MR2のAW開発話・毎月11日はAW11の日・グループB・WRC・AWの日に関するカスタム事例
2022年08月11日 20時52分
全国11億人のMR2ファンの皆様、こんばんは😃
毎月11日はAW11の日👍
さて、MR2開発話続きでーす😊
そのマシンは、シルエットこそAW型MR2の面影を残しているものの、エンジン搭載方法を変更したことにより、ホイールベースは延長され、トランスミッションは、パイプフレームに懸架されたエンジンの後方に突出した形で設置され、オイルクーラーへの巨大なエアインテークがルーフに装着されるなど、もはやMR2からは大きくかけ離れた様相となっていた。
全長3985mm、全幅1880mm。ボディの大半はFRP製。 重量は1100kg。重量配分は47:53。エンジンの最高出力は500ps以上、最大トルクはおよそ60kg/cm。フロント、195/65R16。リア、215/60R16の、当時、例を見ない前後異径タイヤ。サスペンションは、MR2シリーズには、最後まで採用され無かったダブルウィッシュボーン。0:100~40:60まで、可変するトルク配分型4WDシステム。
222D・第2次試作車は完成後、直ちにテストに移される。その中で、強いアンダーステア傾向の是正の必要性や、エンジンのさらなるパワーアップ等、様々な問題が指摘され、さらなる開発と改良が進められていった。
222Dの最終的な性能に関しては、様々な意見、証言がある。あるTTE関係者は「グループBセリカとの比較テストも行われたが、時代遅れのセリカより明らかに遅いコーナリングスピードや神経質な操縦性が問題視された」と語る。 逆に企画担当の責任者は「当時の他社車の緒元、テスト情報からして、222Dは抜群の性能を持っていた」と語っている。
賛否両論の意見があるにせよ、実際、ホモロゲーション取得の為の、市販用200台分の部品の調達も進められ、222Dは、世界を掴むべく、その企画と開発が進められていった……
『連続した12ヶ月間に20台の競技用車両を含む200台を生産すれば、20台の競技用エボリューションモデルを製作出来る』
現代のモータースポーツからすれば、考えられないような緩やかなレギュレーションの中、WRCマシンのパワーアップは、留まる所を知らなかった。しかしながら、そのあまりの馬力と性能のエスカレーションとインフレーションの中、WRCマシンの安全性を危惧する声も上がり始めており、そして、それらは実際にWRCマシンとドライバーの死亡事故として、現実のものとなってしまっていたのである。
1985年シーズンの第5戦ツール・ド・コルス。アッテリオ=ベッデガのドライブするランチアラリー037が立ち木に激突、ベッテガが死亡。第8戦アルゼンチンラリーでは、アリ=バタネンのプジョー205ターボ16E1がクラッシュ。バタネンは瀕死の重傷を負った。
それらの事故を受け、同1985年9月。FISAは『グループS』と呼ばれる構想を発表。この『グループS』は、度重なる事故を受け、ラリー車の安全性が配慮されたものであったとも言われるが、そのレギュレーションには『10台のプロトタイプを製作すればホモロゲーションの取得が可能』、つまり、たった10台のワンオフマシンを製作すればWRCに投入可能と言うものであり、ただでさえ過激であったグループBの規制をさらに緩和し、グループB以上の高性能マシンの開発を容易にするものであった。
この決定を受け、トヨタはグループS仕様モデル。いわゆる『グループS仕様MR2』の製作を新たに計画。これには、NAエンジンの3S-GEを搭載することが計画された。
そして、当時開発中であった『グループB仕様MR2』=『222D 第2次試作車』は、そのままの方向で開発、改良が継続されることになり、ホモロゲーション取得の為の、市販用200台分の部品の調達も進められて行った。
まだまだ、しつこく続く〜😁