寅次郎さんが投稿したドリスピ愛車・☆5つ・トヨタ2000GT・説明に関するカスタム事例
2018年11月28日 19時22分
GH型アテンザ・スポーツ・20Cに乗っています!ドリスピネタ等、色々投稿さしてもらいますので!
5周年記念無料11連チケットで、なんと×2トヨタの超名車(2000GT MF10☆5つ)が当たりました!びっくりです😅!仕様変更は、車高下げ&オフセット-10&ホイール・WatanabeのGR-8にしました!
2000GTは、トヨタ自動車とヤマハ発動機が共同開発し、ヤマハ発動機への生産委託で1967年から1970年までトヨタブランドで生産されたスポーツカータイプの乗用車である。型式は、「MF10」と「MF12L」。極少数ながら廉価版として、SOHCエンジンの2300ccモデルが北米市場向けに限り製造された。
トヨタ・2000GT
MF10型
販売期間
1967年 - 1970年
デザイン
野崎喩
乗車定員
2名
ボディタイプ
2ドアクーペ
エンジン
MF10型 1988cc 3M型直列6気筒 DOHC
MF12L型 2253cc 2M-B型直列6気筒 OHC
駆動方式
FR
最高出力
MF10型 150ps/6600rpm , MF12L型 140PS/5800rpm
最大トルク
MF10型 18.0kgf·m/5,000rpm , MF12L型 20.5kg-m/3800rpm
変速機
2000GT専用5速MT(他に3速ATの設定あり)
サスペンション
4輪ダブルウィッシュボーン(コイルスプリング)
全長
4,175mm
全幅
1,600mm
全高
1,160mm
ホイールベース
2,330mm
車両重量
1,120kg
シャーシ
X型バックボーンフレーム
市販車の本格生産は、ヤマハ発動機に委託された。ただし四輪生産のノウハウのないヤマハが生産しても高品質を維持するため、ワイパーのきしみや水漏れのようなものはトヨタ側の基準で厳しくチェックされた。
鈑金・溶接・車体組立・エンジン組立・塗装の工程は、ヤマハ発動機が静岡県磐田市に新設した3号館工場で手作業によって行われ、FRPパーツ類は新居工場(浜名郡新居町)が製造し、内装パネル関係は日本楽器製造、ボディのプレス関係は1950年代にバイクメーカーとして活躍し、ヤマハの傘下に入った北川自動車工業(後のヤマハ車体工業、1993年4月にヤマハ発動機に吸収合併)の他、(株)畔柳板金工業所(現・畔柳工業)といった、トヨタ系試作プレスメーカーも担当した。
クラッチはクラウンの流用で、トヨタ系列企業であるアイシンが供給。トランスミッションも同じくアイシンの供給だが、これがアイシン史上初の乗用車向けトランスミッションとなっている。
発売価格 編集
当時の2000GTの価格は238万円で、トヨタ自動車の高級車であるクラウンが2台、大衆車のカローラが6台買える程に高価であった。1967年(昭和42年)当時の日本における大卒者の初任給がおおむね2万6000円前後であったから、21世紀初頭の日本においては1500万円から2000万円程度の感覚にも相当する、一般の人々にとっては高嶺の花の超高額車であった。
それでも生産に手間がかかり過ぎてコスト面で引き合わない価格設定であり、この事から常に赤字計上での販売であった。トヨタ自動車にとっては「高価な広告費」とも言うべきものであった。
市販開始から2年後の1969年8月に、マイナーチェンジが行われた。 これにより登場型(1967年5月から1968年3月生産)と、1次改良型(1968年4月から1969年7月生産)、2次改良型(1969年8月から1970年10月生産)に大別される。主な変更点は次の通り。
1次改良型以降はフロントウインカーレンズの色が白色から橙色に変更。
2次改良型のみフォグランプとフォグランプリムが共に小型化され、グリルと直線的に一体化。
2次改良型のみフロントウインカーレンズの形状および大型化。
2次改良型のみリアサイドリフレクターの形状および大型化。
2次改良型のみオイルクーラーの冷却用ルーバーパネルが凸型から凹型に。
2次改良型のみインストルメントパネルの意匠変更。
2次改良型のみステアリングホイールのホーンボタンの形状変更および大型化。
2次改良型のみヘッドレストの追加装備。
2次改良型のみドアインナーハンドルの形状変更。
2次改良型のみクーラーの追加装備。
2次改良型のみトヨグライド(3AT)搭載モデルの追加。
2300GT・MF12L
直列6気筒SOHC 2,253 cc エンジンを搭載したモデルも生産されているが市販に至らなかったため、正式通称名は発表されておらず不明である。市販された2000ccモデルと区別するため、雑誌やマニアなどが2300GTと称しているが正式名ではない。
現在トヨタ自動車で保有し展示されている(後述)車輌がTOYOTA2000GT輸出仕様となっていることや取り付けられているエンブレムが2000GTとなっていることなどから、2000GTという名の2,300 cc モデル、つまり「2000GT」としてDOHC2,000 cc とSOHC2,300 cc の2つのモデルでの併売を計画していたとも考えられる。
エンジンは当時北米向輸出仕様のクラウンに搭載されていた2M型を基本にソレックスツインチョークキャブレターを3連装した2M-B型エンジンを搭載している。型式はMF12L[注釈 6]で、諸説あるがMF12L-100001からMF12L-100009までの計9台の車台番号の物が製作されたとされており、このうちMF12L-100002はトヨタ自動車で保有し東京都江東区のMEGAWEB(メガウェブ)ヒストリーガレージに展示されている、またMF12L-100006はToyota USA Automobile Museumに展示されている。この開発は、ヤマハ発動機がトヨタ自動車に対して提案する形で進められ、生産された全ての車両が左ハンドル仕様で、アメリカ市場向けの廉価版として本格生産も考えられたようであるが、結局はトヨタ自動車内部での反発に遭い市販には至らなかった。また絶版車雑誌で「アメリカに10台前後存在している」と紹介されたことがある。
生産台数 編集
赤字生産が続き、イメージリーダーカーとして充分な役割を果たしたとの判断から、1970年で生産は終了した。1967年5月から1970年8月までの3年3か月で試作車を含め、337台が生産された。
種類 前期型 後期型 合計
日本向け 110台 108台 218台
日本国外向け 102台
特殊用途車 12台 2台 14台
試作・テスト用 2台
不明 1台
2M-B型エンジン(2253cc)搭載車は試作車が市販直前の状態まで10台前後製作されたが、生産台数の337台には含まれていない。ほかに、リトラクタブル・ヘッドライトが固定式ライトに変更されたモデルも試作されたが、市販されなかったため台数には含まれていない。
生産終了後 編集
生産終了後希少価値もあり、2000GTの存在は日本国内外で後年まで伝説的に語られるようになった。特に1970年代末にはスーパーカーブームが生じ、当時は既に生産終了していた本車は、日本で唯一のスーパーカー扱いをされた。熱心な愛好者によるクラブも日本国内外に存在する。
日本車における絶版車の人気車種として筆頭に上げられる車種の一つになり、中古車市場では多くの場合プレミアム価格が付いて、高額で取引され、新車時に日本国外に輸出された2000GTを日本に逆輸入する例もある。
2013年にはクラシックカーを専門に取り扱うRM_auctions社が行うオークションで、日本車としては最高値である1155000ドル(約1億1800万円)で落札された。