ゴルフトゥーランのフォルクスワーゲン・華蔵山 妙宣寺・東金市・華蔵姫👸に関するカスタム事例
2022年02月10日 07時10分
いいね!をいただいた皆様、フォローしていただいている皆様どうも有難うございます❗️ 初めて購入した車が新車で買ったゴルフ2。それから、かれこれドイツ車ばかり20台近く乗り換えています。E46やE90、オペルなんかも乗りましたが写真がほとんど残っていません。 ということで、自分の自己満足の為だけに写真をアップしています😅 そんな…車好きのちょい悪オヤジですが、宜しくお願いします。 フォロー数稼ぎの方はご遠慮ください。
おはようございます😃
今日は首都圏が大雪❄️との予報だったので…
テレワークにしました。
お出掛けの皆さんはお気をつけください‼️
さてさて〜
今回の投稿は、東金市家之子の日蓮宗 華蔵山妙宣寺です😊
ひでろーの神社仏閣シリーズ第47弾かな、多分…
さて、まずこの地名がそもそも変わっているじゃないですかぁ〜😆
調べてみると、「家之子」という地名は…
その昔、後醍醐天皇(在位:1318年~1339年)の孫にあたる華蔵姫(けぞうひめ)が父のいる鎌倉に似たこの土地を「良い土地だ」と思い御所を建てました。
宮家の子が御所を建てたことより、宮家の子から家之子という地名がついたそうです😌
こちらの妙宣寺さんの公式HPによると💁♂️…
『尼御所家之子仁王尊 日蓮宗華藏山妙宣寺は、1417年建立。
円教大姉華蔵姫を開基とし、東光院日顯上人を開山と仰ぎます。
護良親王の没後、ご息女華蔵姫は上総へ逃れ當地家之子にて落飾、星莖尼と号され、護良親王の菩提を弔うために開基となり、妙宣寺の前身、禅宗尼寺として華蔵山海岸寺を創建されました。』
と書いてありました。
毎度、千葉県の名所や神社仏閣を尋ねると….
環境庁・千葉県の案内板を見かけますが、新しいものに交換して欲しいといつも思います😣
汚れや破損で読めないものもあり、案内板の意味を成していないものも多く存在しています。
「華藏山妙宣寺」と刻まれています😊
けぞうさんみょうせんじですね。
山号は円教大姉華蔵姫から付けられたということですね🤔
山門からクルマを入れ、仁王門の前で😊
左手に庫裡も見えます。
妙宣寺の仁王門ですね🎶
立派な仁王門です😊
光の加減でこんなショットですが、綺麗な朱塗りでした。
山号額には「妙宣寺」と刻まれています😊
こちらが本堂です😊
いろいろとググッていて分かったことを簡単に書いてみると〜
鎌倉幕府を倒し、政権を朝廷に取り戻した後醍醐天皇が…
いつの間にか仲間だと思っていた足利尊氏(あしかがたかうじ)との仲が悪くなっていった。
後醍醐天皇は息子である護良親王(もりよししんのう)が足利尊氏を危険人物だと思っていることで、足利尊氏との仲を回復するために、息子を捕らえ尊氏に引き渡してしまった。
京に居た護良親王の娘の華蔵姫は鎌倉に旅立つが、既に護良親王は殺されてしまっており、華蔵姫は味方の多い上総の地へと逃れてきたのです。
そして華蔵姫は仏門に入り、父の菩提を弔うため開基した寺が、いまの妙宣寺の始まりということのようです。
歴史を紐解くと興味深いですよね〜😄
本堂の横に案内板🪧があります。
『家之子の妙宣寺には大絵馬が二点(「源頼政 鵺退治図」と「平忠盛と油法師図」)ある。
両図とも縦一二六×横一六五cmで、作者や奉納者は不明ではあるが、典型的な武者絵図である。
これらの絵馬は、以前仁王門にあったが、現在は本堂へ移されている。
絵具も上質で力量ある画家が同時期に描いたものと思われる。
市指定文化財の「平忠盛と油法師図」は、平安末期の京都祇園社での出来事を画題としたものである。
白河法皇の信頼厚く、近侍として仕えた平忠盛が、夕闇迫る雨の中、麦藁を束ねて笠の代わりにかぶり、油壷と松明を携え境内の灯篭に油を注いでいた老法師(坊主)を、鬼と間違えて捕らえる場面を描いたものである。
題材は「平家物語」に書かれている伝説に由来するものであるが、奉納の意図は定かではない。
多くの武者絵は各地の寺社に奉納されているが、このような図は珍しい。』
実は、この大絵馬を見たくて訪れたわけですが…
本堂自体が鍵がかかっていて見れませんでした。
きっと、住職が外出していたのかもしれません😞
こちらは仁王門の前にある🪧立て札です😊
文字が薄れて読みにくいですが…
『髪洗いの井戸』と書いてあるんです。
華蔵姫が髪の毛を洗った井戸があるという🪧なんですね〜
調べてみると、この妙宣寺の裏山に入っていった所にあるというので…
今回はパスしちゃいました😅💦💦
手水舎には、残念ながら水が張られていませんでした…
コロナ禍で水が張られていないところが結構ありますね😞
東金市の地名は、洒落た名前の地名が多いですね❣️