マーチのEK10マーチ・マーチターボ・サファリラリー・WRC・K10マーチに関するカスタム事例
2022年02月14日 20時21分
1987年WRC第4戦、第35回サファリラリーのマーチターボその3。
1987年WRC第4戦、第35回サファリラリーのマーチターボ。
EK10マーチターボ第35回サファリラリー参戦記/インタビュー
高崎 正博◆マーチターボ(リタイヤ)
走ってみて知ったサファリラリーの本当の面白味
ほぼ満足な仕上がりのマーチターボ・サファリ仕様-------------------------
昨年11月下旬、NISMOより、「マーチターボ・グループA海外ラリー仕様車を製作して、
87年のサファリラリーを中心として、WRC戦出場が可能か?」との話をいただいた。
現在、マーチターボは987ccでターボ係数1・4を掛けると1382ccとなり、1301cc以上
1600未満のクラス区分となる。しかしながら、もうすでにレース界でもウワサされている
ように、88年FISAターボ換算係数が1・7になったとき、排気量を若干落とし、
ターボチャージャー+スーパーチャージャー付き、ミニダイナマイトカー
"マーチ・スーパーターボ〃の話が事実!?なら、私たちがマーチターボ・グループA
海外ラリー仕様車を製作し出場することは重要な意味があると判断し、参加準備に
とりかかる。
12月中に基本車両の公認とVO公認の準備を終え、1月5日公認用写真撮りを
終了。この時点で87年サファリラリーへの出場を正式に決定した。
しかし、クルマの製作に費やせる機関は、正味1か月しかなく、公認部品の完成
予定であったから、2月中旬の船積みなので2週間で車両完成という厳しい
スケジュールとなった。だがこの間、多くの日産ファンや関係者の助力があり、
80%仕上げではあったが、シェイクダウンも済ませ、クルマを港へ搬入することができた。
だが、完成したNRSマーチターボ・サファリ仕様車は、多くの部品が暫定仕様で、
このままでは完走があやうい状態であった。プライベートチームとはいえ、目標は
"絶対完走〃であり、完走イコールA2クラス上位入賞であるため、この後、3月下旬の
出発までの約1か月間は、完走できるスペックまでレベルアップすべく、パーツ
製作へGOサインを出す。
NRSで追加製作した部品は、エンジン関係として、低圧縮比ピストン、アジャスタブル・
アクチエーター、油圧アップ・オイルポンプ、流量増大ウォーターポンプ。サスペンション
関係では、フロント・スプリング、ストラット、ショックアブソーバー、強化リヤリンク・
UPR・LWR(VO公認済み)、その他、フレシキブルチューブ・エキゾーストパイプ、
強化エンジンマウンティング・ブラケットなどに及んだ。このパーツの製作に関しては、
ラリー参加の援助をいただいている厚木自動車部品、日産販売の全面的な協力
を得て、短期間で試作していただき、出発に間に合わせることが可能となった。
またNISMOでは、新しいタイプのメタル・クラッチディスクを製作していただき、
私の考えたマーチターボ・サファリ仕様はほぼ満足できた。
ラリーへの参加体制は、ドライバー、ナビゲーターのほか、日本から8名の有志が、
サービス隊として費用自己負担で参加してくれた。サービスカーはキャラバン3台に
ヘッドクォターカー(マーチターボ・レッキカー)の計4台に、2名から4名乗車で計画
して、不足する人員は現地調達とした。
マシンのトラブルで遅々として進まないレッキ。--------------------------------
3月28日、先発の私、ナビゲーターの浜田、チーフメカニックの稲盛、記録担当の前田の
4人は成田エアーポートをたち、インド・ポンペイを経由してケニア・ナイロビに29日夜半
到着。日産自動車の石田氏、日本経済協力事業団(JICA)の小川氏、サファリラリー
リミテッドの人々の出迎えを受け、宿泊するパナフリックホテルへ。ここでもスバルチーム
のサービスを引き受けているKYオートの山内氏にも迎えられ、ナイロビでの1日は
