SLのSLと私 ①・追憶に関するカスタム事例
2023年10月17日 19時34分
クルマのSNSを始めたきっかけは、「みんカラ」というSNSとの出会いでした。その後、このカーチューンに徐々に軸足が移りました。
体調が依然として安定しない今、「追悼アカウント」という言葉を知り、少しSNS関係を整理しようと考えて。
今ではほとんど覗くこともなくなってきたみんカラに書き溜めたブログをカーチューンに移していこうと思います。
まずは私の「一生モノ」のクルマ…280SLについて。
本日、不動となった私のSLは、主治医のキャリアカーで引き取られていきました。
私の元に来て、この12月で21年目に。
この型のウィークポイント…メカニカルインジェクションの不具合の予感。もしそうなら、本国送りでオーバーホールが必要のため、時間とお金がかかりそうです💦
連載モノ、長文モノ…カーチューンらしくない内容ですが、宜しければご覧ください。
以下抜粋…
私とw113SL‥なり初めは大学生の頃、井の頭通りでの衝撃的な出会いでした。
渋谷での飲み会に参加して、深夜の帰宅。終電を逃した私は、下宿していた明大前までトコトコと歩いていました。途中のビルのエントランスに停められていた黒い280SL 。
「なんて美しいクルマなんだろう」
縦目のヘッドライト、低く構えたボディ、小さくまとめられたリアランプ…全てに魅了され、
「いつか手に入れたいなぁ」
そう思いました。
そして、今から遡ること20年程前、会社を始めて3年あまり、ようやく少し余裕が出てきた私。2年間のサラリーマン時代に貯めたお金がいくらかありました。このお金は事業で万が一のことがあった時使おうととっておいたお金でした。運良く、使うことなく温存しておくことができました。
そこにいくらか足せば、憧れのSLに手が届くかなぁといったところでした。当時、113はまだ今ほど高価になっておらず、その価格はピンからキリまでといった状態でした。
ちょっと手を伸ばせば届くかなぁと思った私はまず、世話になっていた自動車屋の社長に相談しました。
「やめときな。銭喰い虫になるでー。」と反対されました。
反対されればされる程、欲しくなるのが私の性格。
色々情報を見つけてはしつこいぐらいにその社長を訪ねました。
「こりゃダメ。ドアパネルに映る景色が歪んでる。全塗してあるでー。」
「これもダメ。トランクのチリがあってない。こんな写真でみてもわかるぐらいだから、事故してるでー。」
社長からダメ出しを連続でもらい、すっかり落ち込んでいましたが、「とりあえず実物を見てみよう」と思いました。
名古屋に1台、そして神戸にも1台、私の予算に合いそうなSLがありました。
とりあえず、近い名古屋へ休日に日帰りで見に行くことにしました。
色は白、内装はなんと紺色のベロア地‥(笑)「きっと、前のオーナーはベンツのベロアが好きだったんだろうなぁ」と思いました。(でも、オープンカーなのに、毛足の長いベロアは×。湿気を吸って、すぐにカビます)
勧められるままに、市街地の試乗です。
メカには詳しくない私ですが、すぐに1発カブって本来の調子でないのがわかりました。でも、今まで経験したことがない世界でした。勇ましいエンジン音にシビれました。
試乗後は社長から言われていた下回りの確認。
「こりゃダメだ。」
シャーシブラックが厚塗りされていて艶やかでしたが、ところどころにクラックがはしっていてまっ茶色に錆びた素地がみえました。
長野に戻って社長に報告です。
「だから、やめときなって、俺は言ったでー。神戸のも同じだでー。諦めな(笑)」‥残念がってる私とはうらはらに、社長は何か嬉しそうでした(>_<)
そして、次は神戸へ。
そのクルマは下調べではいい感じでした。
サイドマーカーもなく、リアのサイドの反射板もついていなくて、シンプルな美しさでした。そして、白いボディに真っ赤なMBTEXのシート‥ド派手な感じも実にいい。
社長が自分の会社のキャリアカーを貸してあげると言ってくれましたが、この購入話に反対の人の助けは借りたくないなぁと意地をはりまして、当時乗っていてそろそろ13万キロに達しようとしていたE36BMW318iで出かけました。
印鑑証明と印鑑とお金を持って。
買う気満々でした。
神戸まで片道500キロ強でした。休日でしたが朝仕事があり、それを終えて10時に長野を出ました。途中、渋滞もあって神戸に着いたのは夕方でした。
感動の対面。
思った通り綺麗でした。イタリア物の中古並行輸入車で日本に来てからは芦屋の方が10年以上持たれていた車のようです。色々説明を聞いてから、試乗に出かけました。そのお店は山あいの住宅地の下の方にあり、とりあえず坂道を登って見ました。ハードトップを外してあったので、オープンでの試乗。下品な私がまるで王子🤴にでもなったような‥(笑)
そして、神戸ナンバー✨がステキでした。
オートマの変速のつなぎがちょっとおかしいかなぁと思いましたが、買うことにしました。今では信じられませんが250万のプライスでした。
乗っていった318iを30万で買ってもらい商談成立。「ハードトップはどうします?置いていきますか?」‥意味不明なことを言われましたが、もちろん「持って帰ります!」と伝え、取り付けてもらいました(笑)
神戸を出た時は、もうすでに22時をまわっていました。「明日は仕事だけど、100キロ平均で帰れれば、2、3時間は寝れるだろう」と自分に気休めを言いながら。
とりあえず近くで給油。そこで燃料計の針が動かないことに気づきました。でも、浮かれていた私は「この程度なら許せる🙆♂️」と寛大な気持ちになって‥(笑)ガンのストッパーがかかるまでガソリンを入れてもらい、出発。
季節は12月も半ば過ぎ、もう大雪が降る頃で、地元の夜中の気温はすでに零下になっていました。急がなければ‥と渋滞にはまりながらも長野を目指しました。
途中、さすがに疲れが出て来て、眠気も‥。ラジオでも聞こうと思いました。当時物のベッカーラジオが着いていましたが、放送局の合わせ方がわかりません。アンテナも、鍵で引っ掛けて出す手動式のもの。停まって出している時間も惜しい程焦っていましたので仕方なく、自分で歌うことに‥。
ポールアンカの「ユ〜ア〜マイデスティニ〜♩」を独りカラオケしながら、気分はすっかりオールディーズでした。
神戸から100キロ程離れ、高速は順調に流れ始めていました。長距離トラックが多く走る中、時速100キロ程(←本当は〇〇〇キロ)で追越車線を走っている時、突然事件は起きたのでした。
つづく