フェアレディZのdatsun280zさんが投稿したカスタム事例
2023年02月19日 08時21分
北米仕様の5マイルバンパー装着してます。このクルマを所有 してから17年ほど経ちました。その他38年ほど所有している240ZGも有ります。宜しくお願いします。
今日は、片山豊さん「旧姓・麻生豊」の命日です。御存命ならば、今年で114歳になられます。慶応大学を卒業後に日産自動車に入社されて、51歳の時に当時の原科部長からの「そろそろ米国でもクルマが売れそうだから調査してこい」と言われて組合活動に嫌気がさしていた所に、渡りに船で、米国に渡りました。当時は、日産自動車には、米国に販売会社は、存在せずに日本の商社を通して販売していました。2社の商社は日産自動車の性能面で不満が有りました。この為に、自動車を販売する気が有りませんでした。
そこで、片山さんは、独自で販売会社を設立する事を本社に提案します。この稟議書が簡単に本社内で通過して米国日産の設立が承認されます。
東京の本社は、ニューヨーク🗽にと画策しますが、米国を知り尽くしていた片山さんは、ロサンゼルスに米国日産を設立します。その当時には、ニューヨークには、川添惣一さんが駐在されていました。川添さんは、戦前の多摩川サーキットのダットサンレーサーのスーパーチャージャー付きのエンジンを設計したエンジニアでした。米国日産を設立した当時は、初代社長の石原俊さんが東京にいて指揮を取りました。その後、片山さんと川添さんが副社長として東・西海岸の自動車販売に携わり、西海岸のアメリカ人の開拓精神のフロンティアスピリットを十分に理解をしていた片山さんが、圧倒的な好成績で販売実績をあげた為に2代目の米国日産の社長に就任しました。その後のご活躍は、皆さまのご存じの
通りです。ダットサン510と240Zで米国日産を急成長させました。片山さんは、ミスターKと呼ばれ、川添さんは、アンクルKと呼ばれました。
最後に片山さんのご冥福をお祈り致します。また、片山さんの画像は、ネットからお借りしました。誠に申し訳ございません。