順調に終わった。
翌日、日産のワークショップで、マーチターボは本番車、レッキカー共にモンバサに
着いているとの情報を得て、30日の夜行列車でモンバサへ向かう。31日午前中、
DTドビーでNRS本番車、レッキカーそして柑本車、今 車をわれわれが引き取り、
モンバサロードをナイロビへ向けて走る。
3日早朝より、第1レグのレッキに入る。サバサバからカラチナまでは無事終了。
いつまでこのペースで行けるやら心配だ。宿はニエリに取る。
4日、アウトスパン・ツリートップホテルを後に、マウント・ケニアを左回りにナンユキ
に向かう。この区間は悪路もあり第1レグ最初の難関だ。
コースは走り切るが、前日の不安が的中して、レッキカーにトラブルが発生する。
原因は低すぎる地上高(ガード下150mm)にあり、路面干渉→アンダーガード変形
→取り付け部分の座屈→ドライブシャフト・ブーツ破損。また、エンジンマウンティング
・ブラケット外れ→エンジン脱落→シフトリンケージ作動不良の二重苦をしょいこむ。
その上、宿泊を予定していたナンユキ・スポーツクラブは、TTEのヘンリー・リドンが
全室リザベーションして空室なし。近くのホテルを紹介してもらうが、室はボロボロ、
蟻が這い回る室で、蚊取り線香が唯一の頼りで一夜を過ごす。
無事一夜明け、落ちたエンジンをストラットタワーバーよりワイヤーで釣り上げ、
アンダーガードを外してドライブシャフト・ブーツはビニール袋でシールするが、
そのままレッキを続行すると即リタイヤになりかねないと判断して、ナイロビで
本番車を整備中の稲盛と前田を呼ぶ。もう1泊だ。
午後になり、サービス隊が到着。クルマの修理に取りかかるが、部品がなく、
ナイロビに戻る。部品を持ち帰り、再度チャレンジするが、ホテル駐車場では
再びレッキに出発できるだけの修理は不可能と稲盛が判断して一度、ナイロビに
戻り、再出発することになった。
マッドホールで夜を明かす。-----------------------------------------------
レッキカーの修理は6日午後までかかり、その日のうちに出発するが、離脱したナンユキ
まで届かず、ニエリに泊まる。7日早朝。カバルネットへ向け走る。4月に入ってからの
天候は雲の量が増え、朝晩に雨が降る。ナンユキからドルドルのあたりは、平原と
なだらかな丘陵地帯でサファリらしい(今まで写真で見知った)コース。
ワンバ手前10km程から雨が降り始め、コースは大丈夫かなと心配しつつ走ると、
前からアフリカン・チャンピオンシップラリー(サファリラリーと一緒にはしる)出場の
地元プライベーターのギャラン1800とランサーの2台が戻ってきて、ワンバ先の河が
水深1m以上もあり、通行不可能との話。仕方なくルート77でキシマを通り、
マララルの先のレシオロよりオンコースすることにする。
ラリーの時も同様のコース変更が考えられるので、オンコースのレッキ同様ペース
ノートに注意箇所を記入しながら走る。雨が思いのほかひどく、ペースが上がらず
マララルに泊まる。
レシオロより牧場地帯が続き、コースは良く一安心かと思えば、途中から昔の
乗鞍よりさらにひどい極悪路でかかえても持ち上がらない程の岩だらけの道
(初めは道がなくなったと思った)を下る。
盆地に入り、胸をなでおろす間もなく、ブラックコットンのマッドホールに出くわす。
ブラックコットンは関東ローム層の赤土のようにウエット時のμは極端に低く、
粘着力は数段強い。かろうじて自力でクリヤーすると、今度は先ほど下った所
同様の極悪路の上りだ。2度程チャレンジするが登れず、地元のマサイ族を
3人雇い、クルマを押させる。
悪戦苦闘の末、やま場をクリアーすると、前日先に行ったギャランが登れず、
コース上に止まっている。話を聞くと、クラッチトラブルでナビゲーターが牽引する
クルマを呼びに行き、本人はクルマで一晩明かしたとのこと。ギャランに別れを告げ
会長に走りだす。TC24チェロ手前4km程の地点で、気を許した途端、マッドホールに
嵌まる。
ここでは、もう1台のランサーが泥と闘っている最中だった。われわれはバンパー
