718 ケイマンのポルシェ・大多喜町・夷隅神社⛩・大屋旅館に関するカスタム事例
2021年10月02日 12時02分
いいね!をいただいた皆様、フォローしていただいている皆様どうも有難うございます❗️ 初めて購入した車が新車で買ったゴルフ2。それから、かれこれドイツ車ばかり20台近く乗り換えています。E46やE90、オペルなんかも乗りましたが写真がほとんど残っていません。 ということで、自分の自己満足の為だけに写真をアップしています😅 そんな…車好きのちょい悪オヤジですが、宜しくお願いします。 フォロー数稼ぎの方はご遠慮ください。
昨日、いつもの新宿オークタワーのファミマでセブンスターボックス🚬買って、Suicaで払ったら…
あっ、そうだった!10/1から600円に値上げしたんだった😣
買い溜めするの忘れてました😂
さてさて、大多喜町徘徊シリーズ第4弾です❣️
こちらは夷隅神社⛩です。
鳥居⛩の横の古い「大屋」という建物をあえて入れて撮りました。
ここは大屋旅館という江戸時代より続く門前宿なんです。
Wikipediaを見ると〜
『大正期から昭和初期にかけては、旅館業の他に、フォードの車を使用したバス(乗合自動車)事業も営んでいた。1891年(明治24年)に正岡子規が学生時代の頃、房総の旅に出た際に宿泊したとされる。また、つげ義春の「リアリズムの宿」に“理想の宿”として、帳場の佇まいが描かれた。往時の面影を残す宿として、テレビドラマや写真集のロケ地としてしばしば利用されている。
現在の建物は1885年(明治18年)頃の建築で、木造2階建の南北棟。瓦葺切妻屋根の平入で、正面2階の左右の戸袋には大きく屋号の「大屋」の文字が漆喰で描かれている。1999年(平成11年)7月8日に国登録有形文化財(建造物)に登録された。』とあります。
なんか…
座敷童子でも出そうな雰囲気の宿ですね😅
前々回の投稿で忠勝公園にあった正岡子規の句碑も、ここからの由縁なんですね〜😊
さて、参道を進んでいきます。
夷隅神社のHPによると〜
『夷隅神社は、天正18年、本多忠勝が大多喜城主として入封し、城下町を整備するにあたり、現在地にあった神宮寺を栗山に移転し、祇園院大円寺から牛頭天王(ごずてんのう)を勧進し牛頭天王社を奉斉したのが始まりです。
牛頭天王は、インドの祇園精舎の守護神と中国の陰陽道とが習合した神が、我が国では更に素戔嗚尊(すさのおのみこと)と習合した神とされ、京都の祇園社八坂神社の御祭神でもあります。
夷隅神社は、明治の神仏分離にともなって、牛頭天王社から夷隅神社と改称され、御祭神は素戔嗚尊(すさのおのみこと) と言われていました。
この度、神社の御屋根改修に当たり、仮社殿に御神体を遷座奉斎するため、本殿内部の調査をしたところ、御神体の台座の中から錦布に包まれた御鏡が発見されました。
御鏡の中央に「素戔嗚尊」(すさのおのみこと) 、右側に「大己貴命」(おおなむちのみこと) 、左側に「稲田姫命」(いなだひめのみこと)と刻印されており、御祭神は三柱の神様であることが判明されました。』とありました。
夷隅神社の境内には昔ながらの水路があります。
案内板には、新丁上宿周辺の雨水をあつめ、神社の杜や社殿・太鼓橋と調和した景観をつくりだしていますと書かれています。
鯉や鮒がいるようなことも書かれていますが、確認できませんでした😅
手水舎ですね。
龍🐲の口から神水は流れていませんでした。
こちらが拝殿です。
立派で格式ありますね〜😊
さすが、房総の小江戸と言われる城下町大多喜の総鎮守として鎮座する神社です。
案内板に夷隅神社のことが詳しく記載されています。
社殿は、拝殿、幣殿、本殿からなる権現造りですと書いてありますね😊
三柱の御祭神の御神徳は、五穀豊穣、農業・漁業の守護、航海・交通安全、学業成就、商売繁盛、家内安全、厄除開運、病気平癒、及び縁結び、夫婦和合、安産・子育て、国土安全、国家安泰など広範囲の御利益がありますとHPに書いてありました。
要は、なんでも御利益があるから参拝🙏しとけってことでしょうか😅
HPの冒頭は、縁結びを大々的に謳っているようですが…
彫刻も凄いですね。
細かいところまで彫ってありますね〜
こういった彫刻を見るだけでも、感嘆します😊
境内には…
西南戦争はじめ、その後の戦争で戦死した人々の表忠碑や殉職警察官の招魂碑が立てられていました。
撮影下手なので、暗くて分からないと思います😅
夷隅神社⛩は、たいへん格式の高い神社でした。