フェアレディZのスーパーZ・渡哲也・S130Z・西部警察・フェアレディZに関するカスタム事例
2020年08月15日 04時39分
西部警察と130Zの話すると、長いと言うか…書ききれないw
いきなりだけど渡さんの実弟の渡瀬恒彦さんは大激闘マッドポリスでの初代RX-7のイメージが強い。
マッドポリスは勿論、十津川警部シリーズでもセルシオでスピンターン一発で決めたりスタントマンが唸る程のドラテクだったらしい。
そもそも、若い頃の渡瀬さんは240ZG転がしてカースタントの腕前を磨いたらしい。
一方の渡さんは、車好きって話あんまり聞かない。
自社制作のドラマがあんなんだから辟易してた部分もなんとなく察せる。
最近発売されたマシンブックにもコメント寄せてたけど、あまり多くを語るって感じではなかったし…
マニュアル操作が苦手とも流布されてる。
でも、自分からすれば、一端のクルマ乗りとして影響を受けたのは、レーシングドライバーとか、チューニングショップの社長とか、高名な走り屋とか、又は架空のアニメキャラでもなく、紛れもなく渡さん。
まだ2歳とか3歳の頃、スーパーZで現場に急行してショットガンぶっ放す大門団長にシビれた。
頼んでもないのにマシンRSのラジコンを親父が買ってきて、近所の年上の小学生のスーパーZと軍団フォーメーションした記憶もある。
幼稚園の落書き帳にも下っ手くそなスーパーZ書いたし、粘土細工でも作った。担任の先生にはガルウィングがウサギの耳に見えたらしく、大人に歯向かう事を知らなかった自分はパトライトをボンネットに乗せられた日には何も言い返せなかったw
帰りの送迎バス(余談だが裕次郎のキッチンカーや劇中の護送車と同型のシビリアン)の中で泣いたよwww
その幼稚園の演劇会で、ドンパチ(ストーリー上全く拳銃の小道具すらなかったがw)やる気満々で警官役買って出たほどwww
自分にとっても大きく影響を与えた。
番組終了から時間が経って記憶の片隅に追いやられてくけど、
たまに再放送なんかを嗜んでた程度
頭文字Dや湾岸ミッドナイトにハマった10代の頃はAE86やFD3S、S30に憧れて
130の事なんか忘れてた…
自分も大人になって、バンドばっかに性を出して、車とは無縁の生活をしてた。
会社の先輩から「クルマ持ってない奴に女なんか出来ねえよ」と言われたのをきっかけに、車探した。
時は現行86の発売が待たれる頃
別の先輩の知人がZ32降りる話もあったり86欲しかったり色々精査した。
そんな中、石原裕次郎の23回忌に伴う西部警察の再放送で思い出したかのように、「俺130Z欲しいわ」と密かに思うようになる。
その時点で最終型からも25年経過してるだけに周りから「お前バカじゃねえの?」と言われる始末w
乗らずに後悔するより乗ってバカを見たかったw
by2と2シーターの違いも知りませんでしたw
遠くは新幹線で岐阜まで現車確認行った(今の130九州から引っ張ってきたけどナニか?w)
結局、船橋にあった28改を30歳目前で手に入れる事になり…
全くのど素人からの旧車…w
そんなこんなでZ仲間の皆様とのお付き合いも始まるわけで
時はVQ全盛期、スカイライン界隈はどうかわからないけど、Zの界隈はワイスピの時代なのもあるけど、好き嫌い分かれたり、認知度低かったり…仕方ないよね。
西部警察の影響口にしただけで失笑されたりw
130そのものが見向きもされなかったりwまあ色々
一台目のZはスーパーZ化を割と真剣に考えてましたwww
ビタローニ風のミラー
セントラルのリアスポイラー
ライトカバー…そこから先に行けませんでしたがw
ミニカー買ったり
DVDボックス買ったり
西部警察関連商品散々散財してきましたw
このお金で車多少は仕様変更出来た気がw
ロケ地巡ったり、
裕次郎記念館行ったり
村山商事行ったり
事故ったりハコ替えもありました。
Z、旧車、スポーツカー、この辺の仲間との縁は、遠回しに言えば、渡さんが繋いでくれたものだと思ってる。特に、西部警察の共通のキーワードが無ければ出会う事も無かった人もいる。
こればかりは、何にも変えられない財産です。
渡さん
ありがとう
自分で撒いた種は自分で刈り取ります。
大門みたいな漢になりたいです。
軍団予備軍の端くれとして
これからも西部警察・大都会の布教活動に邁進します。
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弔い走り〜半旗掲揚