ジャッキでワダチを外し走りだす。ギャランのナビゲーターが脇の草原の方が
路面が固く良いとのことなのでコースを外す。コースを確認して走ろうとすると、
クルマは全く動かず。ガレ場登りで傷んだクラッチがバーストしたのだ。
結局ランサーをマッドホールから脱出させ、ギャランのナビゲーターがマララル
までクルマを呼びに行く。ついにアフリカの山中で一晩明かす破目になってしまった。
この間に雨が降り、道は悪くなる一方だ。夜中の2時頃、エンジン音が聞こえ、
跳び起きる。呼びに行ったランドローバーが、ガレ場にあったギャランを引っぱって
来たのだが、やはりマッドホールに足を取られスタック。全員で努力するが、
出る気配はまったくない。
翌朝、近くの部落から人を集め、押すことにする。
ケニヤの朝は日の出とともに始まる。近くの部落から人を集め押すが5人で出ず
10人で出ず、結局、15人で押し、ランドローバーがマッドホールから脱出。
まずはギャランをチェロまで出す。ギャランのクラッチトラブルは、固い平坦路なら
動く程度で、ナイロビまでもどる。
次はわれわれの番だ。コース上の水は引き、少しは楽かと思えば、タイヤは泥
まんじゅうでまったく回らず、ランドローバー+15人力で引きづる。そのまま
マララルまで約90kmを牽引。
ラリーカーを牽引することは、仲間うちでも鼻が高いらしく、ランドローバーの
ドライバーは途中の町の飲み屋を順に寄り、あげくのはて、マララルの街中を
引き回され、夕方やっとロッジに着く。電話でサービス隊を呼び、翌日クラッチ交換を
して、再びチェロからオンコース。レイクバリンゴ、マリガットを経てナイロビに戻る。
レッキが思うように進まず、結果的には10日がかりで全コースの3分の1。
「レッキを完走出来ずして、ラリーの完走はない」ということで、ダットサントラック
4WDを借り、12日マリガットよりコースインし、13日夕方、ビクトリア湖に沈む夕日を見る。
“完全完走〃を誓い合ってスタート。-------------------------------------------
15日車検。マーチターボはグループA新型車両ということで、特にわれわれのクルマ
には、FISAの技術委員がつきっきりで検査。特に問題はなかったが、フードピンの
取付部分が、「補強か?」、「ブラケットか?」との質問があり、
「フードピンを取り付けるブラケット」と答えOK。
車検はエンジンとシャーシーに封印をして、さらにドライバーが車検用紙にサインを
して終了。車検が終わると精神的には70~80%終わった感じがする程、海外ラリーは、
スタート前までが大変だ。
明けて16日、写真では何度も見ているコンファレンスセンター前のスタート地点では、
文字通り黒山の人だかり。人人人。この熱気はサファリーラリー独特のものだ。
「絶対完走」と声をかけ合い、スタートする。ラリーはナイロビ市内を迂回して
チカロードを進む。われわれは過給圧を1・0kg/cm2に最終調整しながら走る。
この間でさえ、時間は2分しか稼げず、最初のサービスは給油のみですぐ走る。
このサファリーラリーのサービスの忙しさを初体験。
このため、ダートインの右ト字路を5mも!行き過ぎ、落ち着く様声をかけ合い、
サービスにも無線で指示する。しかし、サービス隊の混乱は少し続き、次の
サービスポイントへ向かう途中でミスコース。競技車がサバサバに着くと、
サービスカーがいない。落ち着いて燃費計算をすると、予備に入れている15リットル
で次のサービスポイント・カラチナまで行ける事が判明。2つ目のサービスを抜かし
カラチナへ向かう。
カラチナ手前では燃料の残量が少なくなり、コーナーでは時々息つきがでるが、
途中からエコラン走行を取り入れて走り、第一関門は突破する。
次のエンブまでは、途中の迂回路で道なりの判断の違いからミスコース。7分のロス。
TC11のカリンバまでは、コース上のギャップを歩くように通過するが、パンク。
5分をロスする。レッキの時にコースが悪いので内圧アップを指示しているのに
