ミディアムクラス セダンのベンツ遍歴 ① W124.300E・追憶に関するカスタム事例
2023年11月15日 17時45分
ベンツ遍歴①…1991年.W124.300E
我が家がY31セドリックを愛用して3年目の時。家族で夕食に出かけ自宅に戻ってきた時に、車庫入れ中に事故に遭いました。バックで車庫入れしている際に右側面に、走ってきたクルマが衝突。ちなみに相手は無保険車。幸いにも、Y31はセダンだったために、乗っていた家族全員は無傷で済みました。Y31は、右前後のドア、ステップのフレームが大きく歪みました。大掛かりな修理をし戻ってきましたが、やはり完全な修復は難しかったらしく、プレスドアの隙間から風切り音が聞こえるようになっていました。
また、仕事で長距離走行が多かったため、ちょうど10万キロ近くに到達しようとしていたこともあり、父は乗り換えを検討し始めました。
候補は、ドイツ車。Y31シーマにという話も出ましたが、事故のこともあり、安全性からそのような選択になったようです。
BMWの5シリーズとベンツのミディアムクラス(現Eクラス)、そしてアウディ100が候補でした。
BMWの5シリーズの方がかっこいいなぁと私は思っていました。父もほぼ5シリーズに傾いていました。
なぜベンツになったのか思い出せませんが、急転直下ベンツになりました。
W124のことを父は「大砲玉のベンツ」と言っていました。ウェッジがきいていてリアが極端に絞り込まれた空力を考えたデザインがされていて、その後は色々なクルマが取り入れ普通になりましたが、当時は奇抜なデザインでした。
よりトラディショナルなベンツらしいカタチの最終型W126の300SEという案もありましたが、仕事で使うため世間体が気になること(←私に比べ、父は堅実でした(^_^;))、価格がミディアムに比べて100万近く高いこと、またフルモデルチェンジを控えていたことであえなく断念。
グレード選びです。
230Eと260E、そして、300E‥。
この時はまだ、レクサスLS(初代セルシオ)対策の400Eやポルシェメイドの500Eは日本導入されていませんでした。
230はスペック的にY31よりも低かったのでボツに、そして、260も右ハンドルしか設定がなかったためこれもボツ。当時はまだ「外車=左ハンドル」がステータスで、初めての外車でしたので、左ハンドルにしたかったようです^ ^
300Eは、シングルOHC、24バルブ、そして4maticの3種類がありましたが、予算の都合で普通の300Eに。
ボディカラーは当時流行りのミッドナイトブルー、室内は紺のソフト革、ヘッドライトワイパーとシートヒーターのオプションを選びました。
内装は標準がクロスだったのですが、その独特の模様が嫌で、革内装に。革は、硬さと革の張り方の違いで普通のタイプとソフトタイプの2種類から選べました。
当時私はまだ高校生だったのですが、ヤナセのショールームで車の内容を決める際連れていってもらいました。
驚いたのは、車体と内装ともにすごい色数から選べたことです。車体色では、なんとシグナルレッドという色もあり、消防車顔負けの「真っ赤」なものでした。車体色や内装色を決めるためのそれぞれの見本帳があり、パネルや革は印刷物ではなく、スチールパネルやシート地の本物が綴られていました。
装備などを選択したため、我が家のミディアムは注文生産車となり、納車まで半年かかりました。
納車されて初めてのドライブは、長野〜東京でした。東京の大学に行っていた姉のところへ遊びに行きました。行きは父と母と私、帰りは、東京で会議の予定があった父を残して、母と私で帰ってきました。
セドリックとは違った固い乗り心地が印象的でした。リアシートは立ち気味で、寛ぐというよりはかしこまった感じで腰掛けるというもの。短距離で一般道の移動はセドリックで、長距離高速道ならベンツが快適だなぁと思いました。そして、車重が軽くて3リッター‥でもその割には2速発進のためか発進加速はもっさりとした印象。室内音も高め。装備も必要最低限で、ダイヤル式のエアコン調整スイッチや液晶表示無しで全てアナログ(時計も)な室内は実に営業車チックでした。たった一本で複雑な動きをしてフロントガラスの視界を確保する一本立てのワイパーもユニークでした(作動させた時、勢いがあって、サイドのレールを越えて、水滴を振りまくので、使う時には要注意でした^ ^)
けれど、帰ってきた後、母が「疲れない。全然違う。」と言っていました。
300Eも仕事で使っていたせいで、短期間に過走行距離になりました。最初の車検時、ディーラーでのいわゆるお任せ整備をしたのですが、エンジンマウントやサスのブッシュ類など消耗品を軒並み変えました。整備費用もびっくりでしたが、クルマもまるで新車になったようにかっちり感が戻り、びっくりでした。
それから何年か経ち、300Eは私が乗ることに。
左ハンドルの利点は、縦列駐車、そして、路駐の際の運転席からの乗り降りが楽なことでした(ガードレールや植え込みがあると逆に不便ですが)。不利な点は、交差点での右折で対向車が見にくいこと、それから、料金所での券の受け取りや料金の支払いでした。
当時はまだETCが出る前でしたし、左ハンドル用の発券機がまだそれほど多くない頃でしたので、独りで乗っている時、右側への幅寄せがうまくいかないと一度車を降りてそれらの動作をしなければなりませんでした。
ディーラーで扱うアイテムに、左ハンドル車の対策として、子供のおもちゃ顔負けの「マジックハンド」がありましたが、それを常備して‥。これで通行券やハイウェイカード(←懐かしい✨)を挟み使います。おかげでマジックハンドの扱いは上手くなりました(笑)
絶対的なパワーはありませんでしたが、本当に厚い鉄板の上に乗っているような感覚、そして、ドアの開閉音もまさに金庫のようで、しっかりしたものでした。
欠点を挙げるとすれば、ホイールのブレーキダストの汚れと鳴き。また、ゴム類の品質。ドアのウェザーストリップ、前述のブッシュ類、そしてオイルシールなどをこまめに交換することが必要で、怠るとすぐにオイルパンからの漏れに悩まされました。
それから、AT。「国産と違い作りがデリケートなので、できるだけエンブレは使わないように」と言われていたので、心がけていましたが、晩年は滑り気味になりました。
ベンツがベンツらしかった時代のモデル。
コストの目標を立てずに、かかったコストに応じて価格が決められていた頃のモデルで、まさに「古き良き時代のベンツ」でした。