ハイエースバンの幸さんが投稿したカスタム事例
2022年11月16日 08時36分
初めまして、ハイエースをいつかカスタムしようと考えて購入してから6年、やっと理想の形になりつつあります。車あまり詳しくないですが眺めるのも好き、運転も大好きです。ハイエースってカッコイイなぁ~って毎日❤️頭の中車の事考えてるw 良かったら仲良くして下さい。
カスタムCARに、載りました👏🏼
12月号発売になってます❤️
嬉しい~今年は色々と思い出深い1年になりました。後にも先にも、こんなに取り上げて貰える事は無いので、家宝にします😍
ハイエース乗って、車の繋がりが出来て、車ってこんなにカッコいいくなるの?と無知な私に、色々と教えてくれてからカスタムして箱車祭りから始まりこんなに沢山の方と出逢い注目して頂、ご縁に感謝しております。ありがとうございます。
車は面白いですね~😍魅力的です❤️
ミシンと車の関係❤️深く関係してるんです!
カスタムCARに載せて頂ました❤️
私は小名浜産まれ、小名浜育ち、手に職をつけ、洋服のお直し屋を、経営しております。
ミシンを踏み23年まだまだ未熟者ですが、こうして服に触れ携われる仕事が出来ている事に感謝してます。この雑誌でも積載しましたミシンは、今は亡き祖母のRYTHEMミシンです。
リズムミシンは日本のアンティークミシンの代表。車とミシンには深い繋がりがあるんですよ! その歴史は、軍用機を作っていた中島飛行機株式会社(1917~1945年)に始まり、第二次世界大戦後、社名を変えリズムミシンの製造販売をスタートしたと言われています。
当時の飛行機の性能は貧弱なもので、有用な兵器になると考えるものはほとんどいなかった。中島は早くから飛行機の価値を高く評価し、研究を進めていた。彼は海軍大学の選科学生となり、海軍航空術研究委員会に参加した。アメリカに渡り、飛行士のライセンスを取得する。飛行機が必ず国防の主役になるという確信は強まっていったが、軍隊では飛行機を活用しようという動きがなかなか広がらなかった。彼は軍人にとどまるよりも民間で航空機の事業を立ちあげるほうが効率的であると考えるようになった。1917年に海軍を退役し、故郷に飛行機研究所を設立する。
中島はまず機体の製作にとりかかり、失敗を重ねた後にホールスコット120馬力エンジンを搭載した四型でようやく満足のいく製品を作り上げた。性能の高さが評価されて1919年に陸軍から20機の発注を受け、中島飛行機と改称していた飛行機工場は本格的な生産を開始した。1925年には東京に工場を設置し、エンジンの製作も始めた。
そんな歴史あるリズムミシン!元をたどるのは面白いですね。上手く説明は出来ませんが、ミシンを踏んでる感覚と、車の運転はすごく似ています❤️そんな伝統ある物作りを守って行くのも、今の私に出来る事、服や車、バイク、音楽を通して伝えて行けたらと思います。
最後まで読んで頂きありがとうございます👏🏼
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箱車祭りの時、こんなに取り上げて頂ありがとうございました。仕事も頑張ります✊️