0・2~0・3kg/cm2程低く感じられるのでカリンバのサービスで全タイヤの内圧確認と
アップを再度依頼する。
最初のバンチング・ナンユキ前のサービスでは、明日に備え、下回り点検。タイヤ
交換、ロスタイムを覚悟でしっかりサービスする。ナンユキのTCへは2分遅れで入る。
ナンユキのバンチングには、JICAの小川夫妻がおにぎりを届けてくださる。
きょう、ナイロビをスタートして、初めての食事だ。だが、途中では筋肉にグリコーゲン
を補給する“ゲーターレード280〃のおかげで疲労は少ない。
ここナンユキまでの成績は、A2クラス4位、シャレード3台の後塵を浴びる。しかし、
ミスコース、パンク、サービスの遅れを除くと、マーチターボはA2クラスの上位争いが
可能なポテンシャルを持っていることが分かる。
明日に備えて、鉄パイプにキャンバスを張っただけの簡易ベッドで寝る。かなり寒い。
クラス3位のシャレードに追いつく。だがエンジンが・・・-------------------------
ラリー2日目、ナンユキを日の出とともにスタートする。心配されていた天候は、
きょうも晴れ、雨の気配はまったくない。ケニアでは朝でも空気が澄んでいるので
太陽は赤くなく、また眩しい。雨のためレッキできなかったワンバからレシオロまでは、
なんのトラブルもなく順調に走り、同じA2クラス3位を走っている(37)シャレードターボに
追いつく。
この頃からクルマの調子が崩れ始め、時々エンジンの回転がスムーズに上がらなくなる。
調子のよい4気筒で追いつき抜かすと、3気筒になり抜かれという具合だ。
チェロ手前の極悪路は、レッキ時よりかなり良くなっている。ここを歩くように走るが、
前述の内圧がひくいため!? パンク。4気筒で追い越し、パンクで抜かれ、2台ともに
自分のペースで走っているのだが、傍目にはデッドヒートに見える。ケニアの日刊紙
NATIONに、写真入りで載ったほどだ。
レイクバリンゴ近くのサービスで、シフトリンケージの修理に15分費やす。TC25を
過ぎるとエンジンの調子がいよいよ悪化して3気筒固定となる。同じ修理をするなら
2度目のバンチング、カバルネット前に完璧にということで、サービスカーを無線で
呼び、ラリーカーはコースを逆走してサービスカーとドッキング、30分を費やし
原因究明に当たるが不明のままカバルネットへ入る。
カバルネットでの順位はナンユキと同じだが、トラブルで遅れた分だけ、差は
開いてしまう。バンチング中、ホテルの室でサービス隊と原因の追及と、
カバルネットOUTのサービスの急拠追加、それに伴うサービスカーの配置換えの
ミーティングをしてから眠る。
カバルネットOUTですぐクルマの修理に取りかかる。トラブルは3番シリンダーの
作動不良と判明。原因は配線コネクターの接触不良だ。ブレーキグリースを
接点グリースとして、接触不良を直す。修理時間は30分かかるが、NRSマーチターボは
本来の調子を取り戻し、キスムへ向け走り始める。
TC28までは、箱根に来たかと錯覚する様なターマックのワインディングr-ドを
楽しみながら、TC29ニャルへ向けて右ト字路を右折でダートイン。ダートの下り
ワインディングコースをも楽しむ。気持ちに少しゆとりが生まれる。
と思いきや、バンプを越えたらまた3気筒。ここから次のサービスポイント、
キタレ近くのコイコイまでには、今回のサファリラリー第3の難関であるロディオコースと
、急な上りヘアピンの連続がある。
ここを乗り切れるかと心配しつつも、止まって修理し、直し切れなければタイムアウト
の可能性もあるので、走るしかないと自分に鞭うち、マーチターボのスロットルを踏む。
コイコイのサービスで再修理。原因はインジェクターの配線止めのピンが飛んで
なくなっていた。ヘッドクォーターカーから部品をとれるまで、暫定的にワイヤーで
固定する。3気筒、4気筒を繰り返しながらも若干ペースアップ。シャレードとの差を
少し詰めてキムスにたどり着く。思う様に走れず辛い一日だった。
エンジン不調とオーバーヒートのダブルパンチで無念のリタイヤ。------------------
