フーガの飛鳥稲渕宮殿跡・奈良県高市郡明日香村稲渕に関するカスタム事例
2018年10月23日 11時42分
フーガに乗って6年半になりました(_ _) ええ年こいて未だに車いじり止めれません(^_^;) 匍匐前進で進化していきたいと思うので( ̄▽ ̄;) ヨロシクお願いします(_ _) 注)基本来るものは拒まず去るものは追わずですが(^_^;) 1度も投稿の無い人は受けませんので(>_<) (お礼のコメント入れられないので)(^_^;) 1度投稿してからフォロー頂けたら助かります(⌒0⌒)/~~ (お礼のコメント入れられるので)(^_^;)
おはようございます(⌒0⌒)/~~
明日香の里パート3(⌒0⌒)/~~
今回は、先週の木曜日に史跡、飛鳥稲渕宮殿跡周辺で車と一緒に撮りました。
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飛鳥稲渕宮殿跡は、奈良県高市郡明日香村稲渕にあります(⌒0⌒)/~~
斜めおちり(笑)(⌒0⌒)/~~
眼下の白い部分周辺が稲渕宮殿跡になります。(⌒0⌒)/~~
ちなみに中央に大きい木が5・6本並んでる真ん中の一番高い気の側に前回の『マラ石』がある所です。(⌒0⌒)/~~
飛鳥稲渕宮殿跡は七世紀中頃の大型建物群の遺跡で、昭和52年(1977年)の発掘調査で四棟の堀立柱建物が見つかり、南北に並ぶ二棟の主殿舎を中心にして、東側に棟を揃えた二棟の脇殿を配置していたそうです(⌒0⌒)/~~
しかし七世紀末に焼失したそうです。( ̄▽ ̄;)
規則正しい配置の建物や石敷は、宮殿の中心部に似ていることから、天皇の宮殿か?皇族の邸宅と考えられるそうです。
斜めおちり(笑)パート2(⌒0⌒)/~~
大化の改新後、白雉四年(653年)に中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)等が難波から飛鳥に戻って来たときに、一時期営んだ飛鳥川辺行宮の有力な候補地やと書いてます(⌒0⌒)/~~(笑)
飛鳥稲渕宮殿跡は南北に約170m、東西に約60mの広さがあり、東西棟は発掘地の中央に位置し東西五間(約9.2m)以上、南北約四間(約7.3m)以上という大規模な建物である。(⌒0⌒)/~~
東西棟の約4m離れた東側に南北に二軒が並ぶ南北棟を配していたそうです。(⌒0⌒)/~~
今回は奈良県高市郡明日香村稲渕の中大兄皇子が営んでたと有力視される飛鳥稲渕宮殿跡周辺で撮りました。(⌒0⌒)/~~
明日香の里パート4に続く(笑)