとします。
しかし伊右衛門に見つかり、拷問を受けた挙句に命を落としてしまいました。
一方伊右衛門の隣家の主、伊藤喜兵衛は孫娘のお梅が伊右衛門に夢中なのを知り、なんとかお岩と伊右衛門を離縁させられないか考えます。
そこで、お岩を毒薬で醜い姿に変えることを企てます。
ある日、伊藤喜兵衛に仕える乳母・お槇が血の巡りの良くなる薬だからきっと良くなるはずといってお岩に毒薬を渡します。
伊右衛門は礼を伝えに、伊藤邸へ。
その間、お岩はありがたいと薬を一気に服用。やがて苦しみ始めます。
直助は当然面白くない、どうにかしてこの恨みを晴らそうと考えます。
伊藤宅では伊右衛門が喜兵衛の策略を告げられ、どうにかお梅と一緒になってくれないかと懇願されます。
もとよりお岩に愛想がつきていた伊右衛門は金目的にあっさり承諾。
帰宅すると喜兵衛の言う通り右目がひどく晴れ上がり、醜い顔になったお岩がいた。
金がいると蚊帳などを持ち去り、止めるお岩を置き去りにし家を出る伊右衛門。
途中あった宅悦に金を渡し、離縁の口実にするためお岩を口説くよう願う。
渋々承諾した宅悦だったが、醜くなったお岩にひるむ。
それでも口説き始めるとお岩は拒否。
ついには宅悦はこの計画のすべてを白状してしまいます。
怒ったお岩。
伊藤喜兵衛と直接話をしようと身なりを整え始めます。
髪をすくとどんどん髪は抜け、さらに血がしたたり落ちます。
前髪部分がすっかりなくなってしまいます。
見かねた宅悦はもうやめるようお岩の手を止めようとします。
しかし二人はもめあいになり、不意の事故で宅悦は死んでしまいました。
お岩も毒がまわり、結局絶命してしまいます。
伊右衛門はお岩と小平の死体を戸板の表裏にうちつけ川に流しました。
ひと騒動終え、正式にお梅が嫁入りにきます。
その夜、床をともにする二人。
しかし布団に横たわっていたのは死んだはずのお岩でした。
喜兵衛を起こしに行くとそこにはやはり殺したはずの小平が。
これも首を討つと、実は喜兵衛でした。
伊右衛門はお岩と小平の霊に苦しめられるのでした。
錯乱する伊右衛門。
首を切り、お岩を成仏させようとしますが討ったその首はお梅でした。
完全にパニックになる伊右衛門。
喜兵衛を起こしに行くとそこにはやはり殺したはずの小平が。
これも首を討つと、実は喜兵衛でした。
伊右衛門はお岩と小平の霊に苦しめられるのでした。』
赤い鳥居⛩の奥には案内板💁♂️が…
『由緒
お岩様が、夫伊右衛門との折合い悪く病身となられて、その後亡くなったのが寛永十三年二月二十二日であり爾来、田宮家ではいろいろと「わざわい」が続き、菩提寺妙行寺四代日遵上人の法華経の功徳により一切の因縁が取り除かれた。
この寺も当時四谷にあったが、明治四十二年に現在地に移転した。
お岩様に塔婆を捧げ、熱心に祈れば必ず願い事が成就すると多くの信者の語るところである。』
とありました😊
妙行寺の墓地の一番奥にお岩さんのお墓🪦がありました😔
お岩さんのお墓の周りには、田宮家のお墓も沢山並んでいます。
お岩さんのお墓🪦には、沢山のお塔婆が立っていますが…
案内板に書かれていたように、大勢の人々が願い事が叶うためにお塔婆を捧げてお祈りをしているのでしょう🙏
仏花💐だけでなく、お榊も供えられていました😊
「四谷怪談」では怨霊として人々を恐怖😱へ誘ったお岩さんですが…
現代では、大勢の人がお塔婆を捧げてお願い事をする信仰になっているんですね😃
さてさて、お岩さんのことをググッていると…
お岩さんは実在したということです🫢
『お岩さんは17世紀に実在していた武家の娘さんで、夫の伊右衛門とは仲睦まじく、献身的に夫を支えて田宮家を復興したといわれています。』
江戸時代に「四谷怪談」の講演中に事故が相次いだことから「お岩さん」の祟りだという噂が広まりました。
現在も歌舞伎などの演劇関係者は、「四谷怪談」を講演する前にお参りをするそうです🙏
こちらは浅野家のお墓です。
あの忠臣蔵で有名な浅野内匠頭夫人・瑶泉院の供養塔なんです😃
瑶泉院の墓は高輪の泉岳寺にありますね。
瑶泉院の供養塔の奥に、お岩さんのお墓も見えますね〜
お岩さんのお墓にお参りをして…
クルマまで戻ってきました😊
こんな雨☔️の日にお参りに訪れる人は誰もいませんでした。
雨☔️の中、誰もいない墓地🪦は…
けっして気持ちの良いものじゃありません😞
実はたまたま東京に用事があり、ふとGoogleマップを見たら…
お岩さんのお墓が近いので訪れました。
こちらは、歌舞伎の「四谷怪談」ですね😅💦
けっこう怖い😱絵ですよね〜
日本の三大幽霊👻といえば…
・「四谷怪談」のお岩さん
・「番町皿屋敷」のお菊さん
・「牡丹灯籠」のお露さん
最近では、「リング」の貞子や「呪怨」の伽耶子が有名ですね😆
最後に〜
オマケです。
こちらは、映画のお岩さんですね😅💦
モノクロだと怖さ倍増😱🙀😱🙀😱🙀