第1ステージの3分の2を消化。キスム先ケリチョー付近はサファリラリーとしては
一般的なコース。ストレートは長く、コーナーは緩い。
ハイスピードで走りながらギャップ、石などの障害物を的確にクリアー
しなくてはならず、速度が高いために難しい。今までサファリラリーの写真や
ビデオを観てストレートが多く、ドライビングは楽と勝手に決めていた自分を恥じる。
出場してみると、コーナーが来るとホッとするほどである。
エンジンはぐづつき、相変わらず調子が悪い。エンジン本体のトラブルでないだけに
残念だ。
TC44を過ぎるとターマックのワインディングロードで上りがきつくなり、歩くようにしか
走らない。ナクルまでの距離300kmを考えると20分以内なら修理して、アベレージを
上げた方が時間的に得と判断し、自力で修理する。
その間約10分に通過したクルマは、(24)パトリック・ンジル(地元で人気のある
ドライバー)のレオーネ4WDから、今さんのマーチターボしかいない。コース上の
ラリーカーが極端に減っているのを知る。
修理後、エンジン快調!と走りだすと、すぐ3気筒。3気筒と4気筒になる周期が
短く変化する。接触不良か?と思いながらコーナーへ進入すると突然4気筒で吹く。
この時、コース上の砂に足を取られたからたまらない。クルマはスキッドして、
コース脇の溝に落ちる。ギャラリーを呼びオンコースするが、右前リンクとリヤ
アクスルが曲がり、速度が出ないので無線でサービスを呼ぶ。
八重洲無線で用意していただいた大出力無線機の威力を知る。サービス隊が
全力で修復した結果、約1時間で終了。
再び走り始めるが、次のトラブルはオーバーヒートだ。点検すると、ウォーターポンプ
付近から水がもっている。直している時間がないのでラジエーターのキャップを開け、
ウインドーウォッシャーのホースを継なぎ、電動で水を足しながら走る。しかし、
ウインドーウォッシャータンクは小さくすぐ水がなくなり、またオーバーヒート。
今度は車載のポリタンクから水を注入する。このとき、熱いアルミブロックを急冷した
事となり、歪みでヘッドガスケットが吹き抜ける。これを修理してもタイムアウトと
いうことで、ラリー続行を諦める。
牽引してナクルへ到着した時には、ラリー車が1台もなく、リタイヤしてしまった
実感が湧く。しかし、これで終わってフロリダ(有名なディスコで、良く言えば社交場)へ
行くのでは、何しにケニヤへ来ているのか解からないので、クルマを直す。
翌日昼までかかり、第2レグを走っている競技車をポイで日産のサービスを手伝い?
ジャマして!その後、2レグのコースを来年のために!?ナイロビまで走る。
サファリラリーを走ってみると、今まで知らなかったサファリラリーを見知る。
サファリラリーはチューナーとして、自分の持てる力のすべて、当然クルマの性能、
ドライバーの腕、サービス体制、さらにチームワークなどの総合力で順位が決まる。
だからサファリラリーのドライバーの比重は少なく、サファリは走っても面白くない!
トロトロ完走ペースでゴールまで走るのは自分のタイプではない。SS/トランスポート
区間がはっきり別れ、1本のSSでも気合を入れて走るRACラリーこそ、スポーツ性の
高い頂点のラリーと信じてきた。
しかし、サファリラリーを走ると、RACラリーの面白さ、スポーツ性の高さは
間違っていないが、サファリがトロトロ走るスポーツ性の低いラリーで、走って面白くない
というのは、まったく当てはまらない。
スタートやバンチングやゴールまではまったく息つくひまもさえなく、500kmもの間1つの
SSと思って走るほど、サービス/トランスポート/コンペティションの区間の別なく、
サファリラリーは全開走行を強いる。走る距離が短いか長いかで走るペースは違うが、
結局限界ギリギリで走ることには変わりはなく、距離の長い分だけハードであることを
身を持ってはじめて知る。
サファリラリーは、走ってこそ面白い。これがドライバーとしてチューナーとして
"SAFARI"を走った上での結論